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【04:ミンカ10th企画】2人それぞれのソロ曲の撮影を見学したときに思った 圧倒的に惹かれる美しい世界

前回までのお話
初投稿動画は消したけど、活動開始。

mixiやブログを始めたことによって、ミンカとして画面の向こうの人と繋がり始める。
そう…当時のSNSでまだ最強だったmixi…

同じニコニコ動画で活動している人たちともネット上で話すことができた。Skypeで連絡を取り合っていたな…もう何年も開いてないなSkype…
本名も知らない人たちと夜遅くまでチャットで盛り上がるのはなんとも不思議なものである。 

その頃には、元々友達だったランラン姉ちゃん(実姉ではない)などと話が盛り上がりコラボして踊ることも始めた。
楽しかったのはもちろんなんだけど、なんというか伯爵と2人だけじゃない、仲間が増えて行くような嬉しさがあった。

ミンカの活動範囲が多方面に広がる

こうして少しずつネットでの繋がりができたことによって、2009年の夏さらにミンカの活動範囲が多方面に広がる。

赤坂で行われるライブイベントに呼ばれたことに端を発し、上京ついでにコラボや写真撮影などここぞとばかりにミンカでやりたいことの予定を詰め込んだ。(ミーハー魂もここぞとばかりにつめつめに詰めこまれていた。)

初めてのイベントは踊り子のみんなとホテルにチェックインするあたりからずっとワクワクしてたなあ。
全国の投稿者とユーザーが集まることに興奮しまくっていた(この頃にはすっかりニコ厨)。
お客さんを前にして踊る事にはあまり緊張もなく(しろよ)、「ファンです!」なんて言ってもらうたびに、くすぐったい気持ちとどこか遠くの自分に言われている気持ちがないまぜになっていた。

思い出はたくさんあるけど、この旅一番の出来事といえばやっぱりDANCEROIDを結成したことだろうか。
細かくいえばここが結成じゃないんだろうけど。
まぁとにかく集まったわけです。
いとくとらこといくらさんと愛川こずえことこずこずと。

東京に行くよりしばらく前に、まず仲良くなっていたのがいくらさん。
華奢で美しいまさに2.5次元の彼女はまた、(期待通り)変でおもしろかった。
Skypeで初めてチャットしたときはお互いなんかよくわからない会話をしたなぁ。
まだあまり三次元の人間に慣れてなかったのだろう…(おこんないで❤️)
実際に会えた時は、ああこういう子が芸能人になるんだろうなとひと目でわかるくらい、あまりのオーラの違いに感動した。

そしていくらさん経由で仲良くなれたのがこずこず。
こずこずは自分で動画をつくることに最大限工夫と努力をしているのが毎度見てとれて、そこに毎回小気味良いダンスをきめてくれるので見てるだけで元気をくれるすごい踊り子さんだった。
ハロプロ系の動画とか特に大好きでよくみてた記憶…。
実際に会えたときは動画で思ってた以上に細くて小さくて、話すとポヤンとしていて間の取り方が絶妙すぎる不思議な子だった(おこんないで❤️)

2人ともニコ動踊り子2トップをはる人気の持ち主だったことはここで言うまでも無い。

・・・

さて、当時マレーシアに住んでいたいくらさんが日本に戻ってくるという。そこで3人でグループを結成しない?とお誘いをうけた。

「ちょっとした芸能活動だー!笑」ぐらいに思っていたので、具体的にどう活動するとか話してないうちから、この3人でグループつくるなら最強やろがいっ!!とテンション高めにOKした。
なんだったんだろうあの自信。

企画を通して事務所も紹介され、どうせならオリジナル曲やオリジナルダンスで…と話は進み、なんやほんまに芸能活動みたい()と悠長にかまえてるうちに、ことは本格的に動き始める。

そこでもまた大きな出会い。
舞踏家としてフランスで活動していたyumikoさんが、DANCEROIDの振り付けのために一時帰国してくれることになったのである。

ニコ動に突如現れた、オリジナルの振り付けでボカロ曲を踊る、いままでに無かった世界観を完璧に作り上げていたyumikoさん。
しかもVOCALOIDのコスプレまで完璧で、まさに3次元に飛び出してきた踊るVOCALOID。
踊ってみた界隈では瞬く間に崇められる存在となった。
いまでも続くオリジナル振り付けの一大ムーブメントの火付け役となった伝説のおひとである。

そのyumikoさんにだめもとでオファーしたら快諾してくれたと!
いったいどうしてここでオファーを受けてくれたのかは本当に謎(笑)しかしyumikoさんが加わってくれるなら更に心強いスタート切れる!とウチら最強感が増した(勝手に)

あれ、これはマジなやつなんだな…?

充実した夏のあと、なんかこういうのよくやってるじゃん的なノリで合宿があり(おもしろかったなー)。

レコーディング(人生で自分がレコーディングするなんてなー)や振り入れ(ダントツで私が覚えとリズムが悪く進まなかったなー…)、動画や写真撮影、きちんとした契約、と企画が進むほど「あれ、これはマジなやつなんだな…?」とやっと気づき始める遅い女。

「3人でDVDを発売する」という企画で話をもらい私もそのつもりで動いていたので、そのあとも芸能的な活動をするとは思っていなかった。
逃れる気は無かったけど、なんか逃れられない状況に追い込まれている感じは途中からかなりあった。のでちょっと焦ってもいた。

日々焦りはあれど、あれよあれよという間に、年末にはお披露目初ライブ。
DVDも完成し、コミケで手売りもした。

その頃には、わたしはDANCEROIDに邪魔なんじゃないかという思いにとらわれていて、出来るだけパネルの影に隠れながら金庫管理をしていたことを覚えている。

東京に滞在しながら活動する中で、少しずつ少しずつ無くなる自信。見えない終わりとその先のビジョン。お遊びで始めたことが予想より本格的でついていけないことで生まれた劣等感。不甲斐ないけど、そこから這い上がろうと努力することも出来なかった。

そして当初予定していたより少し長く、2010年の春でDANCDROID卒業。

刺激的な都会での生活や、煌びやかな世界にほんの少し触れさせてもらったことは貴重な経験だった。

そして、動画で見ていただけのいくらさんとこずこずが、こんなに自分と近しい関係になったこと。2人の踊りを間近で見れたこと。
それが1番嬉しかったし深く思い出に残った。

あぁ、この子たちはこの世界でやっていく覚悟と才能があるんだなって、2人それぞれのソロ曲の撮影を見学したときに思った。
圧倒的に惹かれる美しい世界。
いま現在もそれぞれ活動している2人が、誇らしいです。

・・・

結局、凡人のわたしは手探りで辿った芸能活動をきっかけに、劣等感に苛まれることになる。
その頃には、楽しいと思っていた今までのミンカの活動がほぼ「苦」に変わってしまっていて、そこから一刻も早く抜け出したいという気持ちでいっぱいになっていた。

そこからしばらく足掻くことになる。

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