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猫の縦隔型リンパ腫、再燃とレスキュー、最期のお話。

10月8日、私の最愛の猫 ニルが永眠しました。
9月6日にUW-25プロトコルにより完全寛解をした旨の記事を
記載したのですが、翌週に再燃していることが判明し、その後2種類の
レスキュープロトコルも奏功せず命を落としてしまいました。

悲しいけれども、記憶が薄れないうちに。
再燃からの経緯とレスキュープロトコルについて
記載をしようと思います。
※最後に亡骸の画像があるので、苦手な方はご注意ください。

9月14日(土) ビンクリスチン投与の為通院。
お迎えの際、レントゲンを確認。右肺に白い影。

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再燃の可能性が高いため、
・ステロイド2.5mg/Day→5mg/Dayに増量
・フェンベンダゾール 4ml/Day追加
2週間後に効果が見られないようであればレスキューで
今まで使ったことのないメトトレキサートを使用しようという事に。

フェンベンダゾールは飲みにくいらしく、
口に入れると吐き出しながら逃げる。
セミントラは割とすんなりと服用してくれるのに。
この時点では呼吸の調子も変わらず、元気もある。

9月19日(木)
前日あたりからニルの呼吸の調子があまりよくない。
食欲も若干落ちているため、病院に連れて行く。
胸水が溜まっているため抜いて、1泊入院。
20日にメトトレキサートをレスキューで投与すると説明を受けた。

9月20日(金)
メトトレキサート投与。
今日も胸水が抜けたとのこと。
右肺は真っ白で、ビンクリスチンは奏功していない。
帰宅後ウェットフードをがつがつ食べる。

9月21日(土)-
メトトレキサート投与後、食欲も元気も落ちる。
倦怠感、首の周りの脱毛も起きているため
細胞分裂に対しての影響はあるようだけれど。

9月24日(火)
食欲、倦怠感戻らず再度入院。
胸水が溜まっている。そのまま1泊。

9月25日(水)
退院。右肺は相変わらず白い。
メトトレキサートは効果がない。
帰宅後若干のウェットフードを食べる。
土曜日までに、
①カルボプラチンの胸腔内投与
②DMACプロトコルの実施
 (デキサメタゾン、メルファラン、アクチノマイシンD、シタラビン)
どちらかを選択することになった。
 (②の方が副作用が起きやすい)


9月26日(木)
抗がん剤による倦怠感、食欲不振から回復し、
胸水も抜いたため食欲が戻る。

9月28日(土)
②DMACを選択。
薬剤を投与し当日退院。

9月29日(日)~
食欲が落ちる。元気もあまりない。

10月3日(木)
食事をとらないので入院。
白血球数10000、あまりDMACが効いていない可能性。
翌日カルボプラチンの胸腔内投与を予定。
胸水ではなく腫瘍が右肺と消化器を圧迫している。

10月4日(金)
白血球数が3500まで下がる。
それに伴い腫瘍も小さくなる可能性があり、
またカルボプラチンの骨髄抑制は2週間に及ぶ可能性が
ある為カルボプラチンの投与を延期。
病院の酸素室から出したところ開口呼吸を始めたので、
自宅に酸素室の手配、もう1泊病院の酸素室で入院。

10月5日(土)
自宅に酸素室設置。
開口呼吸はおさまっている。
食欲廃絶、水のみ少しずつ飲む。
排便・排尿は1日1回。
だんだん足元がおぼつかなくなるが、粗相はしない。
酸素室の中にいると明らかにつまらなさそうな顔をするので
酸素室外で自由に過ごさせる。

10月6日(日)
朝、食欲増進の水薬を飲ませようとしたところ
むせてしまいけたたましい声で咳き込む。
服薬を諦める。
呼吸の調子は特に悪化せず、横ばい。

10月7日(月)
全く食事をとらず衰弱、肝リピドーシスも心配なので夜に病院へ。
まだ自力で歩ける、水を飲めるうちに一度体調を建て直そうと。
火曜が休診の為、水曜午前に面会と今後の治療方針について話し合う予定。
白血球数が戻っており、腫瘍が縮小していたら水曜日に再度
デキサメタゾン、アクチノマイシンD、シタラビンを投与、
腫瘍の縮小が見られなければカルボプラチンの胸腔内投与を行う。

10月8日(火)
20:03 先生から電話があり、ニルが呼吸をしていない。
    スタッフが見ているときも、暴れたり発作を起こした様子もなく
    苦しまずに逝ってしまっただろう、と。
    すぐに病院に駆けつける。脱力し、冷たくなり、半目を開けたニルが
    酸素室の中からこちらを見つめていた。
    お別れの時は、ありがとう、って言おうと決めていたのに、
    泣きながら出た言葉は、

    最期に一緒にいてあげられなくてごめん。
    ひとりで逝かせてしまって、ごめん。

    だった。

    7日に撮影したレントゲンを見せてもらったところ、右肺は変わらず
    腫瘍で真っ白だが、左肺は黒く残っており
    窒息して苦しんで亡くなったわけではない。
    それだけは救いだと思った。
    帰宅して火葬の予約を取る。

10月9日(水)
午前中はニルの治療方針を決めるために有給休暇を取っていたので
ニルの棺に入れるお花を買って来たり、一緒に持たせてあげるものを
選定したりとニルとの最後の時間を過ごした。
ニルが一番初めにうちに来た時に大喜びで食べたセブンイレブンの
ウェットフード。
最後まで食べてくれたローソンのウェットフード。
大好きだったかつおのおやつ。
遊びすぎて壊した猫じゃらしの羽根の部分に、ちょうちょのおもちゃ。
小さいときにころころと遊んだタオル地のライオンのぬいぐるみ。
これだけ持たせてあげれば、向こうでも寂しくないかな。

午後はどうしても外せない仕事があり東京へ。
ニルはお気に入りの椅子の上で眠っている。

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東京での仕事を終え、帰宅。
ニルと最後のお別れ。
太陽のように明るい子だったので、ひまわりを棺に入れてあげた。

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月並みな表現だけれども、穏やかに眠っているようにしか見えなくて。
抜け殻になってしまっても、本当に可愛い。

肉体を空にかえして、ニルは小さな骨壺に収まって家に帰ってきました。
ペットシーツや猫砂などの消耗品を母に譲り、ある程度整理をした部屋は
ニルがいたときと比べてがらんとしてしまった。

1年4カ月、楽しいことがたくさん、悲しいこともたくさん。
嵐のように去って行った子でした。
私は、初めて一緒に暮らした猫がニルで幸せです。
ニル、私の人生に沢山の喜びを与えてくれてありがとう。
早く着替えて、戻ってきてほしいな。
大好きだよ。

私とニルのおはなしは、いったんここでおしまい。

前一緒に暮らしていたうさぎのリデルさんとの生活が終わったときも
悲しくて悲しくて、それ以来動物と暮らすのは避けていました。
そんな私の家に無理やり転がり込んできたのがニルでした。
しばらく自分から動物と暮らそうと動くことはないと思います。
なので、一時預かりや里親募集など、猫に係るボランティアを
少しずつやれたらな、と思っています。

最後に、同じ病気の猫ちゃんと暮らしている方。
私のここまでの記事が、少しでもあなたと猫ちゃんの助けになりますように。
願わくば、猫ちゃんが再燃することなく寿命を全うできますように。

そして、ニルに興味を持ってくださった方。
ニルがいなくなって涙を流してくださった方。
私の事を心配して下さった方。
本当にありがとうございました。
私も、ニルも、幸せ者です。

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