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今日は同窓会ぶりに、戦友に会った。

(偶然チカホで中学からの親友Aに遭遇したのが面白かった。Aともゆっくり話したいと思っているけど、都合のなかなか合わない2人なので悲しい。Aはきゃいきゃい噂話をするタイプの子で、そんな時間もとても好きだ。)

戦友Bは受験を一緒に頑張った仲。結果別々の大学に行くことになったけれど、私は尊敬できる友達がいたから今の大学を受験したので、つまりは進路決定の恩人でもある。私はBの聖人みたいな穏やかさとか謙虚さをとても尊敬している。ちなみにもう一人の尊敬する友達には、私たちは決して追いつけないことで合意済み。

再会した瞬間から近況(2年間のこと)を話しはじめ、気付けば5時間経っていた。カフェが見つからないことにも最初気付いていなかった。そのくらい話に熱中していた。大学で出会った人には、どうも気後れしてしまって自分の考えとか不安とかをうまく話せないのだけど、Bはただただ共感して聞いてくれた。大学の立派な友人たちは、不安に対する対処法をすぐ提示することが多いのだけど、Bはただ聞いてくれた。それが私には心地よかった。ロシアの侵攻が他人事ではないこと、英語や留学のこと、勉強のこと。めったにしない自分にとって真面目な話題だったけれど、そこで率直に気分を表しても大丈夫だった。

隣の席では若い女の人たちが「あの子性格悪そうじゃない?」って盛り上がっていて、私はこの人とこちらの席に座っていて本当に良かったと思った。

Bは京都で学生生活を送りたいけれど、地元の大学の強みである分野で頑張りたいから院も残ろうかなと話してくれた。それなら、関西勢がいるうちにたくさん遊びにおいでよ、と言った。Bは高3のとき受験生になりきれていなかったと思う、と話してくれた。勉強してたと思うよ、と言ったけど、どう表現したらいいか分からなかった。今でもBがそう言うことが意外だった。なんにしても、当時から私はBの人格に純粋に惚れ込んでいて、どっちか一人が合格できるならBを合格させてくれと思っていたことも、合格発表を見て二人一緒じゃなかったから素直に喜べなかったことも、言わなかった。なんでだろう。

結果として私たちは、同じ場所にいようがいまいが、お互いを苦しめることなく高めあえる(高めあえるっていうのはくさい言葉かもしれないけれど)、ちょうどいい温度どうしだっていうことが分かった。そういう戦友ってとても大事だ。少なくとも私にとっては。

帰りに両親への花束を買うのに少し付き合ってもらった。自分なりに頑張ろうと思いながら同じJRに乗ると、「別れがダメなんだよね」とB。なんと、そこまで同じだった。私はバイバイしてきちんと帰ること、断ることを学ぼうとしていると伝えた。大人だねと言われた。私はBより大人だから、がんばってね、京都で待ってるわと言って、手を振ってJRを降りた。振り返ったり止まったりしなかった。


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