見出し画像

子どもの「かわいい」を大人が定義しないで

日本一かわいい女子高校生を決めるミスコンが開かれ、グランプリが決まりました、というニュースを見て思ったことを残しておきたいなと思って久しぶりにnoteを開きました。

このニュースを見た最初の感想は「いつまでこんなことやってるんだろう…」というものでした。

最初に断っておきたいのは、このコンテストに出ている高校生を批判する気持ちはまったくない!!ということです。
コンテストに出ている女の子たちは私が想像もつかない努力をしていると思います。その努力は素晴らしいと思うし、ニュースに出ている女の子の涙目の写真を見ると「おめでとう!」と声をかけたいくらいです。

ただ、このコンテストについて個人的に問題だと思う点は「大人がかわいいを定義してそれを"子ども"という年代の人に強要している」点です。
私がここで指す”子ども”の定義は「まだ精神が未発達で外部(社会)からのメッセージに影響されやすい人」です。

このコンテストやニュースを見るのは、出場者と同年代の子も多いと思います。
(社会で”かわいい”とされる女の子って、やっぱり細くて二重で肌がきれいな子だよねぇ…)と、ニュースを見る高校生は思うんじゃないかな?
ぽっちゃりな子、一重の子、肌荒れしている子はどう思うかな?
(私はやっぱり可愛くないなあ…)と肩を落としてしまわないかな?と思うのはアラサー女のいらぬ心配でしょうか…

大人になれば、細い・二重・肌がきれい以外にも”かわいい”の種類が無限にあることは分かるけれど、それは人生経験の中で培ってきたものです。
このミスコン、中学生版もあるとのこと。グランプリの決定には一般からの投票もあるようですが、最終審査は大人の目が入るようです。
「かわいいの多様性」がまだ十分培われていない子どもたちに対して、大人が一方的に”かわいい”を押し付けることは、子どもの自己肯定感を下げるだけではないのかなと思います。

「私は社会が一般的に言う”かわいい”には当てはまらないけれど、それ以外の魅力があると思って自己肯定する」というのは人生を生きやすくするライフハックです。
逆を言えば、そう思わなければ生きづらいほど、世の中は”かわいい”を定義してくる。
かわいいの定義が、どんどん低年齢化している気がして恐怖を感じたニュースでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?