なんとなく、感じ取るちから その神秘
ひとのなんとなく、感じ取るちからは侮れないものだ。
まず、噂や人の話を真偽を確認せずにそのまま鵜呑みにすることがよくないのは言うまでもない。
わたしは、以前、対人操作にひっかかりそうになったことがある。
「他人の言うことを確かめもしないで、鵜呑みにするってどうなの?」
と言われて、ほんとうにその通り過ぎて素直に謝った。
ただ、時間が経ってからわかったのだが、確かにそのような一面を隠し持っている人だった。
時間が経ったいまおもう。「もし、他の人の話だったら鵜呑みにしただろうか?」と。
なんとなく感じ取っていることと、一致していたからこそ信じ込んでしまったのではないか?
内在しているものを感じ取っているからこそ、信じ込んでしまうのだ。
もし、ほんとうに根も葉もないことなら時間の経過とともに、必ず真実は明らかになる。
そうでないなら、ある意味ではそのとおりの人なのだ。
ただ、相手や環境によって顕現するか否かの違いでしかない。
現実の言動こそが、そのひとである。
逆に言えば、顕現しないのであれば、内在していないのだ。
内在していないものは、決して顕現しないのだから。
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