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暇と文化

 私は展示や美術作品の社会的役割に面白さを感じる一方、すごく社会性のないような、誰の役にも立たないようなものが好きだ。その役に立たないことがひどく文化的なことで、とても素晴らしいことだと感じるのだ。

 文化は忙しさのなかでは生まれない。人間にしろ、生物の大きな目的は種の保存、個の保存だと思うが、人間はそのためだけに生きる必要がなくなった生き物である。


 文化的なことといえば料理が本当にそうだ。食材をそのまま食べても体の栄養になって生きていけるはずなのに、時間をかけてわざわざ料理をして、美味しくして、見た目にきれいにして食べる。人間が技術革新をして、生産性を上げて余暇を作って、料理はその暇から生まれたすごく無駄なことなのである。

 おそらく幸せになるからこそ人は料理をする。我々には暇があって、だからこそ幸福を追求できる。その幸福の追求が文化で、その中のひとつが美術だと私は考える。


 なので純粋な文化というのは問題を根本的に解決するとかではなくて、何かもっと役に立たないことで、生死について考えたり、より楽しむ方法を考えたり、そういうことなのだと思う。

 ほとんどの動物は考える暇もなく生きている。

 暇が生む無駄こそ純粋哲学で純粋芸術で純粋文化で、それはとても人間的なことだと思うし、貴ぶべき人間の長所であり、とても愛おしい。


 人間はすでに暇とそこから生まれる喜びを知ってしまっている。だから生きるか死ぬかだけのためにはもはや生きられないのだ。幸福を追求したくなる。その追求こそが文化そのもので、だから私は役に立たない美術が好きだ。


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