架空の自分を、見ないで。

自分の個人ネームをあかしているnote アカウントで、久しぶりに近況を投稿した。

そうなるとこっちでは何を更新するといいのか、今はよくわかっていないけど、匿名性が有るからこそつぶやくことのできるディープなことや、声なんだろうなと思っている。


最近、

「自分で事業を作ること」に興味が再熱した。

・単純に、誰かになにかに搾取されることなく自分のお金を稼ぐこと

・自分がやりたいと思うことがその手段でできて、それで収入も入ってくる一石二鳥感

・自分の人生の中で、大事な軸を探しているタイミング


こんなところなんだと思う。


未だに私は、「何者かになりたがっている」。


自分は自分で、誰が何を否定しようと、自分で。この世に存在しているだけで貴重で、ただ生きているだけで丸儲け。なはず。

自分だったらもっといろんな事ができる。っていうプライドが、自分をそこに着地させることに抵抗しているのかもしれない。


でもよく考えれば、こうやって衣食住になにの疑問も不自由もなく生きることができている時点で、十分に恵まれているのよね。

その中で、選択肢をたくさんもって、どれを選ぼうかな?っていう贅沢な悩みなわけです。


どうせ生きていれば老いるし、時間は過ぎていく。

過ぎていく時間にすらいろんな意味があると捉える人と、特に意味はないし目の前のことを片付けながら生きる人。

どっちが幸せ、とかあるのかな?


毎日健康的に目をさますことが、ただただ幸せなことで、

新しいことにチャレンジできて(職種)、希望したところにようやくたどり着いて、

これから先のキラキラした未知の世界の可能性もあって(ワーケーション)、なりたい自分の像もあって(ダイエット)、

その妄想にひたって、金銭的な余裕もある程度あって、大学院など一層自己達成に向けて諸々考えている。


誰かと比べて焦るっていうのは、自分が小さな世界の中で意思決定や判断をしているからだ。

そのままで、十分に贅沢で、丸儲けだというのに。足元が見えない状態で、なにかに感謝ができていない状態で、プライドをもってしまっている。

もっと世界は大きくて、意味なんてないのかもしれない。



世の中に、ネガティブな何かをしてしまっているわけではない時点で(事件など)、

ちゃんと、世界と、自分を見てあげるべきね。


架空の自分を、見ないで。感情を受け取る本当の私を、見てあげて。