パンデミックとアートワーク

 キャッチーな単語を使うことにひどい抵抗感がある。あとちょっと考えると皆んなたどり着くところなので、すでにどこかで誰かが語っていることだろうが、自分の言葉を残して置きたいので記念のような気持ちで記そうと思う。

 「書きたい」と僕が言ったから、今日はコロナ記念日。

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 コロナのおかげと言っていいのかなんなのか、近頃テレワークなるものやオンライン飲み会、合唱、バンド演奏、生配信など、IP電話やビデオ通話、会議、ストリーミングサービスを利用した会合が増えていることは自明である。私としてはそういったものに違和感を覚えることも多い。

実際に同じ空間で会ったり、現場に行った方が良いものが結構あって、サービスが最善な状態でないのだ。今まで現実の空間で提供していたものをネットワークを通して再提示(リプレゼンテーション)しているだけで、それそのものと言えるものはほとんどない。価値が落ちているといって良いだろう。

 このネットワークを通してできる人と人を繋げる空間というのはとても不思議なもので、プライベートと公共とどちらの特性も持っていると思う。我々はそのネットワークを通してできる第3の空間と言うべきと場所に、この状況下頼らざる追えないわけだ。(別の話にはなるが絵画的空間に似ていると思わなくもない。)

 つまり何が言いたいんだというのは、既存の空間で提供されて来たサービスをそのまま第3の空間に持ってくるのではなく、第3の空間にふさわしいサービスを生み出す必要が迫られているのではないかということだ。

 やっとこさ話を美術に引き寄せるが、例えば絵画やドローイングなどどうだろう。綺麗に写真や動画を撮ってデジタル化したものを高画質でオンラインで共有することは可能だ。オンライン展覧会などすでに開かれてるが、まあそう行った類のものだ。しかし、結局のところ展覧会を実際に訪れて作品を見るのと、カタログで写真を見るのとは違うのと同じで、やはり実際に見た方が良いとなるのである。結局苦肉の策という印象が拭えない。

どうにかそういった環境を逆手に取れないだろうかと美術としては思うのだ。我々美術家、アーティストは新しい視点を提供しなければならない(この課題を持つのは美術家だけではないかもしれないが)。つまり、デジタルやオンラインで共有することが最善である新しい形を考えなければならないと思うのだ。共有するためのシステムをどうにか発展させていくことも必然だが、現状のシステムにぴったりとハマるようなピースを作ることもまた必然であると思う。

 まあ、もしかしたら遠くない将来にVRなどの技術の発展によって、オンラインを通した空間と現実の空間が見分けのつかなくなる時代がくるのかもしれないが、それを待つだけというのは怠惰であろう。常に新しい価値を想像(創造)したいものである。



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