そばにいて欲しい、そんな少しの願いと。

はろーえぶりわん、Miqnです。
今回はふと思うことをただただ書き綴るだけです。  

トモダチって、なーに?

皆さん、友達っていますか?
大抵の人が、「いるよ!」って言ってくれると思います。
でも、私はたまに分からなくなる時があるんです。

トモダチって、なんだ?

って。
同じクラスなら友達。
同じ部活なら友達。
一緒にご飯食べたら友達。

どれも正解であり、不正解だと思うんです。
「友達」という言葉が万能すぎて、「友達」という括りに入れてしまっていた方が楽で。
そんなまやかしの「友達」が、私は何かしっくり来ない。
友達にも「片想い」という現象は存在するのでは無いか。それが怖い。

最近は悩む頻度は減ったし、この文章を読んでくれている人は特に(?)、私の「自慢できる友」だと思うから、心配はいらないと思うが。

上辺だけの付き合いの恐ろしさというか、底知れない怖さがあるよねって話でもあるのかも。


愛情と恋慕と、それから憧憬と。

まず何が違うのか、辞書的な意味から探っていきましょうか。(コトバンクより引用)
愛情→性愛の対象として)特定の相手を恋い慕う心。
恋慕→そばに行きたいといちずに恋しく思う
憧憬→あこがれること。心が奪われ、うわのそらになること

愛情がいちばんストレートですね。こんな真っ直ぐな感情、眩しくてみれないよ。
恋慕も真っ直ぐで眩しいけど、まだ見れるかなって感じがする。多くは望まないこの感じ、好きです。
憧憬が1番よく使うんじゃないかな。所謂「推し」っていう感情に1番近いのかも。

届きそうで届かない。この距離が愛おしいし、しんどい所なのかな。なんて。
これは何に対してもそう。
「届かない」が「届く」に変えられるように、努力しないといけないんだ。


以上!駄文ですねぇ。
それではまた。

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