重いけど最後は明るい話です。長いです。本当に暇だったら読んでね





突然だが、私は家庭や家族というものが非常にコンプレックだった。私から家族について口にすることは殆ど無いのはこういうわけである。

私の家庭は裕福ではない。両親もあまり仲良くない。友達の家庭と比べても普通でないことがたくさんある。正直、大学行けたのが奇跡のような家庭。

このことで悩むことが人生でたくさんあった。些細なことを含めたら、毎日かもしれない。家庭のせいで肩身の狭い思いをしたり、友達の幸せな家庭の話を聞くだけで胸が締め付けられたり。なんで私はこんなことで悩まなければいけないんだろう?と家でこそこそ泣いてしまうこともあった。(これはつい最近まで。)基本的に泣かない性格だけど、こればっかりは涙が出た。

周りの普通が、私にとっては普通じゃないことばかり。その度に心が死んでいった。どんどん夢も希望も消えていった。

こんな感じなので、当然、家庭というものに良いイメージは全くなかった。高校生くらいから、彼氏も要らないし結婚もしたくないし、1人で生きていこうと本気で思っていた(本気で)。結婚したくないとずっと言っていた本当の理由はこれです。


でもね、なんだか最近、ちょっと考え方を変えられるようになった。
私めっちゃラッキーじゃない???って。
明るい家庭ではないし、大変な家庭だけれども、
そんな中でちゃんと勉強させてもらえて。学ぶ楽しさを知ることができて。大学行って。めっちゃラッキーやん。知を得る楽しさは、人生の醍醐味だと思う。
普通の家庭ではないかもしれないけど、ちゃんと勉強させてくれて、大学行ける環境を与えてくれた。何で奨学金も借りて、バイト代からも学費入れなくてはならないんだろうって嫌になることもあったけど、
今では、両親にとても感謝している。特にお母さん。大変だったと思います。

そして、家庭なんか良いものじゃないと思っていたけど、今では考え方がまるっきり変わった。素敵な男の人を見つけて、とびっきり暖かい素敵な家庭を作ったるわ〜〜!!!!!!!と逆に燃えている。へへへ。笑

素敵な家庭が羨ましいなら作れば良いじゃない!って感じや。(パンがなければ〜のテンション)

少し考え方を変えるだけで、ずっとわたしを支配していた何かが、いとも簡単に飛んでいったような気がする。そんなこと?って思うかもしれないけど、私にとっては難しいことだったんだ。


さて、こうやって色々と振り返る中で、私みたいにラッキーではない子供たちが、世の中にはたくさんいる、ということを思った。

知を得る機会は平等なようで、全く平等でないと思う。やはり貧富の差、家庭の意識差によって勉強する機会の獲得量は全く違う。知を得る楽しみを、"知る機会"すら削がれている子供たちがたくさんいる。

余談だが、私が図書館司書の資格を取ったのは、図書館という空間が好きだったから。図書館は、誰でも平等に知を得ることができる空間。めっちゃ素敵だな〜って。(機会という意味では、平等ではないが。)
まあ逆に、それだけの理由で資格を取った。単純だよね。笑
あと、国立国会図書館の
《真理がわれらを自由にする》
という言葉も好きです。じゃあお前もっと本読めよ。って感じなんだけどね。笑

単純でゆるゆるてきとーな自分はわりと好きです。

話がめっちゃ逸れたけど、とにかく、知を平等に得る機会。これを、どんな子どもでも得られる社会にしたい。なってほしい。私にできることはあるのかな。分からない。
でも、気持ちがわかる私だからこそできることはなにかあるのではないだろうか。

考えてみよう。

人生の醍醐味を知る機会も与えられないなんて、そんなの悲しいからね。


あー
夜中にバーーーっと書いてしまった〜!

これ、朝読んだらめっちゃ恥ずかしいやつや。

みんないつもありがとう!

何か辛いことがあったらこのnote見返して頑張ろうと思います!

重い内容読んでくれてありがとう!

シーユー!

言いたいことも言えないこんな世の中やけど、何とかギリギリ生きていこう!!!!

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