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第四回「黄色い気球と小森谷くんと中目黒駅」

今月は、学生CGコンテストの最終審査会があった。

このコンテストの審査員も今年で4年目になる。賞というのは審査員たちのジャッジで決まるのだが、このコンテストには審査員賞というのがあって、審査員個人が自由に選ぶことが出来る。

全ては審査員の判断に任されるので、とんでもない駄作を賞に選んでしまうことも出来るのだ(やらないけどね)

審査員個人が一押しなのは、ある意味グランプリよりも価値があるかもな、とも思う。グランプリは審査員会の相対的評価な部分があるけど、審査員賞は個人の絶対的評価なので。

それで、今年のコンテストで僕が審査員賞に選んだのは、幸洋子さんの「黄色い気球とばんの先生」というアニメーション作品。

野性的にアニメーションが動き展開する。早口なナレーションがまくし立て、観る側に一瞬の隙も与えない、強引な感じが枠にはまらない面白さになって、とても新鮮な気持ちになる痛快な作品だった。

この作品がテーマにしているのは「幼少期の記憶の不確かさ」で、僕も自分の小学校時代のことを思い出してみた。

と言っても20数年前の記憶なので、ほとんど覚えていない…覚えているのは事件的な思い出ばかり、それを断片的にいくつか覚えているだけ。

以前、番組でお話ししたこともある茂木健一郎さんが、Twitterで面白いことを言っていた。

「人間は、一度ついてしまった知恵を捨て去るのは難しい」

20歳の人間が10歳の頃を思い出す時、10歳の思考で思い出すことは出来ない、ということだ。

当時の記憶を、当時のまま思い出すことは出来ない。脳内で再生される、風景は本当に見た風景なのか?

そして、記憶には前後がない。ある出来事の一場面を覚えているだけで、どうやってそこに来たのか?その後どこへ行ったのか?それが分からない。夢とあまり変わらない記憶。

時間が進み、自分が80歳になったとき、小学生の記憶はどう変化しているのだろうか?

そんな事を考えながら小学生時代を思い出していると、ふと、セミを一年間飼い続けたと自慢してきた小森谷くんのことを思い出した。

僕は、別に小森谷くんと仲が良かった訳じゃない。仲の良い友達は他に沢山いたのだが、なぜか思い出すとき小森谷くんのエピソードが多い。

それはきっと小森谷くんが嘘つきだったからだ。「セミは一週間しか生きない」と皆が知っていたのに、小森谷くんは平然と「なんか飼ってたら一年間経ってたんだよね!」と言い放った。

そして最終的にはセミと軽い意思疎通が出来るようになったと言っていたような気がする。

小森谷くんは他にも「僕は、うんこと、おしっこと、ゲロを同時にしたことがあるよ!」という、自慢にもなっていないことを得意げに話してきたこともあった。

あとこれは嘘つきとは関係ないんだけど、給食がカレーライスの日に、給食当番だった小森谷くんが興奮してしまい、袋にしまった給食着をブンブン振り回し始めた。

そしたら、その袋が自分のカレーライスに直撃して、木っ端微塵にカレーライスが爆発してしまった。それ以降、一着だけカレーまだら柄の給食着を、誰かが着ないといけなくなってしまった。

小森谷くんの周りには、なにか奇跡的な面白いことが起こる。そんな感じがあった。

でも、全て30代の頭で当時を思考しているので、実際はどうだったのかは分からない。

何年か前に、小学生の時に住んでいた街を訪れたが、当時は果てしなく遠かった学校までの通学路も、今見たら大した距離はなかった。

小学校のサイズ(特に校庭)も当時感じていたサイズと違った。恐ろしいほど小さかった。なにか魔法が解けてしまった風景にも見えた。

小学校の頃、東武伊勢崎線の谷塚駅の沿線に住んでいた。東武伊勢崎線は、日比谷線に乗り入れていたので、終点が「中目黒駅」だった。

小学生の僕にとっては、谷塚駅から路線図で遥か彼方にある中目黒駅は、世界の果てだった。

さらに言うと、日比谷線は中目黒駅から東急東横線に乗り入れているので、たまに「日吉駅」「菊名駅」行きの電車を見ることもあった。

終点のさらに先の駅なので、当時の僕にとっては、世界の果ての先、完全にそこは空想の別世界だった。

現在、僕は東急東横線の武蔵小杉駅の沿線に住んでいるので、小学生の頃に最果て、別の世界だった、中目黒駅、日吉駅、菊名駅は、生活空間の一部となってしまった。

小学生の頃の、天地も、重力も定まらず、伸びたり膨らんだりしていた、あの不確かな世界はもうそこにはない。目の前にあるのは、固まり定まって、キュッと小さくなった確かな世界。

自分がモノを創るのは、あの世界への憧れもあるかもしれない。

未知な物事への興味が強かった少年時代だった。テレビ番組の「ネッシー特集」や「UFO特集」に、ひときわ胸をときめかせていた。親が演じていたサンタクロースも、本当に不思議な出来事だった。

魔法が解けてしまった定まった世界で、引き続き空想の中で生きたいがために、僕はアニメーションを作っているところもあると思った。

結局、僕のアニメーションは一人遊びだ。少年時代にやっていた一人遊びの延長。

これからもずっと、僕はそうやってアニメーションを作っていくんだろうなと思った。

※間に差し込んでいる写真は、学生CGコンテストの審査員個人賞の副賞として、僕が制作してきたトロフィー。


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