プロの方々への僻みに満ちた偏見(閲覧注意な独り言)

プロ作家さんやアーティストに聞いてみたい。
「皆、私たちに憧れるけど、そんな良いものじゃない。なりたくてなったというより、他に何も出来なかったから」という思いを抱えている方々が一定数いる気がするのだけど、やはりそうなんですかね…

私は漫画を描くのが趣味なのでここからは、たとえ話を「漫画」に絞りますが。

普通は漫画を描くのが好きでも、何か他にも出来ることがあってそこで認められたりして、そこまで漫画道を突き詰めずに済む、それは幸せなことだ。

と、プロの方々は思ってたりするのかな??

なりたくても、今後もなれなそうな側からすると、まず、何も出来ないように見えないんだよねぇプロの方々。だってあらゆることをリアルに表現出来るのは寧ろ何でも出来るからでは?
更には結構、小学生の頃は運動とかも出来ました、演劇や音楽も得意、陽キャラともそこそこ渡り合えた、みたいな話も聞くw
ホラそこ!何も出来ないとか言ってんじゃない!w
と言いたくなるw

いやいや、小坊の頃のプチ成功体験なんか大人社会では役に立ちませんでした、そこ止まりで、大人として何も出来ない代わりに、違う世界のことをリアルに想像する力はあるらしいんです、

みたいな事なのかな??

大好きな漫画「バクマン。」で、主人公たちが苦心して漫画家になろうとしている時に、息をするように天才的な作品を量産するライバルのことを、編集長が「君たちと彼の違いは、どれだけ漫画を好きか、だ」と言う。「僕たちだって好きです」と答える主人公たちに「知っている。だが彼は異常だ」と言うシーンが印象的でね。

この理屈も分からないでもない。ないけど、この論説は、少し古いかも?と僻み混じりに思う私。
だって、好きだけど、漫画を作る一つ一つがどうにも難しくて大変で、思うように手が動かない人はいっぱいいると思うんだけど、私も含めて、単純に彼らの思いが劣っている、ってちょっと乱暴な決め付けでは?と思う。好きで好きで堪らなくても、描けるようになるやり方を中々掴めない、って人だって幾らでも居ると思うのだが。

てことで、最初の趣旨とズレた。
プロになる側と、我々素人の間には深くて暗い川がw

いや中には、ずっと地道に血の滲むような努力を続けてプロの座を勝ち取った方々も居て、それは私たちと地続きだと感じるし、そこからやはり相対的に、漫画への愛や努力が足りない、と言われれば、そこには信憑性も認めざるを得ない気もする。

まぁでも今、良い時代になりました。
私を含む、プロになれないワナビたちの悲壮感が減った。賞を取れなかった応募作品を黙って捨てたりしなくていいし、マイペースに描いたものを、すぐに不特定多数に発表出来る。プロじゃなくても沢山の温かいコメントを貰えたりする。

そういう中でもなお、プロの方々の輝きは別格だけど、プロになれないという事実に苦しまなくても人生楽しめる時代になった。

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…ここまで書いて長らく放置してました。
なので最後どうまとめたかったのか、さっぱり思い出せませんw

取り敢えず、持つ者と持たざる者の肌感覚は違う、それはこれからも在り続けるし、そのことを考えても仕方ない(けど考えてみたのだった)。

モヤモヤすることがあっても、明日も楽しく創作を続けたい。
続けられることが、両者、つまり誰にとっても幸せなのではなかろうか?
続けられること自体が才能。続けられない人も多い。って話も聞くからね。

はい、ということで、明日も明後日も、叶うなら死ぬ直前まで、私は創作を続けたいです。終わり。

追記:
プロになれるのは「運」次第で、才能はそこまで関与しない、という現場関係者の意見も見ました。なるほど。であれば、今後はより「プロになれないのは努力や才能が足りないからだ」説が消滅する方向へ行くことを願うのみですね!
あと、僻みこそすれ、プロの皆様の努力が尋常では無かった事と作品への敬意は今後も持ち続けて已みません。

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