![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/128201646/rectangle_large_type_2_469662664d4ff0457c5357767e18c4ec.jpeg?width=1200)
2023年末に 父の葬儀・告別式をしました。
今の私を作った 父 (松浦 徹)との思い出を書いて
吐き出させてください。
ただの思い出話になっちゃうかも。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
① 高校での面談
当時、母と私自身は距離を置いておりまして
(ただの反抗期です。私が幼かっただけ)
高2のその時 たった一度だけ、
父と共に進路に関しての面談を受けました。
担任・副担任 と 私と父です。
面談は、どちらかと言えば
先生が上の構図で話が展開されるのしか
見たことが無かったのですが
その時だけは違いました。
父だけが背もたれを使って、逆に面接する側のような態度
先生 「 ご子息はご自宅では、どのように過ごしてますか?」
(多分、家で勉強してますか?って意味)
父 「 知りません。本人に任せていますので。 」
と答えました。
全員 「 ・・・・・ はい 」
その他に父が発した言葉は
「 学校ではどうなのですか ? 」
「 それなら良かった。 」
父は どの質問にも上の3つで応えていていました。
この出来事は私にとっては衝撃的で
・ 知らないことは、知らないっていた方が良い。
・ 後ろめたさがないなら、堂々としてなさい。
と教えられたような時間でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
② Brass を始める時
元々、独立思考は全く(ほんとに全くね)持っていなかったのですが、
作業が好きで、没頭して靴修理の仕事をしていました。
その結果、一通りを覚え、引き継ぎが出来るようになってくると
俯瞰して流れが見えてきて、
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?