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裏修学旅行

 2020年11月、コロナ渦真っ只中。天気17歳。高校2年生。

 高校2年生の修学旅行は、学校のカリキュラム的にベトナムに行く予定だった。とても楽しみだった!!私は世界史が好きで、東南アジア史とかかなり面白かったし、その国の文化にも興味があった。
 でも案の定、私たちの学年のベトナム行きは中止になった。コロナのせいで。そして何故か、その代替行事として私たちの学年は富士急ハイランドに行くことになってしまった。その時私はまた当然、そんなとこあんな奴らと絶対行くもんかと思って、母親に説明して修学旅行に行かない選択をした。修学旅行に行かない人たちは他の同級生が旅行に行く三日間、学校に普段通り登校して、一応決められた時間まで自習するように命じられていた。でも先生の見張りはいないし、自習用のプリントも提出義務はなかった。なので、その時間中私はベランダで日向ぼっこしながらU-NEXTで映画を見たり、漫画や本を読んだり、こうやって文章を書いたり、昼寝をしたりしていた。コロナ感染が心配だからという理由で修学旅行にいなかった人は学年で大体私を入れて7人くらいだったと思う。

 でも、メイン行事はもちろんそんな放課後みたいなことじゃない。「放課後」がほぼ未体験なまま高校生になってしまった私にとってはその時間も大事だったけど、せっかく学年全員がいないのだ。しかも、その3日間は修学旅行シーズンで、中高一貫校なんだけど、高校3年生と中学1年生以外全員どこかしらに課外学習や修学旅行に行っていた。つまり、この学校には入学したばかりである程度教室とその周辺から移動しない中学1年生と、受験勉強真っ只中で教室にこもって勉強してる高校3年生と、職員室の先生たち以外、誰もいない。
 学校は数日間、私たちだけの城となったのだ。

 それに加えて、私は学校に3人だけ友達がいたのだが、そのうち2人が一緒に修学旅行を休んでいたのだ。1人はもともと不登校で、もう1人はコロナに感染したらすぐ死んじゃうような難病を患っている子だったからである。

 だから私は二人に、急遽決まった適当な遊園地への修学旅行じゃなくて、私たちだけのための、裏修学旅行を開催しようと提案したのだ!!!!!

 そもそも私にとっての修学旅行とは、学校の友達とわいわい楽しむ行事でも、行った土地の歴史を学ぶ行事でも、もちろん協調性を育むための行事でもなかった。出先でわいわいありがちなコミュニケーションで盛り上がる文化が私にどうしても身に付かなかったし、文化や歴史は一人で行って学ぶ方が良いと思っていた。協調性を育むなんてもう論外。
 私にとって修学旅行とは、普段自分がいる(存在している)生活圏内の外に行って、その空間、場所に自分がどう存在しているのか、どう存在していけるのか、を学習するための社会勉強の行事だと思うのだ。
 だから逆に、そこに来た人がどう存在するのかが明確に決められていて、行くだけで確実に「存在」できてしまう、「お客さん」になってしまう遊園地にわざわざ修学旅行で行く意味を、私は見出せなかったのだ。


 ここで、私が世界一好きな写真家を紹介したいと思う。ニューヨークの写真家、ソールライターだ。世界一好きな写真家どころか、彼は、私が最も好きな芸術家で、そして、私が人生で最も影響を受けた芸術家のうちの一人でもある。

 それも多分、高校2年生の時だったと思う。渋谷のbunkamuraで開催されていたソールライターの展示に行って、私は彼の写真の、その誠実さに圧倒された。今でこそわからないけれど、写真の技術やビジュアル的に何が良くて何が悪いかの写真論はわからない。でも。この人は、ニューヨークの街に溶け込むでも、街と一体化するでも、街を客観的に見つめているのでもなく、彼が彼として、その街と、まっすぐ対峙しているように感じたのだ。表現者になれば、世界を世界のまま、私が私のまま、世界に存在することができるようになるのだと、私は思うようになってしまった。私でもこの世界を愛することができるのかもしれない、と。

 よく考えてみると、当時私は自分の身体に実感を持っていなかった。最近あるアーティストのエッセイを読んで、自分が「芸術家」(芸術家の定義は色々あるが、便宜上。)となった瞬間を考えることがあり、私は自分の過去を思い出そうとした。そしたら私は、過去のことをほとんど覚えていないことに気がついた。小学生の頃とか、震災の地震の瞬間の記憶と、ピアノを弾いていた記憶しかない。その時自分がどういうコンテンツが好きだったのか、どんなファッションが好きだったのか、どんな友達と仲が良かったのか、学校ではどういう立ち位置の子供だったのか、妹とは仲が良かったのか。確かに、今まで誰かに話た小学生の記憶は、今から逆算して考えた「情報」でしかなく、「記憶」ではないのである。
 だから私はこの体が、自分がこの世に誕生してから一緒に成長してきたものなのだという実感がない。毎日下り電車に乗って、窓の外が田んぼばっかりになっていくのを眺めながら学校に通って。家に帰って、家族とだいぶズレた上っ面の会話をして。学校も家庭も当然私の居場所じゃなくて。私の中の私はいつもふわふわ空中に浮きながら、自分の肉体のことを見ていた。

 だから私にとって、その場所への存在の仕方を探るための写真行為は、修学旅行という行為に等しいのである。

 私たちの裏主学旅行の内容は、学校で修学旅行をすることだ。遠くにもいかないし、宿泊もしない。学校という建物の中で、私たちがどうやったらそこに存在できるのかをそれぞれの方法で探ろうとした。友人は、普段は入らないような教室で過ごしたり、またもう一人の友人は近所のスーパーで買ったご飯を学校で弁当に詰め、近くの公園でピクニックをすることを提案した。裏修学旅行は別にコンセプトを説明したわけじゃないから、彼らがどういうつもりでそれらをやったのかは知らないけど、多分おんなじようなことを考えていたんだと思う。

 そして私は裏修学旅行として、5年間過ごしてきた学校を友人二人とただ歩き回り、そして写真を撮った。実はソールライターの展示を見てから一週間後、私は学校の近所の骨董屋で、2000円で売られているジャンク品のPENTAX SPを見つけたのだ。今でこそカメラのことがよくわからないけど、当時はフィルムカメラというだけで、ソールライターが使ってたカメラと同じだ!と興奮し、当時の月のお小遣い2000円を全て叩いて購入したのだ。

 そのフィルムカメラでひたすら学校の写真を撮った。もちろん普段は使わない空き教室に侵入して物置と化した机の引き出しを探ったり、埃を被った、いつかの卒業生の忘れ物のノートを発見したりもしたが、所詮5年通っている学校だ。大体は知っているところである。でも改めて写真を撮ることを目的に学校を徘徊すると、不思議なことに、なぜか自分の身体がその空間にあることに奇妙に納得できたのだ。
 カメラのファインダーを覗くと自動的に、見ている景色と撮っている私の間には距離が生じる。ふわふわ空中に浮いて世界を見ている私は実態がないから、距離なんてものは存在しない。でも能動的に景色を選び、「見る」行為は、逆算的に自分の身体と魂が同時にカメラのこちら側に存在していることを証明してしまうのだ。
 そして私は、少なくてもその時は、自分の撮った写真が現像されて再び見える形になることに意味を感じなかった。景色を見て、選び、撮って、フィルムに焼き付けるだけでよかった。自分がそれを見る必要はないし、さらにはそれを誰かに見せる必要もない。実際、裏修学旅行で撮った写真を現像したのはずっと後だ。意外と良い写真ばかり撮れてて笑ってしまった。

 そして去年、やっと写真集「裏主学旅行」が誕生した。そう、裏修学旅行そのものと、写真集「裏修学旅行」の制作には1年ほど時差がある。というのも、これを制作した意図は、実は裏修学旅行の記録や記念ではなく、卒業アルバムとしてなのである。私も含めて、裏修学旅行のメンバー3人は学校の卒業式で配られた卒業アルバムに、一人一人の個人写真しかほぼ載っていない。私は完全に個人写真しか載っていなかった。学校行事にことごとく参加しておらず、集合写真を撮るときも大体その場から逃げていたか欠席していたからだ。
 だから私たちだけの卒業アルバムが必要だと思った。それが裏修学旅行の写真集。二人にも渡した。すごく喜んでくれて。嬉しかったなあ、。
 そしてまた、写真集「裏修学旅行」は中高一貫校を卒業するタイミングで、学校の、学校というバのど真ん中で生活できている人には見つけられないような場所に、何冊か隠してきた。中学3年生のあの時、表現が私に学校の外の世界をのぞかせてくれたように、私が見た学校の風景が学校の風穴になり、当たり前を望まれるその場所で、少しでも誰かに寄り添えたらいいなと思って。

 裏修学旅行は手売り限定ですが、販売しています。居場所を探った、探るための写真集だから、目の前にいない人にネットで売るのが嫌で、イベントのみでしか今のところ購入できないのですが。でも、声をかけていただければ、場所などによりますが、あなたのいる場所に行ってお渡しすることも可能なのでご相談ください。一冊1200円(+お気持ち♡)です。

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