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鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか? Part2

イントロダクション

前回「鬼婆」という言葉は耳にするのに「鬼爺」という言葉は耳にしない。
それはなぜなのか?ということについて問題提起させていただきました。
その後いくつか調べてみてわかったことがあるので、今回はそれを簡単にまとめていきたいとおもう。

鬼爺という語彙はある

前回「鬼婆」と「鬼爺」という言葉を、現代日本書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)を使って使用例をチェックしてみた。
すると、鬼婆は一定の使用例があるのに対し、鬼爺は全くと言っていいほど見当たらなかった。
それでは、もっと古い時代だったらどうだろう?「現代日本書き言葉コーパス」は近年の部分しか出てこないのだ。

前回、安達ケ原の鬼婆という伝説話に巡り合い、その伝説自体が8世紀に成立した可能性があることがわかった。つまり、鬼婆という言葉は日本の歴史に干渉している可能性がある。京の都に鬼が現れて大変なことになった。そういうレベルで歴史的史料に残存していないだろうか?

と、いうことで、今度は「日本語歴史コーパス」をつかって、これらをチェックしてみることにする。
日本語歴史コーパスは、日本語史を研究するために提供されているもので

奈良時代編 Ⅰ万葉集/Ⅱ宣命/Ⅲ祝詞
平安時代編 Ⅰ仮名文学/Ⅱ訓点資料
鎌倉時代編 Ⅰ説話・随筆/Ⅱ日記・紀行/Ⅲ軍記
室町時代編 Ⅰ狂言/Ⅱキリシタン資料
江戸時代編 Ⅰ洒落本/Ⅱ人情本/Ⅲ近松浄瑠璃/Ⅳ随筆・紀行
明治・大正編 Ⅰ雑誌/Ⅱ教科書/Ⅲ明治初期口語資料/Ⅳ近代小説/Ⅴ新聞/Ⅵ落語SP盤
和歌集編

というような構成からできている。では、さっそくやってみよう
まずは「鬼爺」を検索してみる。近年では使われなくなってしまったが、実はその語彙自体は、古い時代に残っているかもしれない。

検索対象語数:20,890,232
検索対象サンプル数:15,124

歴史資料は現存数が少ないので、前回よりも分母は小さい。そして、表示される検索結果

歴史的史料の中にも出てこない「鬼爺」。そういう語彙がやはりなかったのだろうか?

では「鬼婆」はどうだろうか?
検索対象語数:20,890,232
検索対象サンプル数:15,124
から出てきた結果は

7件

鬼婆は、やっぱり日本にいるようだ
しかし、この結果出てきた一番古い史料は1758年の「陽台遺編・𡝂閣秘言」だが、「鬼婆」という言葉が使われている文章の前後を読んでみると、どうも「鬼婆」という異形のものを指して使っているわけではなく【比喩】としてつかっているように読み取れるうえに、この検索結果の5件が比喩的表現でつかわれている。

実は、国立国会図書館デジタルコレクションで「鬼爺」を調べてみると、かなりの数検出されたのだが、僕の古い時代の書物を読む能力で読解できた部分だけだが、すべてが比喩的表現であった。なので「鬼爺」という語彙がないわけではないようなのだ。
ちなみに、この疑問を知人にしてみたところ同様で「鬼婆」はイメージができるが「鬼爺」はわからないというが、比喩的表現での「鬼爺」についてはすんなり受け止めていた。
つまり鬼という要素には二つのことがあることがここからわかる

・「鬼〇〇」という名詞に対し、漠然としたイメージがあったり、それがわかなかったりする。
・「鬼〇〇のようだ」という使い方ができるのは「鬼」が持つイメージがあり、それと同じような行為。

なにを当たり前のことを言っているんだ?と思うかもしれないが、こういった分析は大事なのである。昔ばなしの構造や、その物語の登場キャラクターのおこなう所業など、これらは人間が持つ深層心理に由来することが多い。
だから昔ばなし研究において、ユング心理学が用いられるのはそういうことだ。

つまり、鬼というものに対する僕たち日本人が普遍的に持っているイメージ像に「爺」「翁」が結びつかないのであろう。逆に言えば「婆」にはそれが結びつく。これは、認知心理学の側面からもアプローチしないといけない、とても難儀な仕事になりそうだ(これで飯食っているわけではない

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