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幸せ

みなさんこんにちは。Mioです。
今回もインスタストーリーできたトピックについて。
「幸せとは」というお題できましたが、いかんせん僕は21の若造なのでまだ本当の幸せに出会ったかどうかわかりません。
でも、期待してくれてる人が一人でもいるので僕にとっての幸せと幸せについての考え方について話していきましょうか。

まず、僕にとっての幸せは「貢献感や必要とされること」です。何かに貢献できたことや人の役に立ったことですね。僕は昔からあまりずっと目立ちたいわけではない方の人間でした。かといっていつも寡黙でというわけでもないですが。「ちゃんと見てる人は評価してくれるポジション」に身を置くタイプの人間でした。サッカーではディフェンスでしたし、部活でもキャプテンではなかったけど一応チームを裏からしっかり見てたつもりでした。目立ったのは高校の時の漫才くらいかな。
まあ、というようにわかりやすい成果ではなく人に貢献したということに歓びを感じます。だから小学校の時大会を通して無失点に抑えてチームのMVPに選ばれたことはいまだに覚えてるくらいなので本当に嬉しかったです。また、部活でもプレーと同じくらい応援も一生懸命しました。時々、僕の応援でやる気が出ると言われたのも本当に嬉しかったです。
しかし、時折間違えてしまうのが「自分が思う貢献は相手の思う貢献ではない」ということです。サッカーにおいてディフェンスは誰もが大事だと思うと思います。また、部活においての応援のもしっかりやれば必ず力になると思います。でもこと人間関係においてはじっくり考えなければなりません。今まで接してきた人は僕の献身性をありがたく思ってくれていても新しく知り合った人にはありがた迷惑だと思われることも多かれ少なかれあると思います。間違いは誰にでもあるし貢献する、ということはその時点では良いことですが一度相手が嫌に思っていたら引く必要もあるということです。その時点で貢献ではないですから。そこを自分に常に問うことが大事に思います。

もちろん日常で感じる小さな幸せもあります。良い天気だったり、街やお店で出会う人が優しかったり、そういったことに幸せを感じます。カナダに来てすぐの頃は生活に慣れるのも大変で日常的に疲れを感じていたので4月から咲き始めた桜を見ることに特に幸せを感じました。また、電車や街中の何か日本より暖かい雰囲気も良かったです。知らない人でも困ってる人がいれば誰か助けている、そんな光景が多く見られました。

日常で感じる幸せは感じ取るのが難しいです。日常的で当たり前であればあるほどそれは難しいですがもう一度考えてみてみましょう。日本でしか見られない、地元でしか見られない光景や特定の人しか持ってない暖かさは当たり前でしょうか。そんなことはないと違う場所に行ったり一度考え直せば分かると思います。毎回見るたびに幸せに浸っていても何か変かもしれませんが辛い時に見たりすると当たり前の景色も素晴らしいものに見えてきます。

また、幸せは探しにいきましょう。結局、俯いていても虹は見つかりません。外に出てみればいいことも悪いことも含め何か起こります。ただ近所の周りを散歩してみるだけでも何かいいことが起こる可能性が高まります。またはマンネリを避けましょう。いつもバスで帰ってるなら少し帰り歩くことにはなるけど電車で帰ってみる。日常とは違うことをしてみるというのは自分にとって刺激になるしなにか新しいことを見つけさせてくれます。ある日自分の最寄駅から一つ手前の駅で降りて歩いて帰ったことがあるのですが、そこでたまたまラーメン屋さんを見つけて後日行ってみるととてもおいしかったということがありました。またカナダで初めて行くお店に大好きなドラマに主人公として出ていた俳優さんと出会ったこともありました。こんな風にいつもと違ったことをしてみると何かが起こる可能性があります。新しいことを始めてみるのもいいでしょう。自分の知らなかった何かに気づけるかもしれません。

もちろん幸せは人それぞれです。自分なりに「これに幸せを感じる」という基準のようなものを持っておきましょう。些細なことでもいいですし行動の指針にできるような大きいものもいいと思います。何かよりどころにできるものを持っているとつらくなったとき助けになると思います。

最後に、何も幸せが見つからないときは誰かに助けを求めましょう。また幸せに思えてもすぐにつらさが襲ってくるような状況でも誰かに話しましょう。思っているより誰かに吐き出すということは気持ちを楽にします。

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