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シンミさんとボソボソ会議vol.2 会いたいんだけど会えていなくて(1/2)

名古屋でイベントスペースを運営するシンミさんが、コロナ禍に考えたことや、出会った人々から聞いた事柄を題材に、協議会スタッフの古橋とボソボソと語り合っている様子をご紹介しています。映像もございますが、あまりにボソボソとそして話があちこちに飛びますので、映像で雰囲気をご確認いただいたら、後は古橋が編集したテキストを読んでいただくとよりわかりやすいかと思います。

vol.2 会いたいんだけど会えていなくて

古橋・シンミ
よろしくおねがいします。

古橋
さて、今日は、どんな感じで行きましょうか?

シンミ
目標としてはたくさんの人に会いに行ってそのことについて話をしていきたいですけど、今回はそんなにたくさんの人に会いに行けてなかったので、まぁ偶然にというか、実際に会えた人のメモを書いてみたので、それを見ながら順番に話していきたいと思っています。盛り上がったらその人の話をやっていくって言うやり方でどうでしょうか?

古橋
前回が7月22日だったんですが、8月5日の今日までにシンミさんがお会いした方々ってことでうよろしいですか?だいたい何人くらいになるんでしょう?

シンミ
だいたい10人くらいですかね。1日に2人ぐらい合ってることもありますので。それに、久しぶりというより、僕が退院してから数度目のような人もいるんで、話題はコロナばかりじゃなくていろいろという感じになってきてます。

古橋
2週間弱で10人なら十分というか(笑)でも、コロナのことは状況も刻一刻と変わっていってますからね。

モリコロパークの道具市で再会したテント職人

シンミ
えっと、それで7月25日にモリコロパークに行ってきました。道具市っていうイベントをもう何年か続けている人達がいて、基本は古い道具なんですけど、中にはちょっと食べ物なんかも出してる人もいたかな。そうした道具を中心とした市の主催者の人も僕の知り合いなんだけど、今回は、そこに普通にお店を出している人が長年の知り合いで、その方のところを訪ねました。

古橋
何を出店してる人なんですか?

シンミ
テント地ってわかりますか?

古橋
ああ、たまたまなんですけどね。港で、テント地職人の方がいて、その方は、趣味というかボランティアでバック何なんか作って、東北の被災者に送ったりするような人がいたりするんですけど…。

シンミ
え!凄い!その通り。実店舗も西尾市にある寺田商会というテント屋さんなんですけど。生地はリユースなのか、ちょっと詳しいことまでわかりませんが、そんな丈夫な布を使う職人さんです。もともとは軒先のテントとか作っていて、今もそれは続けているんですけども、なかなかそういうことだけでは商売が難しい時代なので、何かそういう新しいバックとかアクセサリーとかを展開していこうということの一環でやられてる方です。

古橋
おもしろそう!フライターグとかかっこいいですもんね。

病を患ったことで…

シンミ
うん。そうなんです。で、少しプライベートなことなんですが、寺田くんは今から3年位前に脳梗塞をされて…。まだ50歳前後くらいだと思うんですけどね。それで、手術もリハビリもして、そして今は復帰してて日常的に仕事にも戻られて、多少言葉に不自由なところがあるんですけど…。
まぁ、そんな体験をされていて、確か去年か一昨年の道具市のときに、「すごく大変だったけど、よくなってきて良かったよね」というような話をした記憶があって。でも、その話をしたすぐ後、今度は僕が倒れちゃって…。
僕の問題も脳にあったので、すごく心配してくれて僕が病院から一時帰宅しているときとかにもお会いしていたんだけど、3月に退院して以来は会えていなかったんです。
まぁ思いがけず、同じ境遇になってしまいましたねなんてことで、巡り合いというのもおかしなもんですねということを再会して話したりしたんです。…だからなんだろう?…何とも言えない感じになりましたね。フフフ(笑)。

古橋
笑うしかなかったかもしれませんけど、本当は笑い事じゃなかった話というか…。シンミさんは、ご病気されたときのことを何か文章に起こされたり、どこかでお話しされたりしているんですか?
思い起こしてみると、僕ら間でもそれなりに衝撃的な出来事だったというか、みんな心配していたわけですけども。おそらく、シンミさんの周囲の方がみなさんとても動揺したし心配だったというか…。まぁでも周りが騒いでも仕方がないしとか、まぁいろいろ。
ただ有難いことに、たまにお会いしたときのシンミさんがいつもシンミさんらしくいてくださったので、僕らも変わらずに接することができたんです。けども本当は大変だようなぁとか想像していました。
それこそパーソナルなことですが、その時のことって何か言葉にできることってあるんでしょうか?

シンミ
…うーん、なんというか…。なんかその時のことは話せないとかではなくて、僕もまだよくわかんない感じで。どれぐらい大変だったのかと言うようなことも、なんだろう?医療的な面でも自分がどういう状況に置かれていて、どんなふうに回復してきたのかって言うことを再度きちんと振り返れていないんです。
なんか当時は単純に治りたい一心でといか、とにかく早く退院して家に帰りたいということばっかりで(笑)入院してた当時は、今どういう状況にあって、どれぐらい回復してるのかみたいなことはあんまり…。でも、もちらん敢えてそれを考えることを避けていた面もあるかもしれないけど、ちゃんと見つめていなかった。で、それは今でもそのまま来ているともいえるのかな。
だから、なんかまだあんまりよくわかんないんです。今は、文章化すること自体が大変なこともあって、多分僕はもともとは文章にしたりするのは好きな方なんですけど結構それが減っちゃってるんですよね。そこあんまりできてないかなと思います。

古橋
では何か言葉になっていない部分もあるかもしれませんけど、その寺田さんとはちょっと戦友みたいな?

シンミ
関係がすごく変わっちゃったなぁと。こんな言い方は正しくないだろうけど、自分が病気になる前は、なんかちょっと上から見ていたというか…今は自分も病気をして、かなり同じ目線、同じところでいるなぁっていう感じがありますね。

マーケットいいですね

古橋
無理矢理こじつけるわけではないし、偶然なんですけど、港まちに元気がなくなってくる中で、公設市場までが消えてしまって、みんなのお買い物空間もなくなってしまったんですけど。それで、なんとかして賑わいを取り戻したいという課題があがっています。だけど、街が衰退していくには、それなりの構造的な理由もあるわけで、正面から向き合うというのは、中々大変だというのもあるわけです。でも、なんとか小さなマーケットみたいなものから始めれないかなぁと思っているんです。
もちろん、今求められているのは日常的なお買い物で、生鮮三品みたいなものだとは思うんです。でも、本質的な賑わいって、そういうことだけじゃないなぁと言うような話をしていて。例えば、他でやっている、いろんな定期市やマーケットを参考にしてみてはどうだろうという時に、僕には道具市という発想はなかったんです。ですけど、今日シンミさんのお話しを聞きながら、すごくイメージが膨らんでしまって。
先ほども話ましたけど、港まちにはテント生地を扱っていた職人さんもいますし、古道具みたいなものが家に眠っている人は、まだいそうです。おそらく、それを転用した商品や作品を見たら何かインスパイヤーされそうだし、自分もやろうかなんてことになれば楽しそう。あと、まちの古道具というか、僕らは街のアーカイブをテーマにした展示で「いらんもの」ってやっていますが、ああいう類いのものって、玉石混合ですが、まだまだあると思うんです。道具市って、そういうものの見せ方とか、価値の再発見をする感性を刺激しそうです。シンミさんのお友達にも助けていただきたいとか、妄想膨らみました。

シンミ
いやぁ〜、そんなことできたらめちゃくちゃ面白いなぁ。

そして、誰に会いにいくのか?

古橋
そうですよね。シンミさんの話、すごく面白くていろいろ考えさせられるんですけど、この感じでやっていると、10人は紹介できなくて朝になってしまいますよね(笑)。

シンミ
そうだね〜(笑)。だから本当はお話を聞かせて下さいってでかけていって、聞いてきたお話を紹介することをやりたいんだけど。でもそれができてなくてたまたま会った人の話をしているから、なんかこう広がっちゃうのかなぁ?

古橋
今日は実験的に2人だけで話しているんじゃなくて、聞いてくれている人もいるんですが、ご参加いただいているみなさんから何か質問ありますか?

児玉(港まちづくり協議会スタッフ)
質問なんですけど。誰かに話を聞きに行こうって決めて会いに行くって聞いたんですけど、そういう時って一体誰に会いに行くんだろう?って思って。その人って、どうやって決めるのかとか、そういうのがあるなら教えて欲しいなぁって思ったんです。

古橋
確かに。今回のアクションというか、シンミさんがやろうとしていることってシンプルでわかりやすいんですけど、では、実際に自分に置き換えると一体誰に会いにいくのかってなりますよね。少なくとも僕はやったことがない。そんな人が大半なんじゃないですかね。

シンミ
僕の場合は今回病気になってしまったので、それまで頻繁に会っていた人やたまに会っていたような人と全然会えなくなってしまっていたので、思い切って訪ね歩こうって言うことなんです。で、それを配信していくって言うふうにしたら面白いかなぁって思っていたら、古橋くんに誘ってもらって…。
だから基本的には僕が会えていなくて会いたい人を訪ねて行くって言うのが基本です。僕が会いに行った人、その中の何人かの特にお店だったりとかをやってる人は、今どうしています?みたいなことを聞くと新しい情報とかを教えてくれる。だから、それを宣伝できれば、多少なりとも役に立つのかなぁとも思って。
あとこのプロジェクトの話をしていると、こんな人いますよーって言う感じで、どんどんいろんな人を紹介されるので、その人に会いにいくっていう要素が増えるんじゃないかなぁとも思っているんです。

古橋
ありそうでないことですが、こうしてプロジェクトとしてセットすると動きだすってのは、やっぱり新鮮というか、見てて、いや聞いてて面白いんですよね。次回も楽しみにしていますね。

vol.2・2/2へつづく

プロフィール(シンミさんと古橋、寺田商会


新見永治(シンミさん)
Eiji Shimmi
パルル運営メンバー[Co-director of Parlwr]
1957年京都府生まれ、愛知県在住。1982年より名古屋市のスペース「パルル」でリーダーを置かずに集団で運営しながらコミュニティ作りの実験を続けている。音楽ライブイベントを多く開催する他、「あいちトリエンナーレ2013」では「プロジェクトFUKUSHIMA!」の一員として参加。マレーシアのアートプロジェクト「Gerakan Seni 2015」にて「搬入プロジェクト」を実施するなど、ジャンルレスな企画を実践し続けている。
http://www.parlwr.net

古橋敬一
Keiichi Furuhashi
港まちづくり協議会事務局次長。学部時代にアラスカへ留学。アラスカ原住民族の文化再生運動に触れ大きな影響を受ける。帰国後、大学院へ進学すると共に、商店街の活性化まちづくり、愛知万博におけるNGO/NPO出展プロジェクト、国内および東南アジアをフィールドにするワークキャンプのコーディネーター等の多岐にわたる活動に従事。多忙かつ充実した青春時代を過ごす。人と社会とその関係に関心がある。2008年より港まちづくり協議会事務局次長として、名古屋市港区西築地エリアのまちづくり活動を推進している。http://www.minnatomachi.jp/

株式会社 寺田商会(寺田さん)
愛知県西尾市にあるテントやシート製品の企画、製造、取り付けまで行う会社。主に1点ものの製品の制作を行う。近年はテント地を使ったバックなどの
販売も行なっている。http://www.terada-shokai.jp/
instagram▶︎ https://www.instagram.com/terada_shokai/

*み(ん)なとまちをつくるアーカイブプロジェクトとは
港まちに暮らす人々の個人的なエピソードを集積し、まちの新たな輪郭を記録するプロジェクトです。さらに、その記録を成長させていくことで、現代の都市が「まちづくり」に向かうことの意味を問い直し、このまちの未来の姿を思い描くことを目的としてい ます。
2016年の「まちと話す│talk with you」、2017年の「まちを解く│find your origin」、2018年の「まちを綴る│taste our tracks 」、2019年の「まちが語る│telling our story 」に続き、5年目となる2020年の今回は「まちを残す|people talk about what they do」を展覧会のタイトルとしました。

この企画は、協議会の拠点である港まちポットラックビルで開催した展覧会「み(ん)なとまちをつくるアーカイブプロジェクト*vol.5 まちを残す|people talk about what they do」(6/27(土)-10/3(土))の中から生まれました。
www.minnatomachi.jp

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