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身内の不幸とかいう自分が生きている限り避けられないバッドイベント

9月10日、身内に不幸がありました。

自分がこんなタイトルの記事を書いたばかりに、その不幸を呼び寄せてしまったのではないか、と、後悔があります。
タイトルに「死ぬ」などという表現を入れるのには、心理的な抵抗がありました。
ただ、内容を表すのに最適な表現だと考え、何度も変更した末に、ああなりました。


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老いは誰にでも訪れますね。
よくよく考えたら、私が呼び寄せたというよりも、「虫の報せ」だったのかもしれません。
全ては偶然、たまたまです。

たまたま私がそんな記事を書いたタイミングで、たまたま私が本業の宿泊業を1週間休みにしていた最初の日で、たまたま私の健康状態が万全で、帰郷に全く支障が無かっただけです...。


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生きている間に、あと何度か会いたかったよ...。
ここ2年は、新型コロナウィルスのあれこれで、帰郷もままなりませんでした。
私よりもっと辛い状況の人はたくさん存在すると思います。


亡くなった家族の事、今後は色々書いていこうかな...。
ここ(note)が良いのかな、それとも他の方が良いのかな...。

生きている間、その人については、「今」を捉えて考えますよね。
亡くなって、その人の「今」が失われると、過去から亡くなる瞬間までの全てを考えるようになりますね。

もうこの世に居ないんだな...。


私は昔、「HSP」というヤツだったみたいです。
最近その言葉を知りました。

身内の死に、精神が耐えられる自信が全く無くて、発狂すらできない苦しみを処理できなくなると痛感していました。
だから、自らが真っ先に死のうと、何度かトライした過去があります。

鬱を経る事で、HSPの感性は喪われました。
おかげで、今は、時に流されるまま、凡々と生きられています。

そして、「中年」と呼ばれる年齢に差し掛かりました。
祖父母はもちろん、両親も高齢者のカテゴリに入り、様々な「覚悟」が必要とされる時期だと言えます。
自分自身も、若い頃にはしなくて済んだ身体のケアが必要になりました。


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いつか、私自身も何もできなくなります。
そして死に至ります。

生きている間に、何をしようか、毎日考えています。
そのうちの、「しようと思った事」が、こうしてnoteに文章を書く事だったりします。
同じ時間を生きているあなたに、私の文章が届き、私とあなたの生きている時間が繋がる、それは私の人生において、大切な事だと思ったのです。
そしてこの文章が、あなたの人生にほんの少しでいいから、何かの役に立てばより良い、そう考えています。

限られた「命」、限られた「時間」を、共に感じて、死ぬまで生きていきましょう。
願わくば、幸せでありますように。


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