晴海シンジュエピソード3.5について(本論編3)

最後になりました!本論編3です!

今回は相談について考えていき、最後に自分なりに感想を書いてみようと思います!


3-1 「相談」はドンドンしてもいいし、されてもいい

私は今回のシィちゃんのエピソード、すごく考えさせられました。
相談って案外するのもされるのもされにいくのも難しいんですよね。

相談にはカエルの言う通り勇気を持つことがとても大切だと思いますが、それに加えてシステム的に相談できるような環境を整えることもできるのではないかと思いました。


相談するといっても、所詮は別の人間です。さまざまなバックグラウンドを持ち、様々な経験をして、様々な環境があって、今があります。そして、様々な容姿で様々な性格でもあります。
そのようなことが全て前提で相談されています。そう考えると、相談されるときに完全に同じ心境には立てないのかもしれません。
そして、それで良いと私は思います。

相談したいのにできない人の懸念は、「相手に迷惑なんじゃないか」「相談しても無駄なんじゃないか」などあると思います。
誰かが困っているのに相談に乗ったりできない人の懸念は、「自分なんかが相談に乗っていいのだろうか」「相手から相談を持ちかけられてないしエゴじゃないのか」などあると思います。

私はこれを解決するために、事前に共通認識を示し合わせれば良いのかなと思いました。
「必ずしも相談の内容を実行する必要も従う必要もない」これだけです。

相談する人にとっては、相談に乗ってくれた人の助言に従うか従わないかを決める権利があります。
ただ、この視点が相談に乗りたい人にはなかったりします。
要は、相談とは一つの視点の提供に過ぎないのです。
相談の内容を実行されなくても、人格を否定しているわけではありません。
むしろ、色々な視点を提供してくれたから別の選択を実行した可能性だってあるんです。

少しだけ脱線しますが、よくツイッターなどでは炎上が見られます。
私は炎上それ自体に価値があると思うんです。なぜかというと、炎上すると議論が起こるからです。最近では、漫画村などで様々な意見が出てきております。そして、政府も動き出したと聞きました。
問題や炎上が起こらないと人間は議論したりすることが少ないので、私は炎上を擁護するつもりはございませんが、そのような側面もあると思います。

相談も一つの視点が提供されたことで、さらなる議論が起こりよりよい選択ができる可能性があるのです。


そのことを認識共有するだけで、お互いがお互い、相談したりされたりされにいったりしやすいのかなと思いました。

共通認識を持つことは、ハラリの『サピエンス全史』を読んだ方だとピンときやすいと思いますが、とても大切な要素です。


さて、私はカエルの言う通り勇気をまず持ち、その勇気をしっかり実行できるようにシステム的に相談できたりすることができるようなものを考えました。

相談とは、とても優しく価値のある行為なのだと思います。



3-2 感想

感想ー!!!いやぁ疲れました!!!書くの!
長く読んでくださった方、ほんとにありがとうございました!!
最後のお話ですが、問題や炎上だけではなく、素晴らしいストーリーにも考えが起こったりします。
私もシィちゃんのエピソードがなければそもそもこのようなことを書いてません。

人に考えを起こさせること、とても大切なんだと思います。それが賛成であろうが中立であろあが反対であろうが、はたまた賛成反対の二元論を超えた何かだろうが、考えた時点で価値です。
哲学者プロタゴラスは「人間は万物の尺度」といいました。この意味は、「一人一人違った基準を持っていて、普遍的な価値基準などない」ということです。
各々が思う正解、各々が思う考え、各々が思う人生をデザインすることができ得る世の中です。

私はナナシスからたくさんのことを教わりました。ナナシスで背中を押されました。
誰かの背中を誰かが押して、その背中を押された誰かが、違う人の背中を押す。
そのような連鎖が起こると素敵なんじゃないかなって思う次第でございます。


今度はハルカゼについて、私がなぜ好きなのか、なぜ人生を変えられたのかお話できたらと思います。




参考文献
ユヴァルノアハラリ『サピエンス全史』

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