なぜ、津和野町なのか

 津和野に来てちょうど3か月目!私が「津和野町」を知ってから6か月。じつは、まだ半年なんですね。なんで津和野に来たのか、いつもとは違う視点で考えてみました。

「津和野町」にはすばらしい素材がたくさんありました。その素材を生かして、この町の人が幸せな気持ちでいられる時間を増やすお手伝いをしたいと思うようになりました。素材と素材をつなげておいしい料理も作れるし、そもそも素材そのものを味わうこともできますよね。「素材のよさ」が津和野町の最大の魅力だと感じます。

 私には、大好きな大好きな「富山県滑川市」という地元があります。本当だったら、この4月はそこに帰って活動している予定でした。でも、運命というかご縁というのか、それをあっさりと辞めて今は「島根県津和野町」にいます。自分でもなんでかわかりません。でも自分で決めたことなので何の後悔もありません(^^)むしろ、来てよかったなぁと思うことばかりです。

 4月から、「教育」という切り口でこの町に関わっていますが、町の人と関わっていると感じることがたくさんあります。

 子供たちに、「いつか、津和野町にもどってきてほしい」という願い。「外の世界をみて視野を広げてほしい」という願い。「これからの先が読めない時代を生き抜く力をつけてほしい」という願い…たくさんのたくさんの子供への「こうなってほしい」という願いにあふれています。

 でも、私は子供に願う前に「大人」がいかに生きているのか。ということの方がずっと大切だと思うようになりました。子供は、大人が思っている以上にすごく力のある存在です。たくさんの大切なことをシンプルに教えてくれます。なぜ、大人になる過程でシンプルに考えることを忘れてしまう人が多いのか。それが「教育」の問題だと思っているのでそれをなんとかしたい!(これは仕事上での自分の解決したい課題です)

 「津和野町」「滑川市」私にとっては、どちらも大切な場所です。あと、3月までいた「さいたま市」「川口市」「蕨市」も。自分にとって大切な場所が全国に増えるってすごく幸せなことだと思います。居場所がいっぱいあるということは、それだけ「安全基地」が増えることだし、安心できるからこそ「挑戦」ができるからです。

 子供たちは、うまれてくる場所を選べません。子供にとっての最初の居場所である「地域」は、生まれた場所としての「地域」です。そのあとの活躍の場である地域は、誰にも決めさせてはいけないし、一人一人で選択すればいいと思います!うまれた場所がいいならそうすればいいし、違うと思うなら変えたっていいと思います。

 ただ、今「津和野町」にいる大人は、自分で選択してこの町にいるはずです。それなら、そう選択したのなら、この町で暮らすことを楽しめばよくないですか?「子供を・・・」とかじゃなくて、「自分が・・・」っていう主語で語れたら。そうやって、ワクワクして生きている大人がたくさんいる町は、この上なく最高の町になると思うし、子供にとってはそれが最高の教育環境です。津和野町にはそれができる「素材」になる人・こと・ものがそろっていると思いました!

 変なしがらみや歴史にしばられるのは、もうやめませんか?「自分とは何なのか」「何をしてこの1日を過ごしたいのか」「どうすれば、自分もみんなも幸せだと思って生きていけるか」を語れる時間を増やしたいと思います。

「こなされる感」→「やりたい感」に変えるのは、自分の中だけでできることです。考え方を変えればそれでいいし、むしろそれは「その人」にしかできないことです。人から言われて「やる」じゃなくて、自分で「やりたい」に変換できれば、世の中が劇的に変えられるのになと感じています。

「子供にとってよりよい教育がしたい」という思いが強かったけれど、津和野町に来て、変わってきました。「大人が楽しく学び続けられる町にしたい」と思っています。それを言っている私自身が、真剣に楽しく学び続けることがとってもとっても大切だと思っています。だからこそ「弟子リストツアー」をやりたいと思ったし、それを一緒にやってくれる仲間がいるということが、何よりも最高に幸せなことです。

私にとって感覚的に「津和野町」に来た理由の一つだと思います。

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