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自閉症スペクトラムと私
なんとなく生理前辛いな!くらいでまさか自分が生きづらさの障害を抱えているとは露にも思わなかった。相方から「障害者になるには覚悟がいるよ」と断言された。
確かに診断されても、理解できず苦しんだ。
発達障害の私が定形発達の人達の労働世界にいることや無職でただ生きていることさえ苦しかった。
私は後々気づくことにはなったが、二次障害を抱えていた。
私の心は愛のない不毛地帯。
相方も同じ、不毛地帯。
苦
相方トゥレットですー徒然日記
相方の様子〜9時間くらい寝る。朝起きて、家事やって、ネットのニュース見て色々考える、うーむ。(じいさんか!笑)
体力温存のため、昼寝する。
夕方から野暮用。
私の様子〜8時間くらい寝る。起きて、相方と雑談しつつ、コーヒーを飲む。買い物行き、帰宅。
近所だけど、くたくた。文章かいて少し、休むか。
デジタルイラストに苦戦。
夕方からの野暮用に付きそい予定。
私は毒瓶ー小学生後編
「お父さんになってもいい?」
ぼんやりした記憶の縁に気持ち悪い音がひっかかる。
わがまま勝手な大人達の事情も理解できない幼稚園の出来事である。
大人になってから、私に両親は再度説明することなく時間だけが経っていた。
外出先で飴やおやつが必要と見ていれば私に必ず買い与え、カロリーが高い清涼飲料水も余分に買ってくる。
当時は『優しいパパだいすき、ありがと』と思っていたが、振り返れば糖衣錠の毒であった
分離した足跡ー小学生前編
桜舞散る花道、写真にうつる祖母の顔、私が小学生になった日。
白く霞んだあの情景は思い出せない。
母親は私を愚図と呼び、いつも先回りで私の行く先を助けていた。自転車練習の時も持ち前の運動音痴を両親の前で繰り返すと、『もういいや』と諦められた。
色々なことに対して不器用すぎる私を母は特殊な小学校に入学させた。
自閉症と健常者をまとめて面倒を見る学校のようである。祖母も母も幼少時から『普通の子と違う
朧気な記憶―幼児期編
私は埼玉の奥地で産まれた。
産声はかぼそく、未熟児だったそうである。
母は私を産んだ時、「歯が折れた」「おやじと同じB型か、最悪だな!」と思っていたらしい。
ちなみに、おやじとは彼女の父のことだ。
彼女は私の祖父を心底嫌っているように見えた。
私を出産後、母は私を祖母の家の和室に捨て、東京に逃亡したらしい。
祖母から聞いた話なので、どこまで真実かわからないが・・・
私はその時、知らない山中に置
洗脳家族ー生きることは罰ゲーム
長い年月をかけて、洗脳されたものだ。
瞳は透明かつ、低迷し、幼き日に時間を止めてしまう。
私を証明する名前ー自閉症スペクトラム
この地球では私のキャラクターは病気である。
長い時間をかけて壊れたものは修復が難しい。
壊したものではなく、何故壊されたものが責任を負うのだろう?
私は私のために振り返りたい。
壊され、自尊心のないサンドバックから、ちゃんとした何かに生まれ変わろう。
きちんと