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木曜日最終上映の彼女

小生が小気味良いリズムを耳にしたのは3年ぶりのはずだ。
チャーチャッチャー、5点ラジオ〜
空港に向かうタクシーで懐かしさに浸った。

現在小生は、カナダ・トロントに向かう飛行機を待つラウンジでこのreviewをしたためている。

3年前の夏、小生はある地方都市の映画館で館長をしていた。
ただ、実質的な映画館の運営は小生の前任のN氏が担っていた。上映する映画を決めたり、常連客に向けた会報誌の内容を決めるのは彼だった。N氏が高齢となり第一線から引退するというので、小生が配給会社とのやり取りからチケットのもぎりまで、運営のもろもろを担っていたというわけだ。
こぢんまりとしたスクリーンが2つの、極めて小さな映画館だったが、なかなかセンスの良い外国映画を上映していたと思う。

木曜の最終上映に欠かさず映画館に通う女性がいた。
小生がいつものようにチケット売り場に座っていると、彼女が訪れた。
彼女は、先週と同じ映画の題名を告げる。

「先週と同じ映画だけれど、いいのかい」
彼女は一瞬手を止めてこちらをちらりと覗き込み、会話を続けた。
「毎週木曜はここに来ると決めているの」
「どうして木曜日に」
「金曜日は仕事が休みだから。一週間のご褒美に映画を観るの」
「それなら、明日は休みということだね。ランチをともにしたいと言ったら君は来てくれるだろうか」
「明日はお仕事はお休みなのかしら」
「ああ、映画館は休館日だ」

翌日待ち合わせ場所に現れた彼女は、白いヨットパーカーに濃いブルーのジーンズを履いていた。
値段は高くなさそうだが、手入れが行き届いている。

小生たちは近くのレストランに入り、昼食を取った。
ルッコラとナッツのサラダを食べ、イカとキャベツのオイルパスタを食べ、彼女は白身魚のローストを少し食べた。
そしてシャブリを1杯ずつ飲んだ。

食事を終えて店を出ると彼女が言った。
「よかったら私の家でコーヒーを飲んでいかない」
「もし歓迎してくれるなら、とても嬉しいよ」
「映画館の館長さんは歓迎すると決めているの」

小生たちは歩いて10分程の彼女の家に向かった。
夏の日差しは強かったが、時折吹く風が心地よかった。

ブルーグレーのラグに深いブラウンのソファーが馴染み、その上には三毛猫が1匹鎮座していた。
彼女は手早くコーヒーを淹れ、マグを2つ置いた。
「いい香りだ」
「夏にしては少し濃かったかしら。ミル挽きだから加減がいまいち分からなくて」
「いや、とてもおいしい」
鼻に抜けるコーヒーの香りが香ばしく、苦味の奥にほのかな酸味を感じる、本当においしいコーヒーだった。

「なにか音楽でもと思うのだけれど、あまり詳しくなくて」
と言って、彼女がポータブルラジオに手をのばす。
彼女の健康的な二の腕が覗いた。
何度目かのチューニングのあとに流れてきたのが、「5点ラジオ」であった。

次の木曜日、彼女は映画館には現れなかった。


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大好きなポッドキャスト「ゲイと女の5点ラジオ」、小生おじさん選手権にエントリーします☆
村上春樹先生の小説を意識してみました☆

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