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猫を迎えて

猫が飼いたいと言っていたのは、私ではなく夫の方だった。

私は夫と二人暮らしで、子どもはいなかった。

私には精神疾患があり、症状が強い時は、日常生活を送る事も難しくなるため、子育ては負担が大きいだろうからという理由で、夫と子どもは作らないと決めて結婚をした。

だが、結婚してみると、私は子どもが欲しくなった。

というより、今思えば、母親と言う仕事に憧れていたのかもしれない。

自分より守りたいものがある、そんな母親の強さのようなものを私も経験してみたかった。

しかし、子どもを持つ事は、夫が断固反対だったため、結婚して十年以上、私達は二人暮らしをしていた。

私が働いていないので、私達は金銭的に裕福とは言えなかったし、1LDKの賃貸のアパートで長く暮らしていた。

だが、結婚十年目にして、ひょんなことからハウスメーカーの営業の方とお近づきになり、それをきっかけに小さな家を建てる事になった。

それまでは賃貸だったので、猫と暮らす夢はあきらめるしかなかったのだが、家作りの際に、どんな家にするか夫と話し合いをしていたら、家を建てるなら猫が飼いたいと夫は言った。

だが、めでたく小さいながらも家を建ててそこに住む事になっても、早速猫を迎えようという気には私はならなかった。

小さな家ではあったが、1LDKのアパートよりは面積が広く、掃除など私のする事は増えたので、私は毎日必死で余裕がなかった。

加えて、せっかくの新築なのに、猫を迎えたら、爪とぎなどをされて家がボロボロになるだろう事も嫌だった。

そして私の体調は相変わらず良かったり、そうでなかったりするので、猫のお世話をする事に自信がなく、家を建てても二人暮らしのまま二年程が過ぎた。

しかし、猫の里親募集の情報は、突然舞い込んできた。

私にはお気に入りの行きつけのカフェがあるのだが、それは港の近くにあり、そこに来ていた野良猫が子猫を六匹産んだらしく、里親を募集していると言う。

それを知った時、私はちょうど体調が優れずに寝込んでいた。
なのでチャンスだなと思いつつも、自分の体調では子猫のお世話はとてもできないと思い、里親募集の情報はその時は見送っていた。

だが少し経つと体調は回復してきて、やはり気になったので、一度その子猫達を見に行ってみることにしたのだ。

夫の車でカフェまで行ったが、夫は車で待つと言う。一緒に見に行けばいいのにと不思議に思いながら、私はカフェの前に行った。

すると親猫らしき猫がいて、ご夫婦でカフェをされているご主人が、子猫用のミルクを手にして外に出てきているところだった。

「子猫、まだいますか?」と聞いてみると、ダンボールの中にいるのを見せてくれた。

まだ小さな子猫達、三匹だった。他の三匹は既に里親の元に引き取られたのだろう。

「お迎えに来た?」

仲良くして頂いているカフェの奥さんも、店の外に出てきてくれて声をかけてくれた。

私も猫が好きで、夫も飼いたいと言っていたのを知ってくれていた。

「さとみちゃんに合いそうなのはこの子だと思う。」

と奥さんが勧めてくれた子猫は、ダンボールの奥で眠っていた。

白が多めの子猫で、ところどころに茶色い模様があった。

わたしは試しにその白多めの子猫にそっと触れようとした。

するとその子猫は、ビクッとして飛び跳ねた。

「ごめん!!」

私は慌てて手を引っ込め、距離を取ると、その子猫はまた目を閉じた。

奥さんの話によると、この子猫はおとなしい猫のようで、多分女の子だろうと言うことだった。

他の二匹はやんちゃにじゃれて遊び始めたのを眺めながら、私はすでに三匹の猫と暮らしている奥さんに、猫を飼う事について色々と話を聞かせてもらった。

ごはんは置いておけば勝手に食べるし、爪切りも猫が眠たそうな時を見計らってマメにしてあげておけば、家具もそんなに傷つかないこと等を教えてもらった。

お話を聞いて少し猫のお世話への不安が和らいだのと、目の前でやんちゃに遊んでいる子猫達がとても小さくてかわいくて、私の猫を飼いたい気持ちは高まった。

しかしその日はまだ子猫を引き取る決心はつかずに、そのまま帰る事にした。次の日にまた違う方が子猫達の見学に来るとの事だったので、どうなったか結果を教えて欲しいとカフェの奥さんに頼んでおいた。

車に戻り、子猫のかわいさに興奮していた私だったが、夫は子猫を引き取るかどうかは私に任せると言う。

決断を任された私は、一晩ずっと自分は猫を飼う事ができるかについて真剣に考えていた。

体調がいい時は、楽観的になるので、つい最近まで体調が優れなくて寝込んでおり、里親募集の情報を見送ったのを覚えてはいるものの、調子よく子猫を飼えそうな気持ちになっていた。

新しい家も二年程が経ち、爪とぎやら何やらでボロボロにされたとしても、新築気分は充分味わったし、もういいかなという気持ちにもなっていた。

そして何より、私は夫の猫を飼いたいという夢を叶えたかった。

子どもを持つ事は、私の体調を考えて夫は反対していたが、本当は夫は子どもが好きな事を私は知っていた。

けれど私と結婚を決める時に、子どもを持つ事を夫はあきらめたのだ。

そんな夫に、猫と暮らす夢くらい叶えてあげたかった。

体調が優れない時期は、お世話が大変になって泣く事になるかもしれないし、今は綺麗な家もボロボロにされるかもしれないけれど、それも覚悟した上で腹をくくろうか、そう思い始めた私に、カフェの奥さんから連絡が入った。

私がお迎えするならこの子猫かなと考えていた白多めの子猫以外、里親が決まったと言う。

私はそれを聞いて、もうこれは腹をくくるしかないと思った。

私がお迎えしたいなと思った子猫だけが残ったと言う事に、何か運命のようなものを感じた。白多めの子猫は、私達のお迎えを待ってくれているのかもしれない。

私はカフェの奥さんに、残った子猫の里親になる決心がついた事を伝え、早速お迎えの準備にとりかかった。

最低限の猫グッズをネット注文したのだが、ゲージが届くのが遅れるらしく、すぐにはお迎えできないかなと思ったのだが、冬に差し掛かる頃で、急に冷え込みそうなのが気になった。

そしてカフェの奥さんによると、子猫の行動範囲も広がっており、往来する車との接触も心配になってきているらしかった。

ゲージが届くのは間に合わないけれど、早めに引き取る事を決め、カフェの奥さんに子猫を家まで車で連れてきてもらう事になった。

子猫用のフードは、近くの店に買いに行き、初めての子猫への買い物の時間は、あれこれ迷いつつもとても楽しかった。

新しい家族を迎えるってこんな気持ちなんだなと、とても幸せな気持ちにもなった。

そしていよいよ子猫を迎える日、カフェの奥さんがキャリーケースに子猫を入れて、家の中に連れて来てくれた。

外で子猫を捕まえる時に使ったミルクやフードの残りも持って来てくれたので、それらを食器にスタンバイさせてから、リビングでキャリーケースの扉を開けた。

扉が開いた途端、子猫は準備したミルクやフードには目もくれず、一目散にテレビボードの下に走って逃げた。

子猫は連れて来られた時からずっと鳴いていた。母猫を呼んでいたのだろう。

「今日から私がお母ちゃんだからね。」

と声をかけたが、近づくと今度はソファの下に潜り込んで隠れた。

「三日もすれば慣れてくると思うよ。」

カフェの奥さんは、優しく声をかけてくれた後、帰って行った。

その後、夫が仕事から帰ってくるまでの間も、子猫はソファの下に潜り込んだまま、「ミャア、ミャア。」と鳴き続けた。

しばらくしたら慣れてくるかもしれないし、わたしはそのまま子猫が落ち着くのを待つつもりだったが、夫は強制的に抱っこをして慣れさせると言う。

夫は勤務先の工場に子猫が来る事があり、多少子猫の扱いに自信があったのだ。

そして夫はソファの下に手を突っ込み、慌てて逃げようとする子猫を捕まえて、強引に抱っこをした。

すると子猫は意外にも喉をグルグルと鳴らして、おとなしく夫の腕の中におさまっていた。

だがそれも短い時間の事で、すぐにまたソファの下に潜り込み、「ミャア、ミャア。」と鳴き続けてその日の夜は過ぎた。

一夜が明けても、子猫は置いているごはんを食べた様子はなく、トイレもしていないようで、私は心配しつつも、そっとしておいた。

鳴いて母猫を呼ぶ事はあきらめたようで、ソファの下で丸くなったまま、ずっと寝て過ごしていた。

メッセージでやりとりをしていたカフェの奥さんは、「ここが安全なところか、小さい頭で考えているんだろうね。」と言ってくれていて、わたしはただそっと見守っていた。

ずっとトイレをしていないのが気になっていたが、その日の夜、子猫が過ごしているソファの下のラグが濡れている事に気づいて、場所はともかくトイレができた事に安堵した。

次の日も子猫はソファの下でトイレをしたので、体を拭いてあげた流れで、ドライフードのカリカリを手からあげてみると、なんと食べてくれた。

おなかがすいていたのだろう。
食器にカリカリとミルクをセットしておくと、子猫は自分でそれらを飲み食いするようになった。

一日のほとんどをソファの下で過ごしていた子猫だったが、リビングに置いてある観葉植物に興味を持ち、時折その木に登ろうとしてみたり、葉っぱをムシャムシャと噛んだりして遊ぶようになった。

そしてトイレの場所も覚えたようで、確認してみるとトイレをした形跡があり、数日でトイレを覚えた事に私達は驚いた。

三日目の夜、子猫は夜になると「ミャア。ミャア。」と鳴いていて、なんとなく寂しそうに感じたので、ソファの下から引きずり出して、私の体の上に乗せてなでてみると、私の頭などをペロペロと舐めてきて、私に寄り添うようにして眠ったのだ。

そしてその夜から、子猫はソファの下ではなく、ソファの上でくつろいだり、遊んだりして過ごすようになってきた。

そうやって子猫が少しずつ私達の家に慣れていく様子が、私はとてもうれしかった。

ずっと子猫の名前が決まらなかったのだが、夫と何度も話し合いをして、「みるく」と名付ける事にした。

私が「みーちゃん」と呼びたかったのと、夫は呼びやすい三文字の名前がいいとの事で、白が多めの茶色い模様がミルクラテのようなのもあって、「みるく」にしたのだ。

そして名前が決まったところで、初めての動物病院に連れて行くと衝撃の事実を知ることとなった。

なんと女の子と思って、「みーちゃん」と呼んでいたのに、男の子だった事が判明したのだ。

「みるくボーイやん!!」

とギャグにしながら、その日から「みークン」と呼ぶ事となった。

やっとゲージが届いたので、夜に活発に動き回るみークンを入れておく事にしたのだが、組み立てが甘かったのもあって、みークンは暴れてゲージを破壊してしまった。

引き取る時はおとなしい子猫と聞いていたが、私達にはとてもやんちゃな子猫に感じた。

夜は特にずっと走り回ったり、カーテンに飛びかかったりして、物音がうるさかった。

夜の大運動会というやつだ。

一人で暴れる分にはまだよかったのだが、寝ている私の口元を噛んでくるのに困っていた。

夫の腕の中に顔をうずめて、噛まれないようにしてもらっていたが、猫と一緒に幸せに寝るというようなほんわかした夢は現実にはならず、いつ噛まれるかビクビクしていたので、よく眠れなかった。

そして最初はソファの下にいるだけだったみークンは、どんどん行動範囲を広げて、いろんなところにジャンプをして登るようになった。

食事をするこたつの台にも登るようになったので、食事の時の対策を考える事になった。

夫と交代で食べて、食べていない方がみークンと遊んで気をそらしてみたりもしたのだが、ゆっくり食べれないので、結局食事中はみークンを別室に移動させるようにした。

そしてみークンは、あっという間に台所のカウンターにも登れるようになって、料理中など危ないので台所には囲いを付ける事にした。

みークンができるようになる事が増える度に、困り事が増えて、対策をしたかと思えば、また次の対策が必要な課題ができるので、その度に私はどうしたものかと参っていた。

そして私の体調の波は相変わらずで、最初は何もかもかわいく思えたみークンの事も、体調が優れなくなって余裕がなくなると、みークンの困り事がとても負担に感じるようになった。

みークンを迎える時に、泣く事になる事も覚悟していたが、実際にみークンのお世話がツラくなって泣いた事もあり、それは本当にツラく感じた。

特に朝起きがツラかった。夜は夫にみークンのお世話を任せていても、朝になって夫が仕事に行く頃には、私も起き上がってごはんやトイレのお世話を夫とバトンタッチしなければならない。

もともと朝が弱い私だったが、体調が優れない時は起き上がる事がとてもツラく、本当は午前中ずっと寝ていたかった。

それがみークンが来てからというもの、夫からのみークンのお世話の申し送りを聞くためにも、一度朝起きる必要があったのはとてもツラく感じて、朝が来てみークンが鳴いているのが聞こえると正直憂鬱にもなった。

そうやって自分達で迎えたはずのかわいいみークンに対して、少しばかりの嫌悪感を感じている自分にも嫌気が差した。

でも逆に言えば、みークンは私の生活リズムを正してくれた。みークンがいなかったら、ダラダラと昼過ぎまで寝ている日々になるところだが、みークンのお陰で強制的に朝一度起き上がる習慣がついた。

起きてしまえば少し家事ができる事もあるので、結果一日が以前よりも充実してきたのだ。

他にもみークンのいい影響はあって、例えば家事の先送りをしなくなった。

みークンを迎えるまでは、夕ご飯の支度は夕方ギリギリになってからやっと取り掛かるような日々だったが、みークンが来てからは、みークンがお昼寝をしているのを見計らって早めに台所に立つようになった。

みークンが寝ている時に台所仕事をした方が、みークンが囲いをしている台所に入りたがってしつこく鳴く事を避けられたからだ。
他の家事も、みークンが落ち着いている時間帯があれば、その時にサッと終わらせておく習慣がついたので、ダラダラと先送りする事がなくなった。

そして私の場合、みークンによく話しかけていたため、以前よりずっと声を出すようになった。みークンを迎えるまでは、日中は家に一人でいるため、声を出す事がなかったせいか、いざ人と話す時に声が小さくしか出らず、聞き返される事が多かったが、いつの間にかそういう事がなくなったのだ。

体調が優れない時は、みークンのお世話が負担になってはいたが、それでも総じてみークンが来たことは、私にとっていい影響が多かった。

それでも子猫ゆえのやんちゃさには困ってしまう事も多く、早く落ち着いてほしいなという気持ちが正直あった。

そして推定二ヶ月でお迎えしたみークンは六ヶ月を無事迎えて、去勢手術をする事になった。

日帰り入院での去勢手術で、みークンを病院に預けている間、久しぶりにみークンがいないリビングはガランとしていた。

手術は無事済み、病院の先生からは「おりこうさんでしたよ。」とほめられた。

やっぱり外ではおとなしくて、私達も引き取る時はそう思ってた事に苦笑いしながら、みークンを家に連れて帰った。

まだ麻酔が効いていたのか、少しよたよたしながら遊んで過ごしていたのだが、麻酔が切れた頃になると、顔をしかめてうずくまったまま動かなくなった。

ごほうびにカツオのお刺身を用意していたのだが、それも食べずに目を閉じてじっとして過ごしていた。

特に痛み止めのようなものはなく、次の日もそのまた次の日も、じっと目を閉じて絶対安静を貫いていて、動く時もいつもの三分の一ほどのスピードであった。

本当におとなしいので、やんちゃをされる事がなく、私の方はラクはラクであったが、それはみークンらしくないなとも思った。

みークンが高齢になったら、こんな感じで動きがスローで私はラクなんだろうなという疑似体験はできたが、やんちゃな子猫時代は、それらしくやんちゃでいさせてあげようと思ったのだった。

一週間ほど経つとみークンはみるみる回復して、またいつもの活発なみークンに戻った。去勢手術をすると少し落ち着くとも言われていたが、私にはやんちゃ度が更にパワーアップしたように感じた。

みークンは私にやんちゃにじゃれてきて、噛む事もあったので、その時は突き放したり、みークンと一緒には落ち着いて眠れなかったので、疲れている時は別室に閉じこめたり、私は決して愛にあふれる飼い主とは言えなかったが、それでもみークンは私に気づくとしっぽをピンと立てて「ミャア。」と鳴きながら近寄ってくるし、私が座っていると膝の上に乗ってきてくつろぐのだった。

私は時に冷たく接しているのにどうしてみークンがなついてくれるのか分からなかったが、優しくしてくれるからなつくというような条件付きではなくて、ただただ私になついてくれて、どんな私でも受け入れてくれる器の大きな愛のようなものを、みークンは私に見せてくれていた。

そんなみークンをかわいいと思ったり、やっぱり思えない時があったりしながら、みークンと過ごす日々が半年程過ぎた頃、とても焦る出来事が起きた。

私が日中少し横になって寝ようとしていると、みークンは私の髪を舐めてきたり、私の髪を束ねたヘアゴムを噛んで引っ張ったりするので、私はいつものようにヘアゴムを外してから、それを投げて、みークンにヘアゴムで遊ばせていた。

いつもそれで問題なかったし、みークンがヘアゴムで遊んでいる間は私は眠れるので都合がよかった。

だがその日のヘアゴムはいつもと違う種類のもので、柔らかい素材のものだった。

私はたまたまみークンがヘアゴムをくわえてからのその後を見ていたのだが、みークンはそのヘアゴムを噛み切ってしまい、一本の棒状にしてしまった後もクチャクチャと噛み続けた。

ヘアゴムがダメになっちゃったなと思いながら、私はそのままみークンがヘアゴムを噛み続けている様子を眺めていたのだったが、次の瞬間、みークンはそのままヘアゴムを飲んでしまったのだ。

一瞬の事で、私は何が起きたのか理解できなかった。しかし、ヘアゴムは跡形もなくなっていて、みークンが飲み込んでしまったのは明らかだった。

私はとっさにどうすればいいか分からなかった。だが少し考えてみると、ヘアゴムは消化できずに下から自然に出てくるのではないかと思った。だからそのまま様子を見ていればいいとも思ったのだが、一応スマホで情報を集めてみると、ひも状のものの誤飲は腸閉塞になる可能性があり、死につながる危険もあるというのがヒットして、私は血の気が引いた。

すぐに動物病院に行って診てもらおうと思い、電話してみたが、日曜で休みだったらしくつながらない。近くにある別の動物病院にも連絡してみたが、お昼休みのようでつながらなかった。

逆算してみて、今から動物病院に向かえば、着く頃にはちょうど営業開始時間になりそうだったので出発する事にした。とても動揺していたが、それがみークンに伝わってはいけないと深呼吸してまずは自分を落ち着かせた。

動物病院には、いつも夫の車で夫と一緒に行くので、一人で連れて行くのは初めてだった。そして私は車を持っていないため、キャリーケースに入れたみークンを抱えて歩いていかなければならなかった。

私にとっては、一人でみークンを病院に連れて行くだけでも初めての大仕事で、焦る気持ちを抑えながら、急いで支度をして、そんな私の様子を何事かと見ているようなみークンをキャリーケースに無事おさめて、家を出た。

初夏の日射しがまぶしい中、両手でキャリーケースを抱えてみークンを運ぶのはとても重かった。最初は「ミャア。ミャア。」と鳴いていたみークンだったが、移り行く外の景色を興味深そうに眺めて、おとなしくしていた。

何とか十分程歩いて病院に着き、まだ開く直前だったが、インターホンを鳴らして半ば強引に中に入れてもらった。

ずっと重いキャリーケースを抱えて歩いていたのと、動揺しているのとで、問診票に書いた字はガタガタに震えてしまった。

血相を変えている私に、病院の先生は「そんなに大事ではありませんよ。」と声をかけつつ、症状が今ないならできる処置はなく、様子をみた方がいいとの説明を丁寧にしてくれた。

専門家のお話を直接聞けて、私は少し安心し、帰り道はみークンとお散歩をするような気分でゆっくり歩いて帰った。

結局次の日の朝、気づいたら吐き跡があって、その中にヘアゴムの一部があり、その日の夜の便の中にもヘアゴムが含まれていて、みークンは自力で異物を外に出してくれた。

そんな誤飲事件があって以来、私はみークンのちょっとしたやんちゃには寛大になれるようになった。例えば、囲いをしている台所の扉を開けた隙に、みークンが台所の中に入り込むので、台所の出入りをする度にヒヤヒヤする気持ちがあったのだが、台所にみークンが入って来たところでみークンが死ぬわけではないし、大した事ではないと思えるようになった。

他にも病院沙汰になった事があって、私がみークンにハーネスを付けてベランダに初めて出してみた時に、たまたまベランダにいた虫にみークンがビックリして飛び跳ねてフェンスにぶつかり、足の爪を折って流血した事があった。

その日は動物病院が休診日だった事もあり、すぐには病院に連れて行かずに様子を見ていたのだが、傷口が膿んでしまったため、舐めないようにエリザベスカラーの装着になってしまった。

私がベランダに出したばっかりに、痛い思いをさせて、エリザベスカラーを付けて不自由な生活をさせる事になってしまった事に、私はとても責任を感じた。

でもそれをお友達に話したら、「親になったんだね。」と言われて、そうか、私は少しだけかもしれないけれど親のようなものになってきたのかなと思えた。

憧れていた母親という仕事を、私は猫のみークンを通して少しだけ体験させてもらっているのかもしれない。

自分より守りたいものがある、そんな母親の強さのようなものを私も経験してみたかったけれど、みークンを通して私は強さというよりも寛容さを身に着けた。

みークンは猫ゆえに自由奔放で、私の思い通りには決してならなかった。

みークンはただ自然のあるがままの姿で生きていて、したい事をしたい時にして、したくない事はしなかった。

そんなみークンを見ていて、次第に私は、自分の思い通りにならなくても、みークンの好きに生きていいよという寛容な気持ちを持つようになった。

そのままでいいとか、ありのままでいいとか、言葉ではよく言うけれど、その意味を以前よりも深く知れるようになったように思う。

みークンが家に来てから八か月が経ち、みークンは今推定十ヶ月で、お迎えした当初に比べると随分落ち着いてきたので、私はみークンとの暮らしがラクになったけれど、だからみークンがかわいいというような条件付きでのかわいさではなくて、どんなみークンでもみークンの一瞬一瞬がかわいいと思えるようになった。

私に寄り添うように眠るみークンも、かと思えば離れたところからじっとこちらを見ているみークンも、いつもと違う鳴き方をしたと思ったら、階段を駆け上がって家の端から端までダッシュで往復するみークンも、いろんなみークンがかわいいし、かわいすぎて毎日吹くように笑ってしまうのだ。

そしてその思い通りにならなくてもそのままが好きという気持ちは、みークンに向けてだけでなく、自分や周りへ対しても感じられるようになってきた。

今は自然とどんな自分でもありのままでいいと思えるようになってきたし、周りに対しても、周りがどうあっても今はそうなんだねと寛容になれるようになってきたのだ。

私も周りもそのままで自然に生きればいい、そう思える事は私にとってもとてもラクだった。

言葉は通じなくても、お互いに何となく意思疎通をして、少しずつ信頼関係を築いてきた猫のみークンから得る事や学ぶ事はとても多い。

これからもみークンとの一瞬一瞬を大切にして、寄り添い、絆を深めていきたいし、いろんな事を一緒に体験していきたい。

だから猫を迎えて本当によかった。
みークン、これからもよろしくね。

愛を込めて、未熟な飼い主より。

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