見出し画像

死んでたかもしれなかった①

※食事中に読むのはおすすめしないです。

20歳、大学2年生の学園祭最終日。英語塾でのバイトを終えたわたしは、サークルのみんなが待つ学祭の打ち上げに向かっていました。会場の居酒屋近くに車を停めて道を渡ろうとしたそのとき。なぜか目の前に強い光が迫ってきて、次の瞬間に意識を失いました。
気づいた時には道に倒れていて「よくわからないけどやっちまったのかもしれない、やばい」と思い、いつのまにか救急車にいました。

バイクに轢かれました。

(ちなみに6mぐらいの狭い道だしと横着して横断歩道を渡らなかったわたしが悪いです。心配性だから車が来ないかはよく確認したつもりだったけど、50ccのモトクロスバイクはライトが小さく気づけなかったみたい)

総合病院に搬送され、長時間の治療や検査を経て集中治療室に運ばれました。骨盤を骨折していたからです。内臓への影響があるかもということで3日ぐらい集中治療室にいました。(内臓は大丈夫だった)
ここから私の入院生活が始まります。

幸いにもきれいに骨折していたので手術は必要なく、治療も特になく、ミッションは「じっと骨がくっつくのを待つ」。まじでこれだけ。
体も起こせず寝返りも打てないので、まる1ヶ月は仰向けの完全寝たきり。もちろんトイレにも行けないので尿道にカテーテルを挿入された状態で1ヶ月過ごします(めちゃ痛かった、すぐ慣れたけど)。

メソメソ期

入院してしばらくは、痛みと不自由と不安でメソメソして過ごしました。老人ばかりの整形外科病棟は、夜中になると叫ぶおじいさんとかいるし怖いし痛いし、しくしく泣いては鎮痛剤のようなものを打ってもらったりしました。首に何本も刺さっていた点滴がいつのまにか外れてベッドが血まみれになったりして怖かったです。
お見舞いに来てくれた家族や友達や恋人の顔を見ては泣いていました。

そんなメソメソ期を経てやっと慣れてきた入院生活はというと、起床とともに朝食が運ばれ、本を読んでテレビを見て眠くなったら寝て、昼食でまた起こされ、おやつを食べるころに誰かお見舞いに来てくれてお喋りし、いただいたDVDプレーヤーでSEX AND THE CITYや24を一気見し、夕食を食べ、また本を読んだりテレビを見たらもう消灯です。消灯後もテレビを見て、眠くなったら寝ます。好きな時に好きなことをして食べて眠る、こんな生活をしても誰にも怒られないどころかみんなチヤホヤしてくれる。


そうです、控えめに言ってパラダイスでした。

内科系の病気でなく、いつかは治る怪我だったので呑気なものです。ルームメイトのおばあちゃんたちとも仲良くなり、年が近い看護婦さんたちとも仲良くなり、毎日とても楽しかったです。寝たきりな私の体を拭いたり下の世話までしてくれる看護婦さんたちとは、もう自分のすべてをさらけ出せるような謎の信頼関係が生まれているような気分です。
そんなパラダイス生活ですが、1つだけ深刻な悩みがありました。


まじでうんこが出ない

まじで、まじで出ない。今の比じゃない。寝たきりなので腸も動かないんですよ。まじで出なすぎてお腹痛い。

一丁前に「闘病日誌」なんつってつけていた日記(なぜか横浜ベイスターズの浮かれたノートだった)を読み返すと、怪我のことよりも「今日もうんこ出なかった」「お腹痛い」「明日はうんこ出ますように」ばかり書かれていて笑います。毎日うんこのことばかり考えて暮らしていました。

下剤を飲んでも摘便してもらっても何しても1週間とか余裕で出ないので、毎週浣腸してもらっていました…(汚くて本当にごめん)。
浣腸は便秘や骨折の100倍ぐらい苦しくてつらくて、辛さのあまり半泣きで唸っているとカーテンの向こうから隣のベッドのおばあちゃんが「がんばれ~」と励ましてくれます。終わると「お疲れさま~」と声をかけてくれます。

そんな便秘ですが、寝たきり生活が終わり、車椅子生活が始まる頃から驚くほど毎日スルスルッと出るようになります。少しでも体を動かせるようになったことと、健康的な病院食が良かったみたい。良質な食事が良質なうんこをつくる。(ちなみに大した運動もしていないし好きなように食べていたのに退院後は体重も減って肌もツヤツヤでした。病院食、すごい)


長くなったので終わります。次回は「はじめてのお風呂」「成人式に出たい」「恋人と病院でセッ」のお話をします。また読んでね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?