鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇鎌倉伝説 非道の権力者・頼朝の妻
鬼嫁・尼将軍◆未来狂 冗談 作◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

今は昔の鎌倉時代、歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。



( あ ら す じ )

源頼朝は、非道の権力者である。

嫁とともに数々の非道を行って、日本の最高権力者となり、

なお非道を行って、その地位を不動のものにした。

しかし、彼らにも言い分はある。

そう、いつの世にもある「勝者」の言い分である。

けして「褒められた物ではない」、言い分が・・・・。

鎌倉幕府は形としては平家を倒した源氏の幕府である。

しかし、頼朝は鬼嫁に操られていた。

北条政子である。

実際に権力を握ったのは、

桓武平氏流伊勢平氏・平直方流の北条(平)家である。

名目将軍家補佐役の執権家として、

第十四代執権北条高時の鎌倉幕府滅亡の時まで、

北条家の系図の本流は「北条得宗家」として、執権政治を独占して行った。



この作品のエピソード

 まぐまぐプレミアム
第一弾(第六章)・「鬼嫁・尼将軍」

第二弾・「たったひとりのクーデター」

第四弾(第一章)・「八月のスサノオ伝説」

第五弾(第五章)・「侮り(あなどり)、

第六弾(第四章)・「茂夫の神隠し物語」

第七弾(第三章)・「仮面の裏側」第三弾「冗談 日本に提言する」

第八弾(第二章)・「倭(わ)の国は遥かなり」

の中から未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)が、

「日本史異聞」として歴史大河推理小説に構成しなおして挑みます。


この日本史異聞シリーズの中で、主人公の小説家「茂夫」は、

日本の歴史の転換期に大きくかかわる、

国民に人気が高い三人の人物たちに、

見事に共通する、二つの定義じみた事がある事に気付いた。

ひとつは、三人の何れもが、新生日本のきっかけは作り上げたが、

その政権基盤の完成を目にしていない事である。

そして今ひとつは、

何れもが少数の供回りの防戦の中、自刃により落命している事である。

源義経・・・衣川館の包囲自刃である。(供回り数十名)

織田信長・・本能寺の包囲自刃である。(供回り数十~三百名)

西郷隆盛・・城山の包囲自刃である(供回り四百名)

この結果の意味するものは、何で有ろうか?

この作品「日本史異聞」は、六部作シリーズの作品で、

(第一章・八月のスサノウ伝説)、(第二章・倭の国は遥かなり)、

(第三章・鬼姫、尼将軍)、(第四章・茂夫の神隠し物語)、

(第五章・侮り)、(第六章・たった一人のクーデター)、

以上の順番で読むと、一つの大きな日本の歴史の流れに成っています。

(勿論、別々の作品として、違う内容の書き方で、

独立もしていますので、念のため・・・。)

        では、お楽しみください。



これからの展開・目次

第一話(古い友人の死)

   第二話(蝦夷・エミシと読む)

   第三話(非道の権力者)

   第四話(上皇の院政)

   第五話(源頼朝と妻政子)

   第六話(木曽義仲)

   第七話(異母弟・源義経)

   第八話(奥州藤原家・泰衡の最後)

   第九話(もう一人の弟・源範頼)

   第十話(政子の父・北条時政)

   第十一話(尼将軍と承久の乱)

   最終話(誰もいなくなった)


        ◆鬼嫁・尼将軍◆ 

        第一話(古い友人の死)

 
十月の或る日、茂夫の古い友人が死んだ。
 
およそ四十年近い親交があるが、近頃はめったに会えなかった。
 
互いに、懸命に生きて来たのだ。
 
亡くなったのは、茂夫の大学生時代の友人で、

実は大学も違い、学年もひとつ上だったのだが、付き合いは深かった。

何せ下宿仲間と言うか、ボロアパートの共同生活者として、

青春の一時期を一緒に過ごした仲だった。
 
昭和四十年代初頭の頃の事である。

団塊の世代の青春はエレキブームに始まり、ビートルズに熱中し、

全学連の闘争闘争末期に揺れていた。

今で言う時代のキーワードは、いざなぎ景気、フーテン、3C時代で、

世の中は年を追って豊かになりつつあった。
 
ボロアパートは、管理人夫婦を除くと、五部屋あったのだが、

それぞれに個性的な男子大学生ばかりが入室していて、

気分だけは梁山泊であった。
 
バイトや仕送りで誰かに金が入ると、

その晩は安いウイスキーの酒盛りで大いに語り、青春を謳歌したものである。
 
たまに、誰かの友人が混ざる事も有った。
 
そう言う時は、大体差し入れに酒持参が、暗黙の了解と成っていた。
 
外に飲みに行く程の金は、誰も持っては居なかった。

たとえ行っても、屋台のおでんやが関の山で、唯一の贅沢だった。
 
本当の処、月の後ろ半分は全員が文無しに近く、質屋通いも交代でしていた。
 
それでも、学生時代には「惨め」などとは思はない。
 
練馬区練馬の、

西武線練馬駅から徒歩三十分も離れた一室四畳半の安アパートで、

壁も薄く、怒鳴れば部屋に居ながら隣と話せた。

当時の学生など、それでも贅沢な方だった。

当時はまだ映画館もがんばって居て、洋画なら「初代007」、

邦画なら高倉健の「網走番外地」が全盛であった。
 
連れだって、銭湯にも通った。

東京二十三区内と言っても、まだ道筋のそこかしこに畑が残っていた。
 
風呂付の部屋など、学生には手が出ない、それが返って、

「ボロアパートに同居」と言うだけで一生の友に成れた時代だった。

 
その一人「西山」が、六十才に届かないうちに亡くなった。
 
死因は、「胃癌」だと言う。
 
連絡は「西山」の細君からもらったが、細君も当時のボロアパートに、

西山を訪ねて良く通って来ていたから、共通の知人ではあった。
 
二人は、西山の卒業を待って同棲し、結婚し、家庭を築いてきた。
 
残念だが、子は生せなかった。
 
保険会社に三十七年余り勤めて、地方の支店を廻っていたが、

八年程前にようやく鎌倉郊外の生まれ故郷の地に落ち着いて居た。
 
ボロアパートのメンバーから死人を出すには

「まだ早い」と思ったが致し方ない。
 
それで、いきなり三十七年前に戻ったように、

四人の男が鎌倉に集まったのだ。
 
その時の話しが充実していたので、その様子を、茂夫は今書き綴っている。

 
当日は、久しぶりに集まって、メンバー皆が気を高ぶらせて居た。
 
葬儀が無事に済んでも、誰しもがこのまま分かれる気分では無い。
 
どう言う訳か、亡くなった西山の他にもう一人、運良くと言おうか、

「竹内」と言う私と学年が同期(学校は違う)のやつが、

同じ鎌倉で進学塾の講師をして居て、

そこの家に一同、一晩厄介になる事になった。
 
「竹内」は、長い事県立高校の社会の教師をしていた。
 
今は、教員の職を辞している。

本人の自称によると熱血教師で、文部省指示の「報告書」書きより、

学生とのふれあい教育に熱心で、為に出世に縁が無く、

今は退職して進学塾に職を得ている。
 
他に埼玉で弁護士をやっている「山田」、

静岡で社員十数人の小さな会社をやっている「堀」が集まった。
 
後は、沼津から参加した私、大岡茂夫と言う事になる。

 
メンバーが揃えば早速、酒盛りである。

当主の竹内以外は、略礼服のままだが、仕方がない。
 
「おい、大岡、おまえ今何をやっている。」
 
山田に声をかけられた。
  
「今リストラで、遊んでいる。」

細かく話せば長くなるで、適当に返事をした。
 
友人を前にして、無職と言うのも肩身が狭いが、近頃では珍しくもない。
 
三十六年勤めて、中堅電機メーカーの一次下請け企業の部長まで行ったが、

極端に仕事の受注が減り、希望退職した。
 
その後は、小さな事業をして居るが、人に言うほどの仕事量も無い。
 
一言で言うと、無職みたいなものだ。
 
「そりゃ、悪い事を聴いたな、遊んでいて、嫁さんは大丈夫か?」
 
山田は、弁護士らしく茂夫の家の中まで踏み込んできた。
 
すかさず「山田、立ち入りすぎだぞ。」と、堀がたしなめた。
 
「悪い、悪い、何せ民事で嫌な事ばかり扱っているのだ。

余計な心配をして済まん。」
 
「このご時世だ、いやな話も多いさ。」
 
竹内が助け舟を出す。
 
この仲間の良い処は、口を挟んで誰かが気分を悪くする前に、

サッとホローする役回りが、それぞれに出来る処だ。
 
「いやー、俺も熟年離婚の仲間入りが心配だよ。」と、茂夫もかわした。
 
皆思い思いに座って、グラスを傾け、気分は学生時代である。
 
だが今の一同は、互いに重い荷物を背負っているのだ。
 
それが、手に取るように判る。

長い歳月が、それを各自の顔に刻んでいた。

 
「西山の嫁さん、可哀想で見て居られなかったな。」と、堀が言った。
 
見るからに、憔悴していた。
 
「その事だが、俺、少し相談を受けた。」
 
山田が、西山の「嫁さん」の相談を「世間話」と前置きして話し出した。
 
西山の「嫁さん」の話によると、西山の兄嫁と、

揉めて居る事が有ると言う。
 
それが、あまりにも突拍子も無い事なので、一同があきれて聞いたのだが、

その話がきっかけで永遠十五時間に及ぶ長話に成るとは、

誰も予想しなかった。
 
実は、このメンバーの誰しもが、

気分は学生時代の徹夜話の時間に、「昔し帰り」をして居たのだ。

 
要約すると西山は次男坊で、兄が居たのだが、

二年前に癌で亡くなって、

兄嫁が遺産の整理をして話しがややこしく成った。
 
西山の父親はまだ健在なのだが、少しアルツハイマーの気が出て来ている。
 
それで、西山の土地や家も父親から口約束で

「もらった事」に成って居たのが、名義はいまだ父親のものであった。
 
自分達の方の家屋敷は、ちゃっかり名義を治している事から、

名義の事は以前から知っていた「ふし」がある。
 
それでこの二年間、しつこく

「父親の財産は西山の住む方の家屋敷だけだから、

均等に二等分してくれ。」と、言って来ていた。
 
言い分としては、

「長男で親を見て居るのに親の全財産に弟夫婦が住んでいる。」

と言うのである。
 
取れそうなものは、何でも取ってやろうと言う勢いである。
 
西山にすれば、兄弟で親の財産分けは「終わっているもの」

と思っていたので、相当のショックらしく、それで体調を壊した。
 
「そんな事、世間では通らないだろう。」
 
竹内が叫んだ。
 
茂夫は、「説明が付く話じゃないのか、身内の間で・・・。」と、言った。
 
「それが、そうでも無いのだ。」
 
山田が、難しそうな顔をして言った。

西山夫婦が「うかつな話」であったが、
 
兄嫁の方は、弟夫婦の住む父親名義の家屋敷の固定資産税なども払い続けて、

しっかり既成事実を作って居た。
 
「すると、始めから狙っていたと言う事かね。」と、竹内が言った。
 
西山の家内によると、この葬儀の通夜の晩から、

強い姿勢で、財産分与話を蒸し返して来たそうだ。
 
「可愛そうに、西山の嫁さんの方が、この話、分が悪い。」と、

山田は言った。
 
「父親はその事を何と言って居るのだ。」と、茂夫は聞いた。

 
山田の話しによると、現在世話に成っている兄嫁が言い出した事なので、

「わしは良く覚えておらん。」と、

本音はともかく、争いから逃げて居るようだ。
 
父親は小さく成って、日々を暮らして居ると言う。
 
「世間ではたまにこの種のトラブルは聞くが、ひどい嫁だな。」
 
堀が、溜め息をつくように言った。
 
正に、合法的犯罪である。
 
茂夫が、「まったく鬼嫁じゃないか。」と言うと、

山田が「この手のトラブルは民事ではいつもの事さ。」と、言った。
 
堀が「鬼嫁、鬼嫁、・・・うーん」と、やるせなさそうにつぶやいた。
 
そこへ竹内が割り込んで、

「おい、取って置きの鬼嫁の話してやろうか。」と言った。
 
話し出したのが、竹内いわく「史上類を見ない鬼嫁」だと言う、

北条政子の話である。
 
いささか、中年四人組みの「ぼやき」も入るが、お許し願いたい。

            第二話(蝦夷・エミシと読む)に続く

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              ◆鬼嫁・尼将軍◆

             第二話(蝦夷・エミシと読む)

「何んだ、取って置きの鬼嫁って。」
 
山田が身を乗り出した。
 
いつもひどい話にばかり付き合わされて居るから、

「並大抵の、事では驚かない。」と言うような事を、

山田が竹内に言った。

竹内の方は自信満々で、
 
「まあ、聴いて見ろよ。かなり強烈だぜ。」と言って、話し出した。

 
日本の長い歴史において、つい百年程前まで、

権力を勝ち取って英雄・女傑と呼ばれ、後世に名を残した人物は数多い。
 
しかし、それは全て「血塗られた英雄」である。
 
当時の事、「争い事の決着が殺し合い」になのは判るとしても、

「骨肉相食む争い」は、後世の我々が目にしたくない部分である。
 
自分達の祖先の英雄が、「悪い人物」とは誰も思いたくない。
 
学校の歴史の時間など、「何年頃、何々がありました。」だけで、

深くは教える時間も無い。
 
したがって、あまり「正しい現実」を取り上げられない。
 
国民に誇りを持たせたいから真実は教えないでは、国民を馬鹿にしている。
 
世間の方も不愉快な話より、楽しい夢のある出世話が、良いに決まっている。
 
しかし、事実を捻じ曲げて美化しすぎるのも「いかがか」と思う。
 
なぜなら、そうした上面(うわつら)の建前が、目いっぱい美化されて

現代の世に氾濫し、真実を覆い隠しているからだ。

映画にテレビに登場する彼ら歴史の主人公は、皆、格好の良い英雄で、

まるで、庶民の味方正義の具現者のように描かれ、

庶民はその成功に拍手を送る。
 
その幻想の中で、間違った意識が育って居る。
 
虚構に満ちた心構えで子育てをし、虚構の中で生活する。
 
理想的な建前は、心地よい「麻薬」のようなものだが、

それを現実と思う事ほど、危険なものは無いのだ。
 
この物語は、北条政子と言う女傑の闇の部分を追って、

「平安時代から鎌倉時代初期まで」の事に思いをはせるつもりだ。
 
竹内は、そうした趣旨の事を言った。

 
その歴史の前置きとして、

日本民族のルーツの一つ、蝦夷(エミシ)の存在を語りたい。
 
また、此れからの展開に、折に触れて顔をだす征夷大将軍について、

その「本質的成り立ち」を知って欲しい。

なぜなら、単一民族を自認する日本人の歴史観において、

あまりにも「矛盾する役職名」だからである。

歴史の流れのある時点から、

実質最高権力者の位となった征夷大将軍の最初の意味を、

日本人は、忘れてはならない。

それこそ日本人が、

最初から日本人ではなかった事を意味しているからだ。

日本人は、自分の祖先が「列島外部からの侵略者で有る」と言う現実を、

歴史から消し去ってしまった。

そして神話を捏造した。

其れ故日本史の中で、意図的に抹殺された、

蝦夷(エミシ)の存在から始めないと、それは明かせない。

古代史の時代に遡ると、

日本列島には一万年以上前の「縄文、文化」の以前からの原住民族が居た。

此れも遺伝学的に言うと、単一ではなかったらしい。

そこへ、大陸から別の種族が移動してくる。

やがて、原住民と古い渡来人が同化、縄文文化が始まる。

大陸からの列島渡来は恒常的に続いていて、

徐々に進歩した文化がその都度もたらされていた。

倭人が侵入してくる頃には、

同化してひとくくりに蝦夷(エミシ)族と成っていた。

そして、何時の頃からか稲作も始まっていた。

蝦夷は、

恐らくは古い時期の大陸からの「稲作・渡来民族と縄文人の同化民族」

であったと推測できる。

縄文の遺跡物の出土に穀物や籾が多い事から、

原住民族はその歴史の中で、

稲作文化を中心に独特の文明を築いて来たはずだ。

発掘すると、「そこら中」から、その痕跡は見つかる。

日本列島の相当広い範囲に、

縄文人の末裔(蝦夷)は、営みを続けて来たのだ。

しかし、大和朝廷の記述には、

蝦夷(エミシ)は文化が遅れた、農耕を知らない「狩猟民族」と、

事実以上に「原始的」に記述されている。

つまり倭人が先住民族を押しのけ、列島を占拠する為には、

蝦夷は限りなく原始的である必要があった。

それで、稲作は「弥生時代に入ってからだ」と、長い事言われ続けて来た。

長い歳月をかけて伝わった文化・文明を、

簡単な線引きで時代の区分けが出来るはずがない。

それでは農耕文化の縄文人は、日本列島に居なかった事になる。

もっとも此れを認めては、「天孫降臨の伝説」は成立たない。

為政者を神格化して民心を操るのに都合が悪いのだ。

だから、都合よく捻じ曲げられた。

蝦夷(エミシ)の生活圏は、恐らく集落単位で、

確たる国の体は成さなかったかもしれないが、

集落分布的なその支配地が、

何処から何処の範囲に及んだかは、不明である。

或る時期(およそ三千年前)から、

日本列島に後発で渡来して来る部族の侵入が始まる。

進入部族は、「文化の進んだ」文字と鉄を持つ農耕民族で、

朝鮮半島経由で、島伝いに日本列島に侵入して来る。

続いて朝鮮半島に土着して小国家を形成していた海洋民族も、

列島に侵入を始める。

鉄は、文明の「利器」であり、征服の「武器」であった。

海側からも、琉球列島経由で、

黒潮に乗って丸木舟や筏(いかだ)の様なもので、海洋民族が侵入して来る。

この農耕民族と海洋民族は、

互いに覇権をかけて争いながら、支配範囲を拡げて行く。

その両者の勢いに押されて、少しずつ日本列島の東部(関東)

・東北部(奥州)側に追い詰められたのが、

蝦夷(エミシ)と呼ばれた先住民族である。

西日本側に蝦夷(エミシ)の痕跡が少ないのは、

或るいは早い時期に後発の進入農耕民族と同化し、

「痕跡が残らなかった」のかもしれない。

処が時代が進むと、日本列島の西側で、

後発農耕民族と後発海洋民族が、同化してしまい、

大和朝廷と言われる「強力な国家」を成立させてしまう。

その過程を神格化したのが、「天孫降臨の神話の世界」である。

一方的に大和朝廷側から見ると、

まだ朝廷に服従しては居ない東側の野蛮な「民族」が

蝦夷(エミシ)と言う事に成る。

この蝦{夷}を武力で屈服させ、

朝廷に服従させる為の軍の総司令官が、征{夷}大将軍である。

此れは当時の現実としては、

「他民族」に仕掛けた「侵略軍」以外の何物でも無い。

この後出てくる鎮守府将軍なる役名も、当初は、

今で言えば「占領地区、軍司令官」であったのだ。

 
「こうした事実を言っているからと言って、俺は、

多民族国家論者ではないからな」念の為に、言っておくぞ。
 
「民族問題で、今更過去を蒸し返しても、誰も得はしない。」
 
竹内は、歴史の事実と、自分の思想の違いは、

その都度「はさみ」ながら、熱心に説明している。
 
さすが専門分野で、他の我々が口を挟む余地は、余り無い。
 
長い歴史の中で同化して、

国民のコンセンサスがあれば、それに異論を唱えるものでは無い。
 
どちらかと言うと、この大別する民族三者が同化したのが、

まさしく日本人と言える。
 
また厳密に言うと、以後のそれぞれの時代ごとに、

それぞれ日本に渡来し、定住、帰化した人達も数多いはずだ。

今日でも日本国籍を取得した場合は、日本人である。
 
ここで言いたいのは、そうした民族問題ではなく、

いつの間にか軍を掌握した者が、

「実質の最高権力者になってしまう恐ろしさ」だと竹内は言った。
 
「そりゃーそうだ、文明が進んだ先の昭和の大戦でさえでも、

軍部の暴走は現実にあった。」と、山田が同意した。
 
「その事だが、日本人のルーツが、中国大陸や朝鮮半島としたら、

現状の国単位は別にして、

民族学的には同一種族の内乱、と言う見方も出来る。」と、竹内は言った。

「そうだ、アジアがいつまでも過去を引きずっている間に、

ヨーロッパに置いて行かれる。」と、私が言うと、

「歴史は歴史、未来は未来で考えられないのかなぁー。」と、堀が言った。

いずれにせよ、どんな民族でも

その成立過程での同化(混血)はあったはずで、

排他的仲間意識でものを考えるのは、あまり知恵を使って居るとは言えない。

 
朝廷は隼人族(海洋民族)と大陸からの渡来民族(農耕民族)との

混血が進んだ同化部族の支配者である。
 
九州、四国、中国、畿内、北陸、中部の各地を手中に収めると、

都を大和の国に定めいよいよ関東・東北地方の平定に乗り出す。
 
当初蝦夷(エミシ)は、言語がまったく違う為

「通訳が必要であった」と言うくらい異民族であった。
 
まだ日本列島の東側半分が、支配地外だった朝廷は、

蝦夷(エミシ)の住む土地の侵略を始める。
 
奈良時代の末期、初代征夷大将軍に任じられたのは、

大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)であった。
 
この最初の討伐先は東海道地区(今の静岡・神奈川・山梨など)で、

後に大伴の後を継ぎ征夷大将軍になる

坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が副史として同行している。
 
この二人の働きで蝦夷(エミシ)は、東海を失い、関東を失い、

少しずつ北に追いやられ、最後には東北の地で降伏、

大和朝廷の支配下に置かれる。
 
つまり、蝦夷(エミシ)は後発進入民族に隷属したのだ。
 
当初は、「俘囚(ふしゅう)」なる言葉で、

後の「米国のインデアン居留地よろしく」、制限、管理されて居た。
 
人間やる事は、似た様なものである。
 
一部は蝦夷(えぞ・字は同じ)、今の北海道に逃れ、

同じ蝦夷系の蝦夷地(北海道)の住人を頼り

アイヌと名乗る人達に成った。
 
平安時代初期、この一連の武力行動及び占領地運営の成果で、

軍を掌握した坂上田村麻呂は出世を重ねて行く。
 
戦いに勝ったやつが、「えらい」のだ。

亡くなる頃には従二位大納言、右近衛大将、征夷大将軍などの官位を得、

娘の春子を桓武天皇(第五十代)の后(きさき)として

入内(にゅうだい・朝廷に輿入れする)させている。
 
亡くなると追記で、桓武(かんむ)天皇から正二位を贈られる出世を果たし、

征夷大将軍が、軍と政治を「一人で握る」、

後世の政治権力のモデルケースに成って行く。

余談だが、この桓武天皇の皇子(みこ・王子)を祖とするのが、

後の桓武平氏である。

 
「やはり武力が正義。世界に共通する、

もっとも人間の悪い所だ。」と、茂夫は言った。
 
「人間、欲の塊だからな、力を持つと誰しも人が変わる。」
 
竹内が答えた。
 
「力を持っても謙虚、と言うのは建前の幻想か。」と、山田が言った。
 
内心、茂夫は「これは小説の良いネタに成りそうだ。」と思った。
 
「大岡は、昔から分析好きだから、時々解説してくれ。」と、堀が言った。
 
茂夫はリストラで職を失って、初めて現実の社会で日々に追われる生活から、

一歩下がって冷静に物を見る機会を得た。
 
思えば、この四十年近くを、考える時間もなしに突っ走ってきたようだ。
 
まあ、大体の人間の一生が「そんなもの」だが・・・。
 
それで、連中には内緒だが、下手な小説を何点か書き上げて居る。

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