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ひとりが寂しい人は誰かといても寂しい

先日、イギリス人の女子学生と雑談していた時、彼女が、「先週、セルフ・エスティームのワークショップに行ってきたんです。」と言いました。

ふーん、そうなの。

女子学生 : 「一人だと心細いんで迷ってたら、いつも助けてくれる親友が、一緒に行ってくれるって言ったから。」

なにそれ。心細くてひとりで行けないとか、まさにセルフ・エスティームが低い典型じゃん。

もちろん、そんなことは口にせず、「そう、良かったね、ためになった?」と会話を続けましたが。

この学生に限らず、ひとりで行動できない、孤独が怖い、という人は、古今東西、老若男女を問わず、けっこういます。

日本の婚活広告なんかでも、よく使われている常套句ですよね。「ひとりは寂しい」から結婚したい、とか言う記述。

結婚経験のない私が言うのもはばかれますが、それって的外れじゃないですか?結婚って、愛する人ができたから(そして相思相愛だから)するものですよね。

はっきり言いますが、寂しいからと言う理由で結婚しても、一時しのぎにはなっても寂しさは癒えません。下手すると、寂しさが二倍になる可能性すらあります。

なぜかと言うと、寂しい人は、えてして寂しい人とつるむ傾向があるからです。似た者同士ってやつです。

そして、友人関係にせよ恋愛関係にせよ、こうした同病あいあわれむ人間関係は、本人たちが考えているより複雑なかたちをとることがあります。その類型のひとつが、「共依存」と呼ばれるものです。

依存型人間が陥りやすい「共依存」

共依存とは、依存型のふたりの人間が、異なる役割をもつことによって互いに依存しあっている状態を言います。

「共依存」は、「相互依存」とは異なります。「相互」依存は、自立した者同士が、ともに助け合い切磋琢磨して、さらなる向上をはかる関係です。

「共依存」はむしろその逆で、自立しきれていない者同士が、自分の弱さや問題からの逃避癖を容認・甘受してくれる相手にしがみついている状態です。

よく挙げられる例は、アルコール依存症やギャンブル中毒に陥っている典型的な依存型人間と、どういうわけかそれにつくす配偶者のケースです。親や子の場合もあります。

この、後者のタイプ(世話をやいているほう)の人間は、表面的には相手を支えているように見えますが、問題の原因解決に踏み込むことを避け、抜本的な状況の改善には努めません。

なぜかと言うと、典型的な依存型である相方に頼られることに、自分の存在意義を見出しているからです。「依存されていることに依存している」状態と言えます。なので、その状態を維持するために、相手の弱さや依存体質をあえて助長させることさえあります。

これは一見、依存型と自立型の人間関係に見えますが、実際は双方とも本質的には依存型です。

双方がこの共依存の状態を居心地よく感じているので、その関係を断ち切ることが難しいのみならず、各自の精神的な自立への道のりが困難なことが多いです。カウンセリングが必要な場合もあります。

これを改善するには、先ず双方が、依存しあっている相手との間に、健全な境界線を引くことを学ばないといけません。

あと、自信をもつことでしょうね。まず典型的な依存型の人は、相方(冒頭の女子学生の例で言えば、「面倒みの良い親友」)の付き添いなしでも、ワークショップくらいひとりで行く自立心を養う必要があります。

他方、共依存で「自立型」を演じている人は、他者から必要とされていない(あるいは、そういうふうに感じる)としても、自分の存在価値はあるのだ、と認識することが大事です。時には、依存している相手を突き放す勇気もいります。

まぁ、それが出来ないから共依存なんですが。

自立すると、ひとりでいることを楽しめる

「ひとりでいること」は孤立することではありません。人間関係をつちかい、維持することはもちろん大事です。ただし、健康的なかたちで、です。

独りで充実した時間が過ごせると、いろんなメリットがあります。
たとえば、

  • 自分を見つめなおす機会が増えて、英気が養える。

  • 真に自立できていることを実感できる。

  • 誰かの認証なしに本当に好きなことができるので、純粋に楽しい。

  • ゆえに、充実感も増し、生産性もあがる。

  • ひとりで過ごす時間があるからこそ、誰かと分かちあう時間の質が向上し、人間関係がより充実する。

そして、これらがセルフ・エスティームにつながります。

「ひとりでいること (Being alone)」 と、「孤独 (Lonely)」 は、同義語ではありません。むしろ、健全な人間関係が保てている人こそ、ひとりで時間を過ごす術に長けていると言えます。

ひとりで過ごす時間を満喫できる大人になりましょう。