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オマエはnoteを書くな💢


noteがやめられない



おっす、おっす、作家やってます、月ノみんとです。

今日はこれが言いたい。
「オマエはnoteを書くな💢」

あ、待ってください。怒らないで!
まだ、ブラバしないでくださいね!
過激なタイトルつけたら読んでもらえるかな、と思ってこのタイトルです。
べつに誰かを叩くような内容ではないので、タイトルだけで怒らないで!
ちなみに、このタイトルの言葉は、自分に向けた言葉です。

最近、どうにも「書きたい」「喋りたい」欲が高まりすぎていて……。
つい、noteをぺそぺそ書いてしまうわけですな。
でもよ、お前、本文は「小説家」だろ!?
って、自分で思うわけですよ。
小説家が小説書かなくなったら終わりでしょうよ。
小説書かずにnoteでエッセイ書いてても、それって逃避なんじゃーねーの?と思う自分もいて。

でも、note書くの楽しいっていうか。
物語とはやっぱりまた違った楽しさがある。
物語の中には自分の思想とか思いを直接書くことはできないわけだしね。
なので今回のタイトル、note書いてる暇があれば小説書けよって、そういうタイトルです。
けど、まあどっちも両立してやっていきますよ。一日は長い。

だってnoteの人やさしいんだもん、みんなスキくれるし、読んでくれるし……。
楽しいよそりゃあ、ね。
Twitterだとすぐ流れちゃうし、なろうとかのエッセイだと埋もれやすいし……。
すっかりnote書くのにハマってしまいました。
元来、僕は文字を書けるのなら、なんでも好きなのだ。




なんと呼べばいいかわからないもの



まあ、内容はいつも通り、普通のエッセイです。
エッセイ、といっていいのか、日記と呼べばいいのか?

エッセイとか、日記とか、ブログとか、言い方はなんでもいいんだけど。
なんというか、ネットのこういう記事って、自分でなんて呼べばいいかわからないことありません?僕はあります。

何が言いたいかというと、本題に入りますね。
なんと呼べばいいかわからないものって、ありませんか?みなさんも。
今日はその話もします。

大判焼きの話は荒れるのでやめてくださいね。

作家、なんと名乗ればいいのかわからない問題



作家、なんと名乗ればいいのかわからない問題。
これ、たまにTwitterとかでも作家で話題になってるんですけどもね。

なんといいますか、僕、一応、本とか出してて、コミカライズとかもされていて、作家なんですけれども……。
ただ、他人に対して、なんと名乗ったらいいのか、よくわからないところがあるんですよね……。
これ、ネット上でも、リアルでも、悩みどころでして。
名刺とかプロフィールになんと書けばいいんだろうって。
いちおう、小説家とか作家とかって書いてはいますがね。

例えばですよ、ライトノベル作家、と名乗ったとしましょう。
でも、ライトノベル作家、といったとき、あなたはなにを想像しますか?
それって、文庫サイズの、例えば電撃文庫とかから出ているラノベじゃないですか?

ですよね。
だけどですよ、僕の場合、これまでに出しているのが、いまのところ、ですが、すべて大判の単行本サイズなんですよね……。
まあ、それでもラノベだろう、っていいますけども。
でも、大判の、アルファポリスとかから出ているような、なろう系レーベルのラノベって、一般的に、本屋さんとかでなんて呼ばれているか知っていますか?

新文芸っていうらしいんですよ、大判のラノベって。
電撃文庫も、電撃の新文芸っていって、べつでレーベルを持っているくらいですしね。
だからといって、「新文芸の作家です」といったって、詳しい人以外には伝わらないじゃないでしょ?

ライトノベルが伝わらない世代


新文芸、が伝わらない、ならまだわかりますけれども。
たまに、「ライトノベル」という言葉自体が伝わらないこともあります。
とくに、年配の方とか。
下手したら、50代とかでも、知らない人は知りません。
40代とかになると、ちょうどラノベ直撃世代で、読んでいた人も多いだろうと思うんですけどね。

ライトノベルを知らない、という人に、ライトノベルがなんなのかを説明するのって、意外と難しいですよ。
漫画?って言われたり、小説と何が違うの?とか。
いろいろ、変な勘違いをされることが多いです。

例えば、キノの旅とか、シャナとかハルヒとか、っていっても。
まあ普通だったらそれで伝わると思いますが、そもそライトノベルという言葉を知らないような相手の場合、そのたとえも使えません。

あと、なろう作家ごときがライトノベル作家名乗るな、とか。
まあ、そんなこと誰にも言われたことないけど。
でも、そう思う人がいてもおかしくない。
普通、文庫ラノベレーベルから出版される人は、みんな賞を獲ってデビューした人だ。
なろう作家は賞をとってないから、ラノベ作家じゃなくて、しょせんなろう作家でしょ。
みたいな。
そう言われるかもしれない、と思うと、なんか、ラノベ作家です、とは名乗りにくいのだ。

とにかく、僕なんかは、賞をとったことがないということに、ちょっとしたコンプレックスというか、引け目のようなものはある。
けど、正直、webの賞よりも先に、web連載で人気になれば向こうからお声がかかるので、実際のところ、拾い上げのほうがいいっていう話もあったりする……。が。
それはそれとして、やはり賞というものに並々ならぬ憧れがある。

賞をとっていたり、文庫ラノベレーベルから出していたりすれば、もっとどうどうとラノベ作家を名乗れるのかもしれない。

漫画の原作とかやってます、という自己紹介も、微妙だ。
あくまで僕の場合は、漫画原作者、ではなくて、コミカライズされた作品の小説の原作者、というだけだ。
これは微妙に大きな違いだろう。

読者から見てみれば、違いはないかもしれないが、我々、コミカライズの原作著者としては、コミカライズは、自分の著書ではなくて、あくまでもコミカライズを担当してくださっている漫画家さんの作品だという意識が強い。
これは僕だけでなく、ほとんどの作家がそうだと思う。
もちろん、コミカライズはある程度原作に忠実にストーリーが進むし、原作者として監修はする。
だけど、やっぱり絵を描いて、実際に形にするのは漫画家さんだし、やはり自分の作品というより、漫画家さん主体なのだ。

チー付与読め(唐突)

チー付与とかがあれだけ自由にやれているのも、読者からはたびたびTwitterなどで「原作者ふところ広すぎるだろ……!」と話題になるけれども、作者側の感覚からいうと、コミカライズはあくまでも漫画家さんに自由にやってもらいたい、と思うものだ。だから、チー付与があれだけのびのびとコミカライズされていて、人気になっているのは、うらやましいという思いもありつつ、漫画家さん主体でやられているのは、とてもよくわかる。僕だって、原作は原作で、漫画家さんに自由にやってもらって、それで結果売れるのだったら、なにも文句はないし、うれしいと思う。だから、あさ先生もきっと、あれは自由にコミカライズしてもらって、という感じなのだと思う。
まあ、あれを仕掛けた編集さんとかもすごいだろうし、いろいろとどういう裏事情でああいうふうになったのかは、気になるところではある。

あとチー付与面白いから読め。(唐突なダイマ)

Twitterであれだけバズっているから、今更チー付与の説明はしない。


なろう作家は漫画にサインはしない


僕の場合で言えば、コミカライズはやっぱり漫画家さんのものだし、ほんとうを言うと、コミカライズ版の単行本にサインをするのも微妙だと思っている。
いや別に、他の作者さんがそれをやっている分にはなにも言わないんだけども。
自分の場合は、コミカライズ版にサインを書くのが少し、気が引けるという話だ。

よく作家オフ会などで、自著にはサインをして持って行って、交換したりするのだが……。
それで、僕も毎回、自著にはサインをしている。
けど、コミカライズ版にはまだサインをしていないのだ。
まあもちろん、もし求められればするだろうけれど。
そのくらい、原作者からしたら、コミカライズ版は自分の手を離れた感が強い。

まあでもそこは、どのくらい原作者がコミカライズ版に関わっているかにもよるかもしれない。
書き下ろし多数だったり、かなり細かく監修していたり。
その内情は人によるだろうし。
これがもし、小説版とかなしで、いちからの漫画原作者、という立場であれば、もっと自分の作品だという意識が強いのかもしれない。
まあ、それはやったことがないから、想像でしかない。

プロとアマチュアの境界線


えーっと、なんの話をしていたのだっけ。
そうだ、作家はなんと名乗ればいいのか、という話だった。
ついつい、話が脱線して、かなり逸れてしまった。
めちゃくちゃしゃべっちゃった……。
まあ、僕はADHDだし、多弁で、普段話しているときも、こんな感じだ。

文章なのだから、もっと推敲して、まとめることはできるけれども。
まあ、小説ならそうやって体裁を整えることはするが、エッセイだしいいよね。
もうすこし、この無軌道雑談に付き合ってもらおうか。

話を戻そう。

そう、ライトノベル作家、とも名乗りにくいし、かといって、漫画原作者、などとも言えない。
なら、なろう作家でいいのでは?と思うが……。
けど、そもそも僕はなろう作家ではないのかもしれない。

小説家になろうには1年くらい投稿していなかったし、なろうにあげてない作品がたくさんある。
どちらかというと、僕の主戦場はカクヨムなのだ。
それに、これまでに何度か書籍を出させてもらっているが、小説家になろうを通じて打診をもらい、書籍化したのは1回だけだ。
あとは別のところからの打診だったりする。

最強付与術師の成長革命なんかは、なろうでもともと書いていたけれど、アルファポリスから出させてもらっている。


そう考えると、なろう作家とは言えないかもしれない。
なろう系作家ではあるかもしれないが。
どちらかというと、カクヨム作家だろう。
web作家というのも、微妙だ。
なにをしているかわかりにくいし、そもそもwebだけではないし。

それに、僕は本にはなっていないが、ラノベやなろう系以外だって書いている。
なろう系を書いているアマチュア作家だって、なろう作家といえるわけだし、僕だってアマチュアSF作家を名乗ってもいいはずなのだ。
けど、僕はジャンルを指定したくないし、制限されたくない。
僕がこれまでに書いたなろう系ラノベも、僕としては別にラノベを書いたというつもりはない。あくまで僕はジャンルレスに小説をとらえているつもりだ。

かといって、「作家」というと、大仰な感じがするし、具体的じゃない。
作家だと、小説家以外のものも想像してしまう。
ウェブライターとか、そういうのだ。
まあ、noteで稼いだりでもすれば、ウェブライターと名乗ってもおかしくはないかもしれない。
Twitterで収益化してるし、ウェブライター的なものに、すでに片足はつっこんでいるかもしれない。

「小説家」というと、純文学やミステリを想像されるだろう。
ラノベ作家が小説家を名乗っていいのか、わからない、自信がない。
まして、僕のようなアマチュアとプロの間みたいな、賞もとっていないやつが。
まあでも、本来は小説家は誰でも名乗っていいはずだ。
そこにプロアマは関係ない。
小説家になろうというサイトは、もともとそういうものだしね。

そう、プロとアマの境界も、曖昧だなと思う。
いやいや、僕なんてアマチュアです、と謙遜してしまうと、人によっては嫌味だし、もっとプロ意識を持てとか、言われてしまう。
けど、プロですけど、みたいに自信満々でいるのも、人によっては反感を買うだろう。
小説家なんて、本来は、kindle(KDP)とか広告収入とかで、1円でも儲けられれば、プロを名乗っていいのかもしれない。


結局は好きにしろ


結論としては、僕はやっぱり、「インターネットおもしろおじさん」になりたいのだと思う。
「インターネット芸人」というか。
べつに小説に限らず、僕はいろいろ、インターネットで遊びたい、表現したいだけなのだ。
僕は、ひろゆきとか、岡田斗司夫とか、山田玲司先生とか、月ノ美兎様や、堀元見氏のような、そういう感じに憧れているし、目指しているし、ロールモデルにしているところがある。
noteをはじめたのも、そういう影響もある。

インターネットに「月ノみんと」という存在を、概念を刻み付けたいのだ。
だからYouTubeもやるし、Vtuberみたいなこともやっていきたい。
結局、僕は僕でしかないし、なにを名乗っても自由だし、なにも名乗らなくてもいいのかもしれない。
自分を規定する言葉は自分で決めろ。
それが今回の結論だ。

あんたはどうだい?

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