ヴィパッサナー瞑想合宿ってなんぞや?(体験記前編)

2023年12月28日~2024年1月8日まで、千葉県の山奥にて10日間のヴィパッサナー瞑想合宿に参加した。

簡単に感想を言うと、「人生観が変わる予感を覚えた。すごくいい経験だった。できる限りこれからも瞑想を続けたい。しかしそれ以上に発狂しそうなほど過酷だったので、もう一度行くかと問われると回答に渋る。」という感じ。

前編はスケジュール・規律やヴィパッサナー瞑想の教えなどをわたしの理解でまとめる。
後編「わたしの身に起こったこと」は、私が実際に感じたことや起こったことを綴っていく。
既にヴィパッサナー瞑想合宿についての理解している方は、後半の体験記から読むことをおすすめする。


公式HPはこちら。

ヴィパッサナー瞑想とは

「瞑想」と聞くと、どのようなイメージを抱くだろうか。

何するの?無になるの?
宗教?スピリチュアル?怪しくない?
Googleがマインドフルネスをやってたよね

瞑想合宿に行ってきたと言うと、こういったことをよく聞かれた。

正確な解説はHPのこちらをぜひ。

何するの?無になるの?

結論から言うと、ヴィパッサナー瞑想では「無になる」というわけではない。瞑想中は身体の感覚や呼吸を観察する。集中力が必要なので、ラク~な感じではなくて意外と大変で、暇でぼーっとすることはない。

ヴィパッサナー瞑想は「調和と安らぎをもって生きる」ために行う

ちょっと抽象的なので順を追って説明する。

想像してみてほしい。
もしこの世から怒りや恐れ、不安が消え、
一人ひとりが調和と和らぎをもって過ごしていたらどうだろうか。

家族にそっけない態度をとったり、仕事関係者に今日は機嫌悪いなと思わせたり、街ですれ違う人にイライラしたり、SNSで言葉のナイフを使うことは無くなる。
何より、自分自身を愛してそのままの自分を受容し、穏やかに幸せに暮らせるようになる。
ひいては、残虐な事件や紛争さえも無くなる。
そんな世界を想像できるのではないだろうか。

それを実現するために、ヴィパッサナー瞑想では怒り、恐れ、不安といった「心の汚濁」を無くすことを目指す。

そのためには、まず新たな「心の汚濁」が生まれないようにする。その後、今既に蓄積している「心の汚濁」を潜在意識からさえも消していく。その手順は、後述の合宿レポートで紹介する。

宗教?スピリチュアル?怪しくない?

ヴィパッサナー瞑想は宗教ではない。極めて論理的な、心の治療法である。

ヴィパッサナー瞑想はブッダが悟りを開いたときの瞑想法だ。仏教を連想するかもしれないが、仏教の教えの中の「悟りを開く方法」としてヴィパッサナー瞑想が含まれているだけである。直感的に表現すると「ヴィパッサナー瞑想は、仏教から宗教的な要素を省いたもの」と考えることができる。

わかりやすいブログがあった。

毎日の講話(瞑想の実践や考え方についての話)は科学的だった。「素粒子」なんて物理用語も登場したくらいだ。学問でいうと、人体物理学、精神医学、心理学あたりだろうか。(この辺はガチのプロである博士の方々から「素人質問で恐縮ですが~」なんて言葉が飛んでくるので安易に使いたくないのだが)

ヴィパッサナー瞑想と宗教ははっきりと区別して語られる。宗教は対象を盲目的に崇拝し、装飾品や供え物をしたり、祈ったりする。それだけである。悟るための “実践” はない。一方でヴィパッサナー瞑想では、ひたすら“実践” をする。自らの身体や感覚に起こる事実を観察し 悟りを“体感” するのである。講話では「“泳ぎ学”を学ぶのではない、実際に水に入って手足を動かすのだ」と教えられる。


瞑想合宿のスケジュール

おおまかには下記のようなスケジュールだ。

4:00       起床
4:30~6:30         瞑想
6:00~8:00         朝食と休憩
8:00~11:00    瞑想
11:00~13:00  昼食と休憩
13:00~17:00  瞑想
17:00~18:00  ティータイムと休憩
18:00~19:00  瞑想
19:00~20:00  講話
20:00~21:00  瞑想
21:00       就寝

毎日11時間の瞑想と1時間の講話、それ以外は食べるか寝るか。
そんな生活を丸10日間続ける。
入所日と退所日を合わせて、11泊12日。

最も辛かったことが、このスケジュールだ。

目が覚めると瞑想、ご飯、瞑想、瞑想、ご飯を食べたらまた瞑想。
次の予定も瞑想。明日も明後日も明明後日も瞑想。

前半はよかった。瞑想の指導は段階を踏んで進んでいくので、毎日新しい学びがあり、初めて感じる自分の感覚にもワクワクした。でも後半になると、学びよりも瞑想を研ぎ澄ませていくことが重要になってくる。するとだんだん「飽き」が出てくる。瞑想自体の辛さはそうでもなかったが、瞑想以外のことができない辛さが圧倒的に大きかった。

今振り返ってみると、講話で何度も「これは知的な娯楽ではありません」と聞いていたのに、常に知的好奇心を持って瞑想や講話に挑んでいた。新しく感じた感覚にワクワクしているのも、めちゃくちゃ反応しているじゃないか。

瞑想合宿の規律

合宿中は様々な規律がある。

■主な禁止事項
会話(アイコンタクトやジェスチャー含む)、身体の接触、電子機器、喫煙、飲酒、殺生(∋肉魚卵を食べる)、ヨガや運動、外部との接触、読書などのインプット、メモなどのアウトプット、宗教儀式やその品物の持ち込み

あらゆる娯楽が禁止されるが、案外休憩時間にやることが多いので(手洗い洗濯や指導者への質問など)暇だと感じることはなかった。

《たんぽぽの綿毛は雨に濡れるとどうなるか》
空いた時間にできることは散歩くらい。といっても敷地内を端から端まで歩いても3-4分で一周できるので、ひたすら同じ場所を往復していた。10日間毎日“たんぽぽパトロール”をして黄色い花が綿毛にならないかな、と成長を見守っていた。ひとつ、見たことがないほど立派なたんぽぽがあった。茎は太くてしっかりしている。綿毛はゴルフボールくらい大きくて密度が濃い。ところが大雨が降ったある日、あんなにも立派だったたんぽぽが根本から地面に伏せ、綿毛はしなしなとくっついて束になっていた。あぁ立派なたんぽぽも大雨には勝てないか…と思っていた。のに、晴れた翌日に見てみると、元通りピンピン、ふわふわしていた。さすがコンクリートの隙間にでも咲くたんぽぽ。その生きる力を見習いたい。

年を越したこともわからないので、コロナ対策の体温記録用紙で日付を数え、「今頃紅白始まってるかな」と世間の大晦日や元日の様子を想像していた。

もちろん、天気予報やニュースも入ってこない。

ただし重大なニュースがあった際は、家族の安否を確認するために最低限の情報が伝えられる。そんなことは東日本大震災くらいの出来事がないと起こらないから、10日間はニュースは一切聞かないだろうと思っていた。

2024年1月1日に能登半島地震が起きた。その日は夜の瞑想前に「石川県で震度7の地震があった。大津波警報も発令されている」とだけ伝えられた。聞いた瞬間、呼吸が荒くなり、心拍数が高まり、瞳孔が開いているのを感じた。東日本大震災の光景が頭の中を駆け巡った。そんな中でも指導者は淡々と瞑想を始める合図をする。正直、わたしは瞑想どころではなかった。恐怖、不安、動揺を感じるだけだった。しばらくはそんな状態だったが、形だけでも瞑想を行ってみる。感情以外のことに意識を向けてみる。だんだん、自分が今すぐ安否を確認すべき家族や知人はいないこと、もし今合宿を出ても何かできることがあるわけではないこと、を考えられるようになった。ならば、今は自分ができる合宿に集中しようと思うことができた。瞑想をすることで客観的になれたのかもしれない。そこからの7日間はこれまでと同じように瞑想ができたが、瞑想以外の時間になると、北陸に実家があるあの人は大丈夫だろうかとか、知人が旅行でその地域に行っているかもしれないとかの不安もあった。そのときのわたしには「1日でも早く被災者の方が温かいごはんを食べられますように」と願うしかできなかった。被害の全貌や旅客機炎上のニュースを知ったのは、合宿終了日の1月8日のことだった。

これらの規律を守ることは非常に難しい。脱落者が出て日に日に人数が減っていくこともあるそうだ。しかし「今回の参加者はみんな初めてとは思えないほど集中力があって真面目だ。瞑想中は静かだし脱落者がいないのは珍しい」と指導者やリピーターの方が口を揃えて仰っていた(後日、本場インドでヴィパッサナー瞑想合宿に参加した方の話を聞くと、インドでは普通に会話してしまう人もいたらしい)。年末年始だったので、仕事の都合で今回しか参加できない本気の人たちが集まっていたのかもしれない(実際、やっと条件が整って4年越しに参加できたという方もいた)。

合宿が始まる前には、この規律への同意書に3回もサインを求められる。ちょっと面白そうだから…と安易に参加するべきではない。これは覚悟が必要な修行なのだ!

瞑想合宿の生活

食事

朝と昼は菜食料理がビュッフェ形式で出る。玄米、おかゆ、白菜や人参の浅漬け、小松菜たっぷりのお味噌汁、厚揚げのあんかけなど。
カレーやトマトパスタ、全粒粉パン、デーツあんこがトッピングされたお餅が出た日はテンションが上がった。もちろん肉や魚は入っていないのだが。

飲食店の料理に比べるとかなり薄味だが、ごま油や梅干しといった調味料が置かれているので、工夫すると飽きずにより美味しくいただける。わたしはそれまで、人参の浅漬けにごま油をかけるとあんなにも旨味が溢れて美味しいことを知らなかった。ただの人参なのに、今思い出してもよだれが出る。

食事と一緒に豆乳やコーヒー、紅茶などの飲み物も並ぶ。タンパク質が少ない食事だったので、ひたすら豆乳を飲んでいた。

食べすぎると瞑想中に眠くなったりお腹が重くなるので、いい具合に食事できるようになるまで4日ほどかかった。

シャワー

シャワーは時刻表にマグネットで予約する制度。実は5つほどあるシャワー室のうち、ひとつだけ湯船が付いた部屋がある。わたしは湯船に浸からないと翌日凍えるほど寒くなるのでありがたかった。トイレはきれいで、屋外にあって寒いこと以外は苦労しなかった。

寝室

カーテンで区切られた半個室。ベッドは少し固かった。わたしはドミトリー泊にも慣れているので、周りの人の音などは気にならなかった。むしろ清潔で十分な広さがあり、暖房も効いていて快適だった。

半個室の中には瞑想用の台があり、グループ瞑想以外のときは個室で瞑想を行ってもよい。ただわたしは半個室だと確実に寝てサボってしまうので、終始ホールで瞑想をしていた。

ヴィパッサナー瞑想を身につける三段階

第一段階:五つの戒律

第一段階は、新たな「心の汚濁」を生まないために、「五つの戒律」を守ることだ。

《五つの戒律》
1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3. 一切の性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない。

これらの行為は、理性を失くしたり、悪い方向に拡大すると犯罪行為となり得るほどの「心の汚濁」の元となる。

コース規律の「会話をしてはいけない」というのも、話をしているときに無意識に誇張したり嘘を交えてしまうことを防ぐための規律である。ただ厳しいだけに見える規律も、全て正しい瞑想をするための根拠がある。

この五つの戒律を守ることは、瞑想をするうえで必要不可欠な土台となる。

第二段階:アーナパーナ瞑想

合宿のはじめの3日間はまだヴィパッサナー瞑想はしない。ヴィパッサナー瞑想は複雑で難しいので、まずは入門編といったところだ。

アーナパーナ瞑想は、意識を1箇所に集中させる練習をするための瞑想だ。具体的には、唇の上を底辺、鼻の付け根を頂点とした三角形の部分で、呼吸をしたときにどんな感覚があるかだけを観察する。

目を閉じて、姿勢は自由。自然に起こる呼吸を観察する。

時間が経つと呼吸が浅くゆっくりになっていくかもしれない。鼻の穴を息が通る感じ、冷たい吸う息と温かい吐く息、鼻の下の産毛が揺れる感じがあるかもしれない。チクチクしたり、もやっとするかもしれない。そんな呼吸と感覚をただ観察する。呼吸をコントロールしたりはしない。

え、そんな簡単なこと?と思った人は、ぜひ1分間、スマホでタイマーをかけて実践してみて欲しい。たった1分間でも、呼吸だけに意識を集中することは難しいとわかっていただけるだろう。

(タイマーをかけて目を閉じる)
……。
……さっき来ていたLINEはなんて返そうか。
(いけないいけない、呼吸に集中するんだった)
……あ、今日ゴミを出すのを忘れてた。
(あぁ、呼吸呼吸、、、)
……飛行機の音がうるさいな。
……そういえば今日はあのYouTubeが更新される日だ。
(! また意識が逸れてた)
……左膝がかゆいな。
……夜ご飯は何を食べようか。

なんてところだろうか。

実際、わたしも呼吸の観察に集中することは難しかった。あらゆる思考が浮かんできた。

というかそれ以前に、ほとんど寝てしまっていた。
目を閉じた瞬間に寝ているんじゃないかと思うほど。

元々わたしは過眠傾向にあるが、それにしても眠すぎる。眠すぎて、指導者へ「眠すぎるのですがどうしたらよいですか」と質問に行った。眠気は最大の敵。立ってみたり散歩してみたり、顔を洗ったりして耐えてほしい。と瞑想のやり方でどうにかなるわけではなかった。食事の炭水化物を控えたり、コーヒーを飲んだりしてみたが、眠気は最後まで大敵だった。特に朝4:30~6:30の瞑想が辛かった。

第三段階:ヴィパッサナー瞑想

いよいよ4日目からヴィパッサナー瞑想に入る。



まだ反応が起こる前の感覚を見つけることはできない


きっかけは「俗世から離れたい」

「山ごもり やり方」で検索したことがきっかけだった。この世から消えてしまいたい、と何度も思ったことがあった。それは難しいけれど、周りとの関係を閉ざしてひとりになってしまえば、実質的にこの世から消えたことになるのではないか?と考えた。俗世から離れたい、楽になりたい、と思っていた。

「山ごもり やり方」の検索結果に、まこなり社長の社員がヴィパッサナー瞑想合宿から帰ってきた、という内容のブログがあった。

ここでヴィパッサナー瞑想を知り、調べているうちに単なる「山ごもり」どころではない合宿に興味が湧いていった。

もともとYouTubeやアプリの音声を使った数分間の瞑想をしたことがあった。しかしそれらは抽象的な解説で、やり方が合っているのか間違っているのかわからなかった。それでも、私が尊敬する人のうち何人かは瞑想を習慣にしていたからきちんと身につけたかった。瞑想をすれば、執着を手放せるのでは、動揺しない心を持てるのでは、と期待していた。

ネットに上がっている体験談を読んでみると「人生が変わった」という内容が多く、それほど良い影響を受ける合宿がどんなものか、好奇心も膨らんでいった。(私が変なこと・過酷なこと好きというのもある)

ヴィパッサナー瞑想合宿の練習のつもりで、京都のお寺に3泊4日の座禅修行に行った話はまたnoteに記録したい。ちなみに座禅とヴィパッサナー瞑想は結構違う。

(今回は10日間瞑想合宿というかたちだったが、人生のどこかで1年間ひとりで山に籠もりたいと目論んでいる)

申込み

ヴィパッサナー瞑想合宿の参加競争率は非常に高い。

以前お試しとして、連休のない平日の合宿に、受付開始3分後に申し込んだ。それにもかわらず、キャンセル待ちとなった。

これは壮絶な戦いだ…
ということで、今回の年末年始の日程を申し込む際は入念な準備をした。ひとりリハーサルを決行し、フォームの記入内容はコピペできるようにして、募集開始前からスタンバイ。超人気コンサートのチケット取りばりにWebサイトのリロードを繰り返した。結果、開始1分で申し込むことができた!数日後に参加可能のメールが来るまでは、大学の合格発表を思い出すようなドキドキを感じた。

後に、合宿参加者との会話で「申込みの時が一番執着していたね、瞑想して平静になるべきだったね」と笑った。

瞑想での気づき

無常

無我


(つづく)

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