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ただの整理整頓

人の誕生日を覚えるのはとても苦手だ

自分のと、その五日前の姉のと、ハロウィンに生まれたやつのしか、この人類で誕生日を覚えていない。

だから、その3人以外は全く覚えてない。

でもふと見たら、LINEのアイコンが三角帽子を被っていた。

ということはつまり、今からちょうど一年前に、バカ山にカラスの羽が落ちていたということだ。

今からちょうど一年前、宗教社会学のテストがあったということだ。

ちょうど一年前の今日、唐突なチルの誘いに胸躍らせて適当にそのテストを終わらせて教室を出たということだ。

ちょうど365日前に、僕はピノをこぼして、抹茶のスーパーカップで汚れた手を一緒に洗いに行って、濡れた手にハンカチを貸したということだ。

その時は誕生日であることを知らなかった。
だから「おめでとう」は言えなかった。

今は、もうその人自体を知らないから言わなかった。


このことを考えると、悲しくは全くならないがその代わりに虚しくなる

この虚しさは何に起因するのか全く分かんないけど

there is no pointなんじゃん、結局。

という絶望なのかな。少し違う。

主観的にのみ表現すれば、

自分の持つ諸価値・意味・意義が「別の何か」と天秤にかけられ、”less important”と判断されたことへの虚しさだ

こ~れは正直めちゃんここたえる。
一人の時だと、すぐ真顔の一個下の表情になっちゃう。

このモードに入ると、誰かを大事にすることそれ自体が虚しく感じてしまう。

なんてこったい。

価値基準を自分で持っていると思っていたのに、それはどうやら思い違いだったようだ。

「乗り越える」と「忘れる」の絶対的な違いを思い知らされた今日この頃

どの曲を聴いても、必ずその存在をどこかしらに見出すこの脳みそが、とてつもなくめんどくさい

一回、食洗器の「念入り」コースに入れたい。


何なら、ただ無神経なフリして責め立てることすらしてしまいたい。
したくないし。しないし。出来ないけど。

誰かの道を邪魔することはどんな理由であっても正義では無いからね。

でも知って欲しいエゴイズムもご健在である。めんどくさ、人間。


健康的に何かを乗り越えるためには、自然に手放すその時が訪れるその時までちゃんとそれを「感じ続ける」ことが必要らしい。

なんやそれ、わかる気もするけどわかんない気もする。

こんなぐちゃぐちゃな時には会うべきではないのだけは確かだが、そのくせして、なんかそわそわして探す自分もいる。

自分は何を望んでいるんだろう。わからん。

多分これからもずっと分かんないんだろう。

孤独と向き合うのが人間だとかほざいてるけど、そんなの無理なんだよね、うん。

何か大きなものに包まれることへの憧れは常に身近にいて、それでも、それから逃げ続けるのが僕の人生なんだろうな。


じゃあ僕には誰も愛せないってことなんだね。

こう書いておきながら、一年前と同じように、「予想だにしない出逢い」に少し希望を込めてるこの人間臭さよ。


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やんなきゃいけない課題が山積みだけど、中耳炎(?)のせいで耳の調子が悪くて、10回転した後みたいなめまいがずっとしてて気持ちが悪いので、せめて自分の諸々を言語化しておく。

1年後、は無理でも4年後にはこの文章をニコニコしながら読めるんだろうか。

まぁ今も客観的にみればこの「人間の向いてなさ」は十分おもろいんだけども。

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とここまで書いて、思ったけど

これは「悲しい」でも「虚しい」でも無くて、ただ単に「あぁ、残念だったなぁ・・・」という感情なのかもしれない。

そう考えるとそこまで深刻な何かでもないのかもね。知らんけど

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