執着心

人間の執着心はどれぐらいまで大きくなることができるのだろうか。
物に執着をする人や、趣味に執着する人、そして人に執着する人がいると思う。
執着する理由も様々だろう。
物や趣味、人に出会うきっかけは本当に軽いものだったとしても次第にそれは執着心へと変わっていく。
初めは単純な感情だったはずなのに次第に重くなっていく。
物や趣味への執着心ならばまだ自己完結できたりもするので突き詰めることができるのだが人への執着はそう簡単にはいかない。

例えば恋愛感情。
それがいつまでも恋愛感情として保てればいいが人間というのは欲にまみれた生き物なので次第に負の感情も湧き上がってくる。
そしてその負の感情と恋愛感情が合わさってしまった結果醜い執着心へと変貌を遂げると私は考える。

あるいは嫉妬や羨ましいという感情の場合。
感情がどんどん膨れ上がってありとあらゆる手を使って相手を困らせたり痛めつけてやろうと思い始める。そこまで感情が育つとそれはもう執着心になっている。

執着心とは感情が煮詰まってできるというように私は思っているので煮詰まるということは自分の中でかなり長い時間育まれていたわけで、そうなると自分の様々な感情が入り混じり最終的にはとんでもない劇物になっていることが多い。

初めは良い感情だったとしても、悪い感情だったとしても最終的には大変複雑な思いになっているので相手側としても受け止めきれない場合も多々ある。

初めは良い感情だったはずなのにだんだん嫉妬や欲にまみれ相手を傷つける行動に出てしまうことだってあるし、逆に悪い感情だった場合初めは軽い嫌がらせ程度だったものが行き過ぎてしまい最終的に物理的に相手を傷つけてしまうケースもある。

なんにせよ、私が思うに執着心というものはあまり持つべきではない。
正直ろくな結末を生まない。自分にとっても相手にとっても。

考えても見てほしい。
相手を傷つけたところでそこで自分は満足するか?と問われれば私はNOと答える。
もし仮に私が相手からとても嫌なことをされていて、それの復讐で執着心を燃やし実行に移した。とかだったら少しはすっきりするかもしれない。
ただ、その場合でも足りない。と思うだろう。
人間は欲深い。何回やったっておさまりはしない。

だからと言って、一度持ってしまった執着心をどのようにして昇華すればいいかもわからない。ただただ目の前の相手について気持ちを燃やすしかない。

まるで自分が自分にかけた呪いのようだね。

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