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「先天性ミオパチーの会」の代表が主治医に疑問を抱いたワケ

noteでは不定期に先天性の身体障害を持つ人にインタビューした内容を記事にして発信している。
そろそろ書かねばならないと思っていた時にタイムラインである投稿が目についた。気になったのは投稿内容ではなくそのアカウント主である。
私と同じ先天性ミオパチーを持つ人物で一般社団法人「先天性ミオパチーの会」を代表を務める伊藤亮である。

上に転載した投稿の左側の人物が伊藤亮である。

先天性ミオパチーの会は2012年5月に発足し当初は先天性ミオパチーの難病指定を目的にしていた。現在は相談や啓発活動を中心に活動している。私も以前から名前は知っていた。

難病である先天性ミオパチーの早期根治を目標として、医療・治療研究を促進するため、政府・研究機関等への要望・提言活動、研究支援・開発推進活動、啓発活動、患者や家族の支援のための交流・相談・情報提供活動を行うことで、医療・福祉の増進を図るとともに、先天性ミオパチーに対する社会の理解を深め、広く公益に貢献することを目的とする。

先天性ミオパチーの会 公式サイト

私はこのかたに話を聞きたいと思いインタビュー企画の仲間であるまきさんを通してコンタクトをとった。

承諾を得て当日のリモートで感じた第一印象は礼儀正しく穏やかそうな印象だった。
サングラス風のメガネや黒い服装はちょいワルな印象を感じるが顔立ちや話し方は終始穏やかである。

彼は話の合間にお手製のアンビューバッグ(手動で⼈⼯呼吸をする道具)で自己回復をしながらインタビューに応じた。

先天性ミオパチーの会の顧問である医師が私が通院している病院で数年間外来を担当していたこと、お互いが使っている人工呼吸器トリロジーの問題点など共通の話題で場は温まった。

タロウ:伊藤さんは普段お仕事はミオパチーの会で普段どんな仕事をしてるんですか

伊藤:ミオパチーの会は仕事というよりなんだろう、病気の啓発活動とか治療法に向けて研究発とかで考え方によっては仕事と言えるんでしょうけど。

タロウ:伊藤さんの認識としては仕事ではない?

伊藤:本当に活動的な、広い意味では仕事になるんでしょうけど。

タロウ:本業を持っているわけではないんですよね?

伊藤:そうですね。ただ民間企業や大学の仕事などもしています。

タロウ:なんでそういう活動をしようと思ったんですか?

伊藤:話すと長くなるんですけど、病気は6歳ぐらいの時にわかったんですけど。小学校一年生の入学前ぐらいタイミングで筋生検をして先天性ミオパチーってわかったんです。ある日小学校2年生ぐらいの時から頭が痛くなったり息苦しさの症状があったんですよ。当時の主治医の先生にそういう症状があるとかきついというのを訴えていたんですよ。それでなかなか先生が信じてくれなくて。気のせいとか。精神的なものだとか。先生が言うのだからそういうもなのかなと。

タロウ:はい。

伊藤:頭痛が続いていたなかで高校の修学旅行の時に今までにない頭の痛さで緊急で運ばれることになって。その時も今まで見てくれた主治医の先生だったんですけど原因がわからなくて。退院の日に研修に来られていた先生が肺機能検査とか呼吸の検査をして呼吸の状態がわかったんですよ。要するに今まで主治医の先生に症状を訴えてた中でどっかのタイミングで先天性ミオパチーのとわかっていた状況の中で、呼吸器の検査をやっててもおかしくなかったんですね。その主治医の先生も「自分は筋疾患の専門だから」って言ってたから信じてたんですよ。でもそういったそのなんだろう、何も検査しなかったりとか。先生の対応っていうのになんかこう…

タロウ:うん、なるほど。

筋疾患事情に明るくない人のために少し説明が必要だろう。
伊藤さんはこの主治医は筋疾患の専門であり「医者がいうならそうなんだろう」と思っていた。それは無理からぬことである。
個人差はあるが筋疾患を持っている患者は呼吸が弱いことが多い。
呼吸筋が弱いと酸素を取り込み二酸化炭素を排出する「換気」が不十分にな状態となる。それを補うために人工呼吸器を使う人が多い。
使用時間は夜間だけの人もいれば24時間使う人もいて個人差が激しい。
換気ができなければ酸素不足、そして血中の二酸化炭素が増え頭痛が起きる。これは呼吸が間に合っていない証拠であり危険なシグナルである。
この主治医の対応は「ヤブ」のそしりを免れまい。こういう主治医にあたってしまったのは本当に不運だったと思う。このことがのちのち伊藤さんの人生に大きな影響を与えることになる。

伊藤:病気的になかなか治療法がなかったので何かそこで僕のできることをやれたらいいなというのをきっかけに活動を始めたというところですね。

タロウ:活動しててどういう時に満足感とか達成感を感じてます?

伊藤:患者さんとの相談があればお答えできた時に、ちょっと役に立てたのかなと。治療法に向けての研究開発とかでも患者当事者として呼ばれることがあるんですけど患者として意見交換時に専門家の方からありがとうみたいなこと言っていただくことってそういう活動している意義にもなってるし自分自身のモチベーションになるなと思っててそういうのもあって活動を続けられているなと思いますね。

なんとも模範的な回答である。だが先天性ミオパチーの会は文字通り、先天性ミオパチーが指定難病に認定されることを目的に署名運動をしていた。となると、主導していた彼にはそれなりに行動力があるはずである。そうでなければ病気障害にまつわる運動などできるはずもない。

タロウ:伊藤さんのそういう個人的なことをお聞きしたいんですけど。障害というものを肯定的に捉えてるか否定的に捉えているかの価値観をお聞きしたいんですけど。

伊藤:どうなんでしょう。人それぞれな感じもしますし最近あの、今までは障害があるだけで社会参加が難しかった気がするんですけど、いろんなその周りの人の受け入れだとか社会環境だとか。テクノロジーによる支援というところで障害があっても社会に参加できるっていうような環境が少しずつできて当事者としても嬉しいですし患者さんを支援する側として活動している者として心強いなとは思いますね。

タロウ:月並みな質問ですけど、伊藤さんは自分の障害を受容して受け入れてますか?

伊藤:受容ですか?さっき自分の活動のきっかけのところでチラッとお話ししましたが、18か19の時にそれこそ人工呼吸器の導入になったんですけど。車椅子とかも乗るタイミングになったんですごい自分の中で葛藤とか色んな抵抗があったんですけど。最近は自分の病気も理解して、どうすれば生活の質を維持していろんなことができるかみたいなところも考えられる余裕ができてきたんで。時間と共に経験と共に自分の病気を受け入れているのかなと思いますね。

タロウ:私も20歳くらいで車椅子乗った時はすごい抵抗感がありましたね。理屈じゃなくすごい抵抗がありました。

伊藤:いつぐらいから乗り出したんですか。

タロウ:幼稚園…小学校入学くらいのときかな。今と比べてあんまり人口呼吸器は進化してないような気がします(笑)

伊藤さんも障害を社会環境と関連付けて考えている。「障害を肯定的に捉えているか否定的に捉えている」かの質問の答えからもそれがわかる。
そして先天性ミオパチーの会立ち上げとその運動のきっかけは自分が先天性ミオパチーだと判明しているにも関わらず精神的なものという非医学な考えで片付ける主治医への不信感にあった。
後の質問でも伊藤さんはこの時のことをターニングポイントであると強調し、心の中に「怒り」のような感情も抱えていたという。
やり場のない怒りや不満が彼を一連の活動へと突き動かしたのは間違いないだろう。

また伊藤さんは18歳から19歳にかけて車椅子と人工呼吸器を使い始めた。それまでは病気由来の苦労はあれど健常者の集団の中で育った。
それが車椅子と人工呼吸器が自分とセットになったことで自分が障害者側に近づくことになった。
私も経験があるから断言できるがこれは同じ経験のある人しかしっくりこないと思う。
健常者の中で育った人間が車椅子を使うにはなんとも言えない不快感があるのだ。個人的に葛藤という言葉はあまり使いたくない。

伊藤:僕は通常学級に通ったんですけど。いったらいったでいいんですけど、どうしても運動っていうところではなかなか友達とかに追いつけずにその体育とかもずっと見学してたので。なんかそこにね。すごく孤独感みたいのはあったんですよね。体育の授業とかでみんなはね結構走り回って色々こう競技してる中で僕だけ見学してたのでなんかそこはちょっと寂しさがありましたね。

タロウ:私もまったく同じパターンで見学してる時ってすごいもう虚無感っていうかすごいつまんないんですよね…次の質問なんですけど。ちょっと抽象的だけど現状に満足してますか?

伊藤:いや満足はしないです。病気だけじゃなく何事にも満足してたらそこで止まると思うので。

タロウ:ではこれからについてなんですけど。何かしら夢か目標があれば教えて欲しいなと思います。

伊藤:ありがたいことにいろいろな方の協力もあって先天性ミオパチーの活動も続けさせてもらっているので。僕が生きている間に先天性ミオパチーの患者さんがいろいろな選択肢を作れてるような環境をうん、ご協力していけたらと思ってるって感じです。それが達成すれば何かまた新しい夢ができるんじゃないかと思うんですけど。

おだやかな口調に反して貪欲な姿勢を見せてくれた伊藤さん。
ご両親についての話になると、それによれば彼の両親は頑固な面があり彼には厳しかったようだ。

気になったので突っ込んで聞いたみたのだが

「具体例を挙げてもらえると?」

「いやどうなんですかね。」

このやりとりが外に漏れるのを恐れたのか彼は言葉を濁した。

彼の病気の状態を含めて考慮すると心身に尋常ではない負担をかけるのが常な環境で育ったのは間違いない。
頭痛がするということはかなり呼吸筋が落ちている証拠だからである。その状態での通学は並みの精神力では不可能である。
同じ病気だからわかるが彼はきっと打たれ強いのだろう。人に甘えるということもしないのではないだろうか。

今回は私と同じ病気を持つ人へのインタビューとなった。これまで私よりも重度の方に話を聞く機会が多く、伊藤さんはもっとも私に体の状態が近いかただと思う。
病気・障害の状態が近くても育った環境が違い、生まれ持った気質が違えば当然考え方も異なる。私は彼のような啓発活動などを通して同胞の役に立とうとは思わないからだ。

その代わり私は彼のような方に話を聞くことに意義を感じている。それを自分の中で再確認することができた。

「また機会があればリモートしましょう。」

お互いそう挨拶して、私たちはリモートから退出した。

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