最近

・タイトルを決めるって行為、本当に苦痛。
タイトルでうまいこと言える喜びとスベる苦痛を天秤にかけても圧倒的に苦痛が勝るので、本当にタイトルだけ、タイトルだけは勝手に決まってほしい。本文は私がやるから許して

・キャラクターは現実世界の人間とどのくらい相関があるのかについて、ここ一年くらいずっと考えてる。キャラクターを書くときって共感を得るためにリアリティーを追求するけど、一方で「推しは現実にいたら仲良くなれない問題」みたいに現実では許せないけどキャラクターなら許せる、という事象は存在する。リアリティーを追求しても結局は作り物なのか? と考えると悲しくなってしまう。
でもリアリティーゼロだと魅力的にも映らないと思うんだよな。キャラクターは完全虚構と完全リアルのどっちでもなく、その間のところを狙うのが正しくて、間のどのあたりを良しとするかは人それぞれということなんだろうか。人それぞれというところが死ぬほど厄介な気はするけど、リアリティーを追求するのはやめちゃダメということはわかる。いやーーーでも悲しいよーーお前この世にいないのかよ悲しすぎるもう激重作者の呼吸しちゃう

・誕生日について色々考える。
昔は誕生日という存在が苦手だった。誕生日はその日に生まれたというだけで無条件に祝われる日という風に認識されているけど、私は違うと思っていた。祝われる側ならば、自分が祝われるに値する存在かどうかが判断される日であるし、祝う側ならば、自分は無条件に他人を祝うことができる素晴らしい存在ですよと示す日だと考えていた。つまり私は誕生日を、無条件という建前で行われる価値競争と捉えていたことになる。エグいくらい偏屈だな。心配。
でも冷静に考えて、無条件っていいことなん?
人間が人間を大切にするには条件がある。条件がなかったら世界中全員友達で恋人で家族だ。「ここが素敵だから」「こんなことをしてくれたから」「嫌なことをしなかったから」大切にしたいとなるんじゃないのか。諦観ではなく、その条件こそが、今大切な人を大切たらしめているのではないのか。
なんの話だっけ、誕生日か。利己的でなにが悪いん? 「祝いたい!」って言ってくれるのも嬉しいし、祝うことで相手がなんか満たされるならそれはそれで嬉しいやん。相手が満たされて嬉しいというのも自分の気持ちだけどそれでええやん。
でも、クラスの人気者を全員で祝うムーブはめっちゃ嫌いだった。人気者に罪はないんだけどね。ごめんね

・今は祝われる側というより、祝う側のときが難しいなと思う。「祝いたい!」と思ったら100の力で祝いたいんだけど、相手はそれを望んどるんか? と思うとなかなか踏み切れない。メッセージ送ったら返事が大変か? プレゼント渡したら重荷か? みたいに色々考えてだいたいLINEで風船を送って終わる。本当はフラッシュモブとかして盛大に祝いたい。そのくらいの気持ちはある。

・フラッシュモブってやってもらいたいよりやりたくない? 私はもしまだ居ぬ恋人がフラッシュモブかましてきたら、なんで私を混ぜなかったんだよってキレる自信がある。楽しそうな催しには主催者側で混ぜろ。ズルいだろ

・体育委員という存在、全然交われなかったな。さっきの話のつながりで、人気者はだいたい体育委員なので思い出した。
体育委員たちって絶対「みんなやる気出して!」って言うしそれが善なことは分かるんだけど、言われるたび「いや、私望んで体育やってるわけじゃないので」って気持ちが渦巻いていた。これは人が悪いんじゃなく、体育が悪い、し私が体育が嫌いなのが悪い。この問題の解決法は「体育を選択科目にすること」だと思うんだよな。そう考えると、体育が必修じゃない大学って最高だな。

・「0から1を生む」という言葉がある。けっこう「大変なこと」みたいなイメージで使われてるけど、これって正直人によると思う。私は「1から完成させる」とかの方がハードル高い。

・あと、0からプラスに持っていく文章を書くのはとても好きだけど、マイナスを0にする文章を書くのは嫌い。マイナスを0っていうのは、「これを書かないと単位が貰えない」みたいなこと。
というか人生において、リスク回避のためにやらなきゃいけないこと全般に興味が湧かない。回避できなかったら苦しいけど、回避したところで嬉しいことは起こらないじゃん、ならいいやってなっちゃう。そんなだから年金の免除とか意図的に忘れるんだよな。絶対経理とかに配属させちゃダメだと思う。

・絵画コンクールって絵画だけを見てるのかなっていっつも思う。その他芸術系のコンクールにも同じことが言えると思うけど。いやさ、私中高と吹奏楽をやっていてコンクールにも出場してたんだけど、「ここの学校は練習中に感動的な出来事があって絆が生まれました」みたいなのが審査に影響したらブン殴ってしまう自信があるからさ。
絵を見る時って、絵自体以外にも作者とか歴史的背景とか色んなことをまとめて「見てる」と思うしそれは否定できない立場だと思うんだけど、コンクールとかの場合、それってアリなの? って疑問がある。誰もが衝撃的な制作背景を持ってるわけじゃないし。
制作背景を磨き上げて芸術に昇華する腕を見られてるということか? それならギリ納得いくけど.......

・2,000円するリップを買った。リップとしては高くはないんだろうけど、私にとってリップは1,000円台前半のものって認識なので。いつかマスクを外してこれを塗れる日が来るんだと思って買った。最近そんなのばっかりだな。クッションファンデとか。その日が来たときに飽きてないといいけど

・今年度は女性YouTuberをたくさん開拓した年だったな。あさぎーにょ、そわんわん、ひなちゃん5しゃい、整形アイドル轟ちゃん、になに(敬称略)を観てる。女性YouTuber、総じてかわいい家に住んでるので、素敵なおうちに住みたい欲が高まる。

・最近見つけたYouTubeチャンネルですごいと思うのはあるごめとりい。仰天ニュース系の動画をたくさんあげてるんだけど、編集がマーーージで上手い。「テレビとYouTubeのいいとこ取り」ってみんな言ってるけど、私も言いたい。テレビとYouTubeのいいとこ取り。

・成功の積み上がらなさエグい。たくさん成功しても、ひとつ失敗するとすぐ「自分はとんでもないグズなのでは?」の気持ちになる。でも、成功を積み上げすぎても失敗した時焦りが生まれないから考えものなんだよな。
成功失敗にこだわらなければいいのでは? というわけでもない。「結果に関係なく自分自身を愛せるようになることが本当の幸せだよ」みたいな風潮あるけど、私の人生の幸せは一貫して自己実現にあるので、その価値観は受け入れられない。
だから、ほどほどに積み上げたいんだよな。なにごとも中庸。方法はわかんないけど

・母の過干渉でけっこうイヤな思いをしてきたはずなんだけど、過干渉がなければここまで自立心や自己実現願望を持っていなかっただろうことを考えると「あれ???」ってなってしまう

・春に着るワンピースを買ったから、暖かくなるのが待ち遠しい。

・植物に興味を持ってよかった。ニュースよりも先に春を知って、花が咲いて新芽が出るたび春が来る。これからもほどほどに自然と暮らしたい。

・「コロナの真相を解き明かしましょう!」とか言ってるツイートやYouTubeのコメント欄めちゃくちゃ目にするけど、見るたびウワッ!!! と思ってしまう。解き明かすってなに? 君はなんかの作品の主人公なのか? すごい自意識だな

・久しぶりにしゅごキャラを読み返したんだけど唯世くん………………激カワ…………愛せる..............

・前チラッとnoteに書いたけど、将来やるであろう自分の葬式は絶対自分好みの葬式がいいので、遺族へダイレクトに要望を伝えるために脚本を書きたい。
棺桶って大道具かな

・重い布団が好き。布団で寝てる感があってよく眠れる。夏になって暑くなると困るな。ずっと15℃くらいの気候の星に住みたい

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