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私の母には子宮がない

先週の日曜日、家に妹の中学時代の友達が家に遊びに来た。
…とんでもないことである。
だって私の家には、今年高校1年生になる妹はおろか、今年19歳の私ですら生まれてから一度も、家に友達を呼んだことがなかった。
母親に、禁止されていたのである。
厳密に言うと妹は一度小学生のとき、仲の良い友達を親に内緒で家に呼んだことがある。それがバレた時妹は、「〇〇ちゃんが実は泥棒で、家のものを盗んで行ったらどうするんだ!!そしたらお前は〇〇ちゃんを犯罪者にしたことになるんだぞ!!」と、すごい剣幕で母親に怒られていた。過剰に書いたわけではない。文字通り、ほぼそのままのセリフを母親は妹に吐いた。妹、もちろん号泣である。

そんな我が家に何故、「友達」が遊びに来たのか。遊びにくることができたのか。母親は何も言わなかったのか?事の顛末は、こうである。

高校一年生の妹は、ある日通っている高校で、体操服販売があった。一週間前に注文をしており、その日は体操服の受け取りの日で、早速その日の5時間目には体育の授業があったそうだ。体操服屋さんが並んだ生徒たちに一人ずつ名前いりの体操服を手渡していく。しかし、妹の番になった時、体操服屋さんは無惨にも妹に言い放った。「あなた、まだ料金が振り込まれていないから、今日体操服をお渡しすることはできないよ」と。結局その日妹は中学のジャージで体育の授業に出たが(サボればいいのに)、引っ込み思案で根暗の妹は、それがとてつもなく恥ずかしかった。家に帰ってきて母親の前で号泣したらしい。
振り込みを忘れたのは母親のミスである。母親は妹に謝ったが、妹はいじけて部屋に篭り、夕飯も食べなかったそうだ。数時間後、落ち着いた妹はやっと母親からの電話に出て、食卓に出ててきて、仲直りをした。
その時、その時である。妹は言った。「実は…今週の日曜日中学の時の友達の〇〇ちゃんが貸した漫画を返したいって言ってるんだよね…、家に呼んでも…良い?」

とんでもないことだ。
とんでもないことである。
だってだって、それはつまり、母親に文句をいい、泣き、喧嘩をし、そして交渉をしたということである!!!!!!!とんでもないことだ!!!!!!!

私は小学生の頃、「放課後家から出てはいけない」「友達と遊んでは行けない」という家庭なのが恥ずかしくて、できるだけ学校の人に隠そうとしていた。小学生だから当然、「今日〇〇ちゃんの家に遊びにいってもいい?」「今日はうちおいでよ!」という会話を日常的にする。「今日蒼依ちゃんの家に遊びにいってもいい?」と聞かれた時、「ごめん、親に友達家に呼んじゃいけないって言われてるんだ」というと、「ふーん、変なの」と言われる。怖かった。さらにその理由を聞かれても、「もし〇〇ちゃんがうちに来たら私〇〇ちゃんのこと犯罪者にすることになっちゃう」なんて言えない。だから私は小学生まで友達がいなかった。妹も同じ環境のはずだけど、、学校の人にはうまく誤魔化していたんだろうか、それともそれでも仲良くしてくれる人がいたんだろうか。妹は普通の小学生のように学校で友達を作り、スクールライフを謳歌していた。フラストレーションが溜まって親に内緒で友達を家に呼んだりはしてたけど。

そして私は、自分の親が他の家庭と比べて過保護であると気が付いたのが中学3年生のときであった。妹と違って私には友達がいなくて、他の家庭がどんな感じか知らなかったからである。(妹は多分もっと早くに気がついていた。)中3で自分の家庭を客観視したきっかけも、他人から「あなたの親ちょっとおかしいんじゃないの?」とはっきり言われたからだった。

そして私は家出をした。沖縄に。
いろんな人に相談をして、捜索届けを出されない方法を考え、(今考えると出されてもよかったが)、探し出されても簡単には連れ戻されない場所を考えた。
親にとってはびっくりだっただろう。今までずっと言うことを聞いていた「良い子」の長女が突然家出をするのだから。でも、それくらいしなきゃ何も変わらないと思ったのだ。
それがきっかけで、だいぶ親の過保護過干渉は緩くなった。SNSや外泊、バイトなどは依然禁止だったが、スマホのGPSは解除され、休日や放課後に外出しても何も言われなくなった。どこに誰と行くのかも内緒にすることができた。

高校を卒業した今、やっと、母親の本当のやばさは単に過保護過干渉なことではなく、精神状態の不安定さにあるとわかった。気分屋なのである。家族の誰にも読めないタイミングで恐ろしい怒り方をする。怒りというか脅し。その最悪のタイミングが重なって、私たち子供はどんどん家庭に閉じ込められていったのだ。

私はそんな母親が怖い。恐ろしい。
私はたまたま、家族と顔が似ていない。母とも、父とも、祖父母とも、そして妹とも。他の家族同士は結構顔が似ている。それが正直ありがたかった。私が、あんな恐ろしい母親のおまんこから出てきたなんて思いたくなかった。だから私は、どこかの橋の下で拾われてきた子供なのだと思って、なんとか精神を保っていた。

でも妹のこのエピソードを聞いたとき、母親から見たら私も、母親と同じなんじゃないか?って思った。
母親は母親の気分で怒ったり、優しくなったりする。でも私が沖縄に家出したり、最近も福岡別府に半分家出(阻止されたら困るので、成田空港で飛行機が出る直前に「反対されたら困るので言えなかったのですが、制作のためこれから福岡に行ってきます。〇〇(親も知ってる人)も一緒です。3/31に帰ります。」とLINEした。)したのも、母親から見たら突然だ。「気分」で反抗したのだと思われても仕方ないのかもしれない。現に親は中3の私のことを「ひどい反抗期だった。あの時の蒼依はおかしかった」と笑って言う。本当は何も変わっていないのに。今でも私は親のことが怖いし、早く逃げたいと思っている。だけど多分、同じなのだ。私は妹のように、喧嘩をすることも、親の目の前で泣くことも、交渉をすることもできなかった。親から隠れてSNSをやり、制作をし、別の名前を持って、ミスIDに出て、親の知らない友達をたくさん作る、しか、なかった。

だから怖いのは変わらないけど以前よりちょっと、私はやはりあの人の娘なのかもしれない、と思うようになった。

それがとてつもなく、気持ち悪い。

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