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大学院へ行こう!その3・1年間通ってみて

科目等履修生という制度を使い、仕事の傍ら大学院の授業を受講しました。1年間通ってみての所感を書き残そうと、久しぶりにnoteの記事を作成しました。


続・時間について

以前の記事にも書きましたが、時間とお金の捻出というのは重要なことです。

時間については、週に1日通学する日を設け、授業を受けること自体はそこまで大変ではありませんでした。
わたしは会社員ですが、職種はカレンダー通りの勤務体系ではなく、その中でも比較的個人で勤務日を裁量しやすい部署にいるときに通っていたのと、事前に上司に話を通しておいたことが大きかったと思います。

大変だったのは、むしろ授業外での勉強時間を確保することでした。課題テキストの読み込み、取り扱う本を読んだり映画を見たりすること、発表の準備、レポートを書くための下調べと執筆時間の捻出などがそれにあたります。休日だけでは十分な準備が出来ず、仕事のある日の朝や昼休みを勉強に充てることもしばしばでした。
休日は休んだり遊んだりしたいので、仕事の日にONの気分の延長でひと頑張りするのが、自分には合っていたと思います。

自分で考えを組み立てる訓練

大学の授業は、先生の研究内容を色濃く反映したものがほとんどです。今回わたしが受講した授業も例外ではなく、自分がこれまで掘り下げることのなかった世界を、専門家のナビゲーションを通して深く知ることは、非常にワクワクする知的体験でした。

大学院の授業では、学部生のとき以上に、生徒にも主体性が求められます。
わたしは履修生だったので論文を抱える身ではありませんでしたが、院の生徒は自分自身の研究テーマを持っています。座学の授業でも、自分の研究に引きつけて、その人だけの視点で物事を深めることが求められているような印象を受けました。
学術的専門を持たないわたしには、一体何ができるだろう?どんな視点を深めればいいのだろう?と思い悩むこともしばしばでした。

そんな中で、勉強をしていて面白い!と感じることのひとつに、あるテーマについて考えているうちに、考えの軸となる道筋が不意に立ち上がってくる瞬間というものがあります。この軸が見出せると、これまで考えていたことが、自分の理論を構築する生きたピースとして有機的に輝き出す。
目の前の事象と真剣に向かい合ううちにその境地に至ると、わたしにも「自分で考え、自分の道筋を組み立てる」ことができるのだ、というささやかな自信にもなりました。

過去に学んだことは忘れていない

学生のときは決して不得意ではなかった英語ですが、社会人になってからは使う機会が減りました。今回履修した授業の一つに、海外の論文を読み解くものがあり、自分にとっては久しぶりに時間をかけて英語の硬い文章と向き合う機会でした。

初めは不安の方が大きく、きちんと読めるか心配で、授業についていけるか自信がありませんでした。しかしテキストと対峙するうちに、学生のときに培った「英文を読み解くときの目」が、驚くほどすぐに自分の中から掘り起こされ、戻ってきました。

全体感を掴むときと、個々の文章を掘り下げるときの読み方の使い分け。一文が長いとき、どう手をつけていったらよいのか。重要なことは、どこに書かれているか。辞書を引くタイミング。辞書を引いたとき、どうやって必要な情報を得るか。

これらは明らかに、10代~20代前半に習得した技術でした。10年以上前からほぼ使わずにいたと言ってもよいスキルが、ものの数十分で戻ってきた。もの凄くびっくりしました。それなりの時間をかけて習得したものは、たとえ長く眠らせていたとしても、訓練すれば再び戻ってくる。過去の学びは、きちんと自分の礎になっているのだとわかり、とても嬉しかったです。

おそらく英語に限らず、そういったことはあるのだろうと思います。例えば小中高の勉強というのは、大人になって直接使う機会が少ないものもあります。しかしそれは勉強内容そのものだけでなく、物事を解決したり深めたりするときの手段の多様さを習得しているのではないか、と今わたしは考えています。

この授業では、優の上の「秀」という成績で単位を取れました。自分の努力や、手探りなりの知的営みが、他者に評価されるに値するものであったことが本当に嬉しかったです。

最後に

科目等履修生という制度は便利さのわりにあまり知られていない印象があり、実際に制度を利用している人の体験談もそこまで多くは出ていないように思います。わたしがnoteに記事を書き残しているのも、個人的体験ではありますが、必要な人には重要な資料になりうるかもしれないと考えているからです。

コロナ禍がいつ収束するかが見えないある秋に、自分のためだけに、ただ好奇心と知識欲のために勉強したい、と思い立ち、調べた結果この制度に行き当たり、実際に大学院の授業を受講し、単位を取得した。
わたしにとっては、その流れは理に適ったものだったし、自分で見つけた道を自分で選んで開拓できた、というささやかな手ごたえを感じました。
困難だったがやり遂げた!というほどドラマチックなものではなく、楽しかった!だけでもない。こうしたいと決めて粛々と進めた物事を、一応1年間やり遂げた、という経緯を書き記した次第です。

役に立つから勉強する、ではなく、未知に触れて驚いたり自分の知る世界を少しでも広げたいから勉強する。それで全然いいのだと思っています。むしろ、わたしはそういう勉強が好きです。

これらの記事が、もし少しでもどなたかのお役に立てたら嬉しいです。

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