ペットロスを経験して
閑話休題
ひとやすみ回ということで。
…ひとやすみ回なのに内容ベビーになってしまった…
noteに記すべきか悩んだのですが、いまはブログよりこちらのほうが目にとまりやすいかと思い書かせてもらいます。
今回の企画でねこ散歩にナレーションをしていたとき、私はいつも以上に猫に愛おしさを感じていた。
一人で自宅の部屋でマイクとスマホに向かい、動画に映る猫の柔らかな表情に頬がゆるむ。なのに悲しさが湧き上がってくる。
ちょうど私は激しいペットロスに陥っていた。
この企画の話をテブレラニーサンとはじめた頃、私は実家に帰省していた。
実家には4匹の猫がいる。
物心ついたときには猫が大好きであった。
どこが好きとか言語化できない。
狙ってるんかというほど新しい服を必ず毛だらけにされても、ふわふわのファーにおしっこかけられて使えなくなっても、家の柱に爪をガリガリされても、PCのキーボードの上を往復されても、自分のDNAに刻み込まれているのかと思うほど存在そのものが愛するしかない生き物なのだ。
幼い頃から捨て猫を拾ってきては飼おうとして怒られ(結局飼う)、一人暮らしのときは何匹も捨て猫を保護し譲渡に奔走していたりしていた。
ちなみに一番最近捨て猫拾って親に怒られたのは3年前なのでなんら成長していない。
多分前世は猫に命を救ってもらっている。
実家にいる猫で1番の古株は、ぷぅという雌猫だ。
わたしが高校生のときに、もらい手に困っていた子猫を連れて帰ってきた。
雌は我が家に1匹だけだったのだが、飼っていたどの雄より賢く狩りも上手だった。(うちの雄猫のおばかさがひどいという説もあり)
こやつ絶対人間の言葉わかってるな…という瞬間がよくあった。
ツンデレという言葉がとても合う猫で、普段は素っ気ないのに私が落ち込んでいたり不安だったりするときに必ずベッドにきてそばにいてくれた。
ミンカとして活動している間もブログやニコ生によく登場していたから馴染み深い人もいるかもしれない。
話を戻しまして。
実家を離れてからはたまにしか会えないのもあるかもしれないけど、年末に会った時さすがのぷぅちゃんでも年をとってるなーと感じた。
耳が遠くなったのか鳴き声が大きく、ほとんどの時間寒そうに寝ている。
膝にのってきても軽すぎて気づかないことから「熟のいち」とからかったりしたけど、少し心配していた。
変わらず食い意地は張っていて、毎食息子のごはんを横から狙うので「もぉぷぅちゃんやめてよーー!!!」と半泣きの息子に怒られていた。
正月も終わり普段の生活に戻って1か月も経たないうちに母からLINEがきた。
「もう一歩も歩けません」
突然だった。ついこの間まではそろそろ猫又になるかなんて言われていたのに?
一緒に送られてきた、毛布にくるまれている写真のぷぅちゃんはさらにひとまわり小さくしぼんで見えた。
「今日か明日。」
母は見たら辛くなるから戻らなくていいと言ったがそういうわけにはいかない。急いで支度して実家に帰った。
見たことのない表情で苦しそうに息をするぷぅちゃんを目の前にしたら涙がとまらなかった。
いまから本当にこの子を失うのか
家族は気を利かせて私とぷぅちゃんだけにしてくれた。抱き上げたぷぅちゃんは全く重さを感じないほどスカスカだった。
出会ってから今までのことをぷぅちゃんにずっと語りかける。うるさかっただろう、ごめんね…。
ありがとうありがとうと何度も言った。
ぷぅちゃんは目を開けることなく、小さく息をしていた。
その夜、咳がとまらなくなり大きくのけぞったあと、ぷぅちゃんは死んだ。
翌日、父が作った箱に花を敷き詰めて思い出の写真をいれて、穏やかな顔になったぷぅちゃんと別れた。
自宅に帰って埋葬が終わった連絡がきても、まだ涙は枯れなかった。
しばらく生活をこなしながら、ぷぅちゃんの写真を見てはボーっとして過ごす日々。
普通に過ごしているつもりでも、無邪気な息子の「ぷぅちゃん夏には帰ってくる??」の一言で号泣したり、楽しいことがあってもなぜか罪悪感のようなものを感じてしまうようになった。
それはいままでの人生の中で、間違いなく1番の悲しみだった。とてつもなく大きくて高い、越えられない壁が目の前にドーンッとあらわれた感覚。
とてもじゃないけどこの悲しみは乗り越えられない。
私たちはペットより人間の寿命が長いとわかってそれらを飼い、愛し、家族になる。
どこかでずっと覚悟しているはずだ、「この子のほうが先に死ぬ」と。
私もそうだったし、ぷぅちゃんなんか本当に長生きだったんで、何年か前からはぷぅが死んだら色々どうなるんだろうと想像することさえあった。
覚悟はあったのに、現実はここまでの深い喪失感に苦しんでいる。
今まで何匹か猫を飼ってきたが、死期を悟って山に消えたりする猫がほとんどで直接死ぬのを目の当たりすることはなかった。
死の瞬間を見たのも大きいのかもしれない。
ぷぅは誰よりも賢い子だったから、自分の寿命がわかっても家にいてくれたんだと思う。だから最期を看取らせてくれたことにはとても感謝しているのだけど。
もっとあれしてやればこれしてやればという後悔は正直言ってあまり無い。長生きだったぶん喧嘩もしたが(猫とだってするんだ)、愛情をそそげる時間はたくさんあったから。
もう一度会いたいとかいうことでもない。
天国で、とってきたものに悲鳴をあげられることなくのびのび狩りをして、しこたま美味しいものばかり食べて過ごしていて欲しい。
けじめはついていると自分では思う。
それでも、だから。
こうやってnoteに記しながらも、ペットロスの解決策を提示できるわけもなく、書きながらどう向き合っていけばいいんだろうと悩んでいる。
ひとしきり悲しむだけ悲しんだあと、何か変わるのかもしれない。
薄く薄くなっていくだけで、死ぬまでこの喪失感と付き合っていく気もしている。
ぷぅちゃんをずっと忘れないのは当たり前。いま生きている大切な存在を同じように愛そうと思うよ。
これだけ愛おしい気持ちを教えてくれたのは猫なんだなと少し自分に笑えるのが唯一救いかな。
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