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遊びの師匠が私に教えてくれたこと

#一人じゃ気づけなかったこと

人生において後から「もっと早く気づけばよかった」と思うことは誰にでもある。もし誰かの発言で早い段階でそれに気づければそれは大きな益であり幸運だ。もっとも自分自身がそう言った他者からの益ある発言を受け入れる器がなければならないのだが...

私にとってそういった経験は高校2年生の時だった。私は生まれながら筋疾患があり小学校の時から体育の見学はもちろん体力が必要なことはやったことがない。ステータスで言うならば身体障害者である。5歳時の時点で「身体障害一級」の手帳を持つ真のプロ障害者であった(もちろん自虐的表現である)

学校への登校は親に送り迎えをしてもらっていた。学校のみんなには私に持病があることはアナウンスされていた。安全面からの学校側からの配慮である...というのは建前で実際は私が怪我をした時にその件で揉めたくないからであろう。

小中学生時代の私は先述の持病により当然インドア派になるが実際は休日は何もすることがなく惰性でゲームをしていた。これではインドア派ですらない。小学生である私には障害者としての生き方、価値観、自分自身の全てに気づいていなかったのである。それゆえの主体性の欠如である。勉強についてもやる気を起こさずこの頃は特筆すべき点のない小学生時代であった。

中学生になって集会の場で学年の220人の生徒に自分の持病について説明するという「洗礼」を味わった。もちろん学校側の指示で行ったことだが入学早々こんなことをして友人などできるわけがない。私は気の置けない友人が一人いたが他の人たちとは壁を感じていた。先の集会での洗礼の影響もあるだろうが持病障害のある生徒として認知された私を対等の友人とはみてくれないのである。いわゆる色眼鏡で見るというやつだ。周囲は部活の話ばかり。私は中学生になっても休日は惰性でゲームをしている状態だった。

高校に入ると事情は変わる。高校一年の時に入ってきた転入生と私は親しくなった(友人Aと呼ぶ)。この友人Aは進学校から訳ありで転入してきたのだが、私の知らない遊びを多く知っていた。このAとの3年弱に渡る付き合いが私に少なからず影響を与える事になる。

友人Aは学校が終わると毎日駅前のゲーセンで「鉄拳」をやっていた。私は高校が自宅から近かったので歩いて通うようになっていた。と言っても息切れするので15分の道を休み休みで歩くのだ。友人Aの影響で私もゲーセンで麻雀をやるようになった(学校からゲーセン経由で帰宅してあまり遠回りにはならない)。友人A から教わったものはpc全般、音楽のdl方法、ニコニコ動画、ゲーセン、麻雀、トランプ、その他ゲームソフトなどなど。私にとって彼は遊びの師匠だった。

友人Aは頭の回転が早く相手が知らないことを教えたがる癖があり、学校の隙間時間で私に色々「講釈」をしてくれた。いつも『〇〇は知ってる?』というセリフがお決まりだった。この会話が私にとってとても勉強になった。私は持病があり家にいることが多く外の世界をあまり知らなかった。遊びもまた然りである。

もっとも印象に残っているのが高校2年生のパソコンについての会話である。これこそ#一人じゃ気づけなかったことである。当時CMでもapple製品が紹介されていて日本では注目され始めた時だった。父は重度の機械音痴だがこれからネットの時代であると思っていたらしくipadを買うことを私に勧めた。当時の私はまだ自分のpcを持っていなかったので既にpcを使っていてそちらに詳しい友人Aに意見を聞いた。彼はこういった。『良いと思うがipadはまずpcを持っている人が補助的に使うものだからまずpcを買うべきでは?』と。私は何故かこの友人Aの助言をすんなり受け入れることができた。もっともな意見だと思ったのだろう。すぐに父に相談しノートpcを買ってもらった。そして彼から教えてもらった事以外にもpcでさまざまなことを自分で調べるようになった。

友人Aが教えてくれたのは単なる遊びやうんちくではなく『自分で遊びを見つける』ことだった。この姿勢が私の人生に大きく変化を与えた。今まで受動的で勉強どころか遊びにさえ無気力な私がpcで自分から何かを見つけるということを知った。もちろん彼は深く考えて私に色々なことを教えてくれたわけではない。ただの雑談のつもりだったのだろう。しかし自分で何かをすることが少なかった私は彼によって大きな「気づき」を得た。おかげで今はゲームだけでなく読書をしたりこうやってnoteを書いている。彼の「講釈」がなければこうやって自分からエッセイを書くことはなかっただろう。

自分一人では何かを変えるきっかけは起こりづらい。ましてや自分の生き方を変えることなど自分の殻に閉じこもったままではできるはずもない。大切なことは自分に良き助言をしてくれる人と付き合うこととそれを受け入れる余地が自分になければならないことだ。幸いにも私にはその両方があった。自分にいい影響を与えてくれる友人に出会えるのは幸運なことだと思う。彼がいなければ今も惰性でゲームをしていたかもしれない。どうせ何かで遊ぶなら楽しんだ方がいいに決まっている。彼が教えてくれたのはそういう「遊びの姿勢」だった。読者のみなさんがこれを読んで何かの「気づき」を得られれば幸いである。

 



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