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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話 その15

皆さま、おはようございます

いかがお過ごしですか?

アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話 その15

前回の投稿では、肝心なところが何個か抜けていたと気づいたので、今回も不思議体験と、妄想のパワーについて体験したことを綴ろうと思う

私が最初に宇宙や星に興味を持ったのは中2の頃

思い起こせば中学2年生という年は多分転機の年だったと思う

理科の先生の宇宙の話がとっても面白かった

「もし1万光年先の星を今見ることができたら、それは1万年前の星の姿で、今その星が存在するかどうかは1万年後にならないと分からない」

初めてこの話を聞いた時は、想像を絶する宇宙の存在の大きさに感動と言うような言葉では言い表せない、衝撃というか、そんな感情を持った

更にその先生の次の話がとても面白かった

確かハッブル望遠鏡だかで数千光年離れた星雲が発見され、それが数千年前に大爆発を起こした星の残骸である事が分かった

その規模から計算すると、夜中ならばその爆発で昼間の様な明るさになる事から、世界中の文献を調べたところなんと日本のある歌人が日記にその様子を記していたそうだ

今記憶を辿って調べたところ、どうやら藤原定家が明月記にその様子を書いていたらしい

http://www.tenmon.org/?column=明月記と超新星%E3%80%80%E3%80%80藤原定家が残した世界に誇る

恐るべし日本人!

それから派生して、その理科の先生は、例えば昔話に書かれている奇想天外な話は、もしかしたらこの類(宇宙や天体関係。果ては宇宙人との遭遇など)なのかもしれないとおっしゃった

その理由は、
人間は何かしらの体験を元にしないで、全くのイメージだけで奇想天外な発想はできない
そうなのだ

我が静岡県が誇る、清水の三保の松原の昔話、羽衣伝説といい

我が富士市が誇るかぐや姫伝説(竹取物語)といい


その話は宇宙人が宇宙船で月方向に向かっていったと解釈するとすんなり理解できはしないか?という事だった

昼間の様に当たりが明るくなり、、、とか
竹がそこだけ光り輝いていた、、、とか
かぐや姫という名の由来は、体から何とも言えない光を発していたから、、、とか
天女が羽衣を着て天に登って行った、、、とか
月よりかぐや姫の使いのものが迎えに来た、、、とか

これは想像だけではかなり限界がある話かもしれない

皆さんがお住まいの地域の伝説はどうですか?

そんな話にワクワクし、一方で天体の動きや、銀河の話にも興味をもった

そして高3の時の数学の家庭教師の先生が教えて下さったカンタン素粒子理論が、分からないながらも私の宇宙や見えない物への興味をかきたてた

この3次元の世界を超えたところに、とんでもない存在があるんだと漠然とながらも確信に近い気持ちを持った

そして月日が過ぎ、2人の男の子の育児に忙しい毎日を送っていた28歳の時、NHKの朝のテレビ小説を見た後にそのままつけっぱなしにしていたTVを何気に見て、その対談の内容に釘づけになった。

今ではスピリチュアル界で有名な山川紘矢、亜希子夫妻が出演されており、女優シャーリー・マクレーンの著書「アウト・オン・ア・リム」を翻訳された話をされていた


私はシャーリー・マクレーンが大好きだったので聞いたのだが、それは当時ニューエイジと呼ばれていた新しいスピリチュアルな潮流で、数々の神秘体験からスピリチュアルな学びを書いたという様な内容だった

その内容は、「意識が現実を作る」だった

その本は湧水社という小さな出版社から出ていた。
スピリチュアルはオカルトのジャンルに分けられる様な時代だった

私はその神秘体験の話が知りたくてすぐに取り寄せてその本を買った

その中に入っていたニューエイジ関連の書籍の案内を見て、その後山川紘矢夫妻の翻訳本はほとんど読んだ

バシャールと出会ったのもその時だ。

今では誰でも知っているが、
「現実と思っている物は実はイリュージョンで、全て自分が作り出している」
というのが不思議で理解し難いにも関らず、どこかでそれを納得して、理解している自分もいた

今まで数々の神秘体験をしてきた自分は、それを否定しきれなかった

そして宇宙の事など聞きたい事がたくさん出てきたので手紙を書いたら、しばらくして畏れ多いことに山川亜希子氏から丁寧なお返事を頂いた。

正直謎が解けた訳ではなかったが、今まで分からないままでいた事がついに解明されていくと興奮した

そして29歳の時に3人目を妊娠した

何ヶ月かしてお腹の赤ちゃんが女の子だと分かった

その時から私は、「色の白い、足の長い、気持ちの優しい子」と毎日願いながら、ありありとイメージして過ごした。

途中喘息発作になりかかり、安定期まで使用禁止と言われていた気管支拡張剤を使う羽目になった時も、健康な女の子をずっとイメージした。

自分の様にアトピーや喘息で苦しまない様に、肌の綺麗な、健康な子をひたすらイメージした

脊柱管狭窄症の腰では上2人の子育てをしながらの妊婦生活は厳しかったのだが、それも明るいイメージをすれば何とかなる気がした。

そして実際十分何とかなった

生まれてきた娘は、私のアトピーも喘息も受け継がず、色白で脚が長かった

あの時山川紘矢夫妻の対談と、シャーリー・マクレーンの著書に出会っていなければ、私はたぶんアトピーと喘息で自分の人生をおとしめていたと思う

思考が現実を作る

思った事が現実になる


この法則は、私には魔法のようだった

それまでの人生も、それを裏付ける体験をしていた
私は興奮して色々な人にその話をしたが、共感してくれる友達はわずかだった

娘のことで「思考は現実になる」を改めて実体験した私は人生に光がさしてきた気分だった

だがしかし、精神的に上向きであれば体も上向きになるかと言えば、必ずしもそうではない事も経験した

実際、沼津で暮らしていた時はあれだけなりを潜めていた喘息が再発し、毎晩の様に軽い発作を起こしていた。

気管支拡張剤を毎晩吸って、3人の子育てを頑張っていた

そのずっと前に次男を産んだ時も、最初は可愛い2人の男の子の母になれたことが嬉しかったほどなのに、次男が生後3ヶ月くらいの時にまさかの産後ウツを突然発症した

この産後ウツは本当に辛かった

自分がどうなっていくのか、言葉にできないほどの、掴みきれない不安がずっと付きまとった

この私が?
アトピーや喘息でもそれなりに明るく、それなりに人生を楽しんで、諦めていた結婚もできて、脊柱管狭窄症も受け入れてやってこれていたこの私が?

スピリチュアルな事も理解していたはずなのに

なぜ私の体はこうも私を苦しめるのか?

実際には、自分が産後ウツだと分かったのはずっとずっと後で、その道のプロの母が私の様子がおかしい事を察知してケアしてくれ、だいぶ良くなってきてから精神的な病気だった事を教えてくれた

精神科の看護士だった母だから分かったことで、当時の私はかなり危険なところまできていたらしい

今は栄養や健康に関する知識を得て、その原因はすっかり理解できた

人間は精神的な安定は、物理的な要素が充実して初めて得られるものなのだということを身をもって理解できた

そのための産後ウツ、その為のアトピーや喘息、脊柱管狭窄症だったのだろうか

そう言えば 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉があるが、ここでもあくまで「健全な肉体」が先で、健全な精神がその後から生まれるのだ。

今これを書きながら思ったのだが、私の人生のテーマは、精神的な物と物質的な物とを融合させて、バランスの取れた状態を体験する、と言うことかもしれない

ここまで読んでくださってありがとうございました

私たちの体は偉大なる、神の傑作だと思う
その体の仕組みを知って、神の傑作を存分に味わおう!


富士市の伝説 かぐや姫(竹取物語)

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