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帝王切開

書き殴る。

とにかく書き殴る。


本当に今日という日に産まれたのか、と疑問を持ち出すとキリが無い。

それでも物心ついた時から
「07.19」

この日が誕生日なんだなぁ。
という感覚で生きてきたからそうなのであろう。

誕生日、

以前ほど誕生日を迎えて、

「おぅ、祝ってくれ!祝ってくれ!」
的なマインドでは無くなったが
やはりまだまだ誕生日は嬉しい。

「未羅君、お誕生日おめでとうございます…。」
と、ちょっと照れ臭そうに渡してくれるモンスターエナジー。
そんな事にさえ俺の心は舞い踊る程だ。


毎年毎年、祝ってくれる友がいて、
祝ってくれる会というのがある。


恐らく1年通してリアルに1番か2番に楽しいと思える誕生日会。

昔からの友達とか気がついたら付き合いも長くなった友達とかが集まってお祝いしてくれるんだけど、毎年大体自分で感極まって泣いたり歌ったり語ったりするって言うのがいつものオチだ。

誕生日という日を重ねる度に、
誕生日とその前の誕生日の間隔が短いなと、
大袈裟に言えば人生の儚ささえも感じてしまう。

それ程に時の経つ早さに異常さと恐れさえも感じる。

しかしそんな事をいちいち考えようが、感じようが、この「誕生日」という日は何よりも俺を産み落とした母親に感謝したいとも思えるようになったのだ。

「生まれて来てくれてありがとう♡」

「生きてるだけで偉い♡」

はぁ?笑

まじでクソ喰らえ。

出産時、確か3600~3700gという
割かし大きめのサイズで産まれた俺を、
母親は自らの腹を裂いて
俺をこの世に引きずり出した。

小さい頃一緒にお風呂に入る度、
帝王切開の跡をおもむろに眺めてた記憶がある。

何て奴だ全く。


とにかく1人遊びが好きだった。
闘いごっこは自分と自分にしか見えない架空の透明人間。

1 VS 1の日もあれば、
1 VS 30みたいな日もあった。

保育園のお昼寝が終わり、おやつを食べて、
その後家族がお迎えに来てくれるまでの遊び時間。
誰かと何かをして遊ぶ事も嫌いではなかったけど、とにかくソロ闘いごっこか女の子を追いかけ回してたか、女の子に追いかけられていた記憶しかない。

このまま育ってしまえば危険な人物になっちまうと先生方は恐れをなしただろう。

保育園側からウチの母ちゃん、何を言われてたんだろうなぁ。

特にこれといって「あぁしなさい、こうしなさい!」って言われた記憶は無い。


小学校に上がる前に、親が離婚した。

見ず知らずの町に母と妹と引っ越して、
小学生から17歳まで過ごした。

母はとにかく朝から晩まで滅茶苦茶働いてた。


中学生になり、物心つきだす。


地元の北海道は暗くなるのも早いし、
冬は雪だって沢山降ってるし、
部活終わりは親からの車送迎が
無きゃかなりしんどかった。

「うちは車持ってなくてさぁ…。」

友達に言う事なんて恥ずかしくて出来なかったから、歩くか、友達の親御さんの車に乗せて貰って家に帰っていた。

この辺で劣等感を覚え出す。
親、家族へ対しての反抗が始まる。


高校は希望してた学校には金銭面の都合もあり行けなかった。
大して行きたくなかった公立の職業高校へ入った。

16歳の学校祭で初舞台。

確かベースは先輩で、
MONGOL800の「小さな恋のうた」1曲。

盛り上がった。
楽しかった。1曲で。笑

その後先輩はThe GazettEのコピー
やっててねぇ〜。悔しかった。

そこからは良いヤツらや先輩ばっかで、
思い出もいっぱいある。


自分が地元のクラブとかに行き出して、
ステージ立つようになり出してから
何故か知らんけど人に距離置かれた。

仲良かったのにな。

続けてたバドミントンも顧問や同級生、先輩と仲悪くなって辞めた。

悪い事も結構して学校も辞めた。

その位から家族との交信を切る。

母は滅茶苦茶働き者で尊敬した。
でも尊敬の念を薄らせる程に
彼女は酒と煙を好んだ。

というのが当時の印象。

初めての一人暮らし。
函館市内の3万円の1Kマンション。

多少自分でもバイトして稼げたけど、
食う物に困った。

「そうかぁ、母ちゃんのお陰でこれといった
嫌いな食べ物なく生きられたのかもなぁ。」

何故か寂しくて泣いた。

その当時バンドをやってたメンバーが
毎晩曲作りで家に来てて、
部屋の中はヤニ臭く、壁は薄ら茶褐色となっていた。

楽しかったなぁ。

18歳、

1人で決めて、1人で東京に出ることにした。

同級生の友達なんて今でもいないし
名残惜しい事なんてなかった。
コールセンターのバイトで知り合った
10歳上位の先輩とお別れは辛かったけど、
東京へ行く事を勝手に決めた。

その位で久しぶりに親に会った。


大喧嘩。


そして19歳。

お金が無かったから飛行機なんて乗れずに、
フェリーに乗って、青森市からバスに乗って、
トータル16時間くらいかけて東京・上野までの道を選んだ。


地元の人間とはフェリー乗り場でお別れ。

もう一生会わない人間ってのも出てくるんだろうな、とか思ってたら母が泣いてた。

俺も泣いてた。

そこから暫くして、母が癌を発症する。

抗がん剤で髪の毛が無くなった母へ
ちょっとオシャレな帽子をプレゼントした記憶がある。

その病気は2年くらいかけて落ち着いたんだけど。

その辺からしょうもない自分を親や家族は認めてくれたような気がする。


なんというか。


結局DNAっすよね(笑)


親が俺の事を許すとか、
俺が親の事許すとかはかなりどうでも良くて、
なんか知らんけど母ちゃんとはもう何年も仲が良い。

妹とはそうでも無いけど。


会う度、会う度に昔の話をされて、
母ちゃんに謝られる。

アホかと思うほど根に持ってない俺は
アホみたいな顔してビールで乾杯を促す。

この話の大したオチなんて
全く考えてないんだけど、

感謝しなきゃね😊笑


産み落とされたことに
特段感情が無かったとしても、
今こうやって産み落とされた人間として
感情持ってるって事はさ、

腹切ってでも生かしてくれた人が
いてくれたからだよ。
って思ったわけ。


なんか今年はそんな事想う
誕生日を迎えました。


母ちゃん、ありがとさん。


毎度誕生日に「愛してる」だなんて恥ずかしい言葉送ってくれる母。酔ってんだろうね。

何十年先に倒れても悔いのない人生だったと笑って貰えるようにさ、年1は会いに行きますから。

何十年先に入るであろう棺桶には
普段飲んでるビール、段ボールで差し入れられるようにしとくよ。

「愛してるよ!」って言葉と一緒にね💩


まじうんこ💩


はずかしー!💩


うんこうんこうんこ💩



年齢非公開系バンドマンが
何となくカッコイイとかさ、
謎に包まれてる感に憧れながらいたけど。

最近の若いバンドマン年齢言っちゃう人多いよね、まぁ良いけど。


「産まれてきてくれてありがとう♡」

「生きてるだけで偉い♡」

とかまじなんなん笑


まぁいいや、めんどくせぇ。


また、俺を始めますわ。

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