チェルノブイリ原発事故から36年


お久しぶりです。先週はどうもやる気にならなくて、何に関しても落ち込んで何もできませんでした。

でもそんな落ち込んでたって、辛いとしても同じように辛い思いをしてる人はたくさんいて

自分の悩みなんて本当しょうもないことなんだなって思いました。

だから、また今日から1週間ノート書いてニュース読んで勉強して一生懸命自分が自信持てるようになるまで勉学に励みたいと思います。

っていうのは、序文でして、、、

36年前の今日、チェルノブイリ原発4号機が爆発した日です。
私はまだ生まれていません。
きっと今この事実を勉強してる半分の人たちは、この事故後に生まれた未来人です。

未来人の私ですが、あの時何があったのかそれを知り、後世にの伝えていく必要があります。

今日の日経新聞の春秋でこの事実を知ったので、原発について改めて考えてみようと思います。

直後に駆けつけた消防士は大量の放射線を浴び、むごたらしい姿で死んでいく。付き添いたい、と頼み込む妻に看護師は言った。「ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ。いっしょに死んじゃうわよ」
4月26日朝刊 日経新聞より

 家族とか友達とか宝物とかそんなもの関係ない。
人類が生活をより良くするために生み出したものが、命を奪ったのだ。そして傷つけた。
その脅威は、私たちが気にしていないだけで身の回りにはたくさん潜んでいると思う。

例えば、AIだ。
世の中は、AI化が進み、日常の様々なところでAIを活用したものが使われている。

便利になった反面、AIに頼ることで人と関わる機会が減ってしまったように感じる。

お店に行っても、AIロボットが接客をしてくれたり、商品を持ってきてくれる。

AIは人間より優秀なことは事実だ。なんでも正確に行動してくれる。
しかし、その状況とその人の気持ちまでを読み取って動くことはできない。

飲食店で何か商品を運んだとして、目の前でお客さんが泣いたとしよう。

人間だったら、何か言葉を一つかけることができる。
しかしAIはどうだろう、気づけないし気付けたとしてもそれは人ではない。

人の温もりには相当しない。


どんだけ仕事が取られたって人として人間として負けない部分があることは忘れずにいたい。

話は脱線してしまったけど、心があることは忘れちゃいけない


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