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医療と法に関する覚え書き(2)ー1

民事損害賠償請求と医療訴訟

1  (2)のはじめに

 *(2)の一回で書くつもりでしたが、記事が想定よりもかなり長くなりそうだったので(2)ー1として、分けて掲載することにしました。まだ、執筆段階ですが、(2)ー3くらいまでのボリュームになるかと思います(予定)。

 「医療と法に関する覚え書き(1)」では、主に民事損害賠償請求の概要について説明しました。(2)では、民事損害賠償請求の中でも、医療訴訟において特に問題となる「過失」の認定、因果関係のほか、過失と過失が競合した場合、訴訟によらない紛争解決についても解説します。
 詳細な内容に入る前に、医療の分野と法の分野との間の考え方や語法の違いについて、筆者として思うことについて、述べさせていただきたいと思います。
 私は、医療系の友人から、医療現場でのカルテの書き方としてSOAPというものがあり、それによると、Subject(主訴)→Object(客観)という順番で書くのだと聞いた際に、大変驚いた記憶があります。具体的には、「え?主観なんて人によって感じ方が流動的なものを先に判断しちゃうの!?」という驚きです。というのも、法律学を学んだ人というのは、まずは確実な認定をしやすい客観から認定して、その後に主観について論じるよう教育を受けてきています。また、故意のような「主観」面の認定ですら、客観的事実から推認するという過程を経て認定するのです。その背景には、主観なんて結局本人しか分からないし、人は記憶間違いをすることだってあるし、利害関係がある事柄については嘘をつくこともあるというある意味で性悪説的な考え方があるのでしょう。
 また、同じ言葉でも、その内実は異なります。例えば、「可能性」「因果関係」という言葉。法の分野では、「可能性」というと、何かがあり得ることが「高い」「低い」といった程度表現を伴って用いられることも多々ありますし、「期待可能性があった」というと、「期待し得た」というような意味合いになるように「〜することができた」というpossibleに近い意味で用いられることもあります。他方で、医療分野においては、「可能性」というと、何かが起きることが「ないとはいえない」というような意味合いを持っているように感じます。1%でもその事象が起きることがあれば「可能性がある」というような用法をしている印象です。なお、法的「因果関係」の意味については、(2)-2で後述します。法分野では、心証として一定ラインを超えるかどうかという基準で認定をしているのに対して、医療分野では、患者の生命・身体という利益の重大性からリスクの程度を考慮するという引き算的な考え方があるのかもしれません(筆者は、医療分野に明るいわけではないため、法分野の1人の人間から見た印象にすぎませんが)。
 さらに、法分野の人は、ある程度一般的な規範(基準)を定立し、これに対して具体的事案を当てはめるということしており、ある判例の規範が別のある事案にも使えるのか(いわゆる判例の射程)を考慮することもあるのです。
 このように、あるケースに対する判断順序も用語法の違いもあるのですが、この違いについて医療・法分野の相互理解が、不十分な場合もあるのではないでしょうか。
 医療の分野も法の分野も、それぞれが専門性を有しています。そこで、専門的知見を踏まえた判断を要するということ、考え方の違いがあることを認識しつつ専門的判断をしなければならないことが、医療訴訟の難しさではないかと考えます。

2 過失総論ー要求される医療水準

 前置きが長くなりましたが、内容に入りましょう。
 前回、「過失」とは、注意義務違反であると説明しました(注1)。つまり、その事案ごとに応じて、行為者(医師)に何か具体的な「注意義務」が発生していて、その注意義務の内容に応じた行為をしなかった場合に注意義務「違反」が認められるのです。そのため、私たち法律家は、その事案において主張されている「事実」から、どのような内容の注意義務が発生しており、その義務に違反した「事実」が認められるか、どのような「事実」を認定することができるのかを事案ごとに考えることになります(注2)。
 では、専門技術的判断を要する医療行為においては、どの程度の医療水準が注意義務の内容として要求されるのでしょうか?
 これについては、姫路日赤未熟児網膜症事件(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)は以下のように判示しています。

診療に当たる「注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和54年(オ)第1386号同57年3月30日第三小法廷判決・裁判集民事135号563頁参照)。」
「ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解する相当ではない。そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである。」(太字は筆者による)

……法律家の文章って堅苦しくて読みにくいですよね。太字にした部分をザッと読んで理解していただけると助かるのですが……イメージ化するとこういう感じです。

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このように、個別的な事情も考慮しつつ、診療当時における医療水準を決めて、それを元に、どのような行為をすべき(あるいはしないようにすべき)注意義務があったかを確定させるのです。
 そして、その義務に沿った行為がなければ、注意義務違反があったと認められ、「過失」があったと認定されます。
 では、医療における注意義務の程度、どの程度の注意義務を課すことができるかの判断基準が分かったところで、どのような注意義務が考えられるのでしょうか?医療現場における注意義務の内容について、類型化して解説…したいのですが、長くなってしまったので、続きは次回のnote記事で書きます。

(注1)「過失」とは何かという過失論については、法律学の分野では、議論のあるところですが、法学分野以外の人を読み手として想定する本記事では、過失論の議論には踏み込むことはせず、判例・実務の考えに従い、過失とは注意義務違反であるという考え方をとることにします。
(注2)なお、民事裁判においては、弁論主義がとられ、当事者が主張していない主要事実は認定できないこととされていますし、弁論の全趣旨から事実認定及び法的評価を行うことになります。そのため、同じ事件でも、当事者(及びその代理人弁護士)の主張立証活動(どのような主張をして、どのような証拠を提出していくか)が上手かどうかによって事実認定や評価が変わり得るものであるということを知っておいてください。

次回予告

 今回は、長い前置きと過失判断における医療水準の話をしたら、かなりの長さになってしまいました。
 次回(2)-2では、医療現場における注意義務の主な類型、因果関係について書く予定です(もしかすると、因果関係は、さらに分けて、(4)まで続くかもしれません)。



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