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ゾウ

真っ白な壁、真っ白な床、真っ白な天井に囲まれた、真四角な部屋


部屋の広さはざっと20m四方くらい


部屋の四つ角には、黒いイスが一脚づつ置かれている


それぞれのイスには、男の子とそのお母さん女の子とそのお父さんの二組の親子が計四人、部屋の角で座っている


それぞれの親子は赤の他人でこの部屋で初めて出会った


かなり広い部屋で互いの距離は離れていたし、シーンと静まり返った室内だったので声を出すものはいなかった


四人はただ黙って座っていた


しかしながら、その部屋には「二組の親子」と「イス」以外にもう一つ、重大な要素があった


部屋の真ん中には大きなゾウがいた


まぁゾウはそもそも大きいものだからここでの「大きさ」は相対的なものだが、とにかく部屋の真ん中にはゾウがいた


鎖に繋がれながらリンゴやキャベツ、バナナなど大量のエサをむしゃむしゃ食べるゾウの前には小さな木製の箱と共に、一つの看板が立っていた


「観覧料:5万円 集金箱にお願いします」


部屋には二組の親子以外は誰もいなかったし、言ってしまえば自己申告制の観覧料なので二人の親たちはどちらも、(自分の子供の分も含めた)10万円なんて払う素振りは見せなかった


「ゾウなんて見てません」で済むからだ


ただ、自分もしくは自分の子供がゾウに関して言及さえしなければ、この言い訳は成立するのだ


たとえゾウが目に入ったとしても、「観覧」はしていない、という狡猾な自己納得によってこの看板の文言による効力はさらに衰退した


とは言ってもさすがの近さと迫力に親たちも心を惹かれ、ついついゾウがエサを食べる様子を観察していた


しかし、ひとたび自分の子供がゾウに関して何かを言ってしまえば、もう一方の親が「社会的ルール」の肩書を獲得し、その存在は観覧料を払わないことを許さない強制力を持つようになる


二人の親たちはそれを重々理解していたので、勿論自分が部屋のゾウに関して何かを言うことはしなかった


加えて、無邪気な笑顔で自分の方を何度も向いてくる自らの子供に対しても、何も喋らせまいと口に人差し指をあてるジェスチャーを必死に送り続けた


タダでこんな近さからゾウを見られる、というこの「楽」で「お得」な状況を維持している方が、親たちからすれば都合が良かったのだ


男の子は自分の母親があまりに自分を無視するのでスマホを取り出し母親にメッセージを送る(ここでそのまま叫び出さなかったのは母親の日頃のしつけの賜物である)

ねぇ!ゾウがいるよ!あれ、ゾウだよね?!!ほんものかな?
ーそうね、ゾウだね。でも黙っておいで、絶対に何も喋るんじゃないよ
なんでよ!あんなにいっぱいのお野菜食べてるのすごいね!もっと近くで見たいな~
ーダメよ、危ないし
だいじょぶだよ、くさりでつながってるもん
ーダメなものはダメよ。そもそもお金かかるんだから
いいじゃん、ちょっとくらい
ー5万円なんて大金、お母さんが稼ぐのにどれだけ苦労してるか知らないでしょ!だめよ、絶対に。そのまま静かに座ってなさい。

実際、5万円はその母親にとって大金だったし、稼ぐには大変な労力と時間が要った。


こうして母親に全く相手にしてもらえなかった男の子はぶすっとした顔でふてくされ、スマホをポケットにしまった


諦めの心と共にゾウに目をやると、ゾウは部屋の四隅にいる人間たちになど気付いてすらいない様子で、まだむしゃむしゃとご飯を食べていた


ゾウは耳をパタパタさせながら、器用に鼻先で草の束をまとめて口に運び、むしゃむしゃやっていた


その器用さに男の子はとてもワクワクした


深いしわが入った肌に包まれたゾウの灰色の体は重厚感にあふれていたが、それとは相反するようにその目は長いまつ毛に囲まれて優雅で穏やかだった


その矛盾に男の子は魅了され、陶酔した


ゾウの大きな背中の上にまたがりながらジャングルを旅する想像の世界に、男の子の興奮は最高潮に達した


ついに堪え切れず、男の子はイスから飛び降りて対角線に座る女の子に向かって大きく叫んだ


ねぇ!ゾウおっきぃね!
お鼻でご飯たべるのとってもじょうずだね!!ぼく、このゾウの背中にのってみたいなぁ
君もいっしょに乗らない?


母親は凍り付いたように固まった


ついに自分の息子がゾウの存在を指摘し、彼自身がゾウを「観覧」した事実をこの部屋という空間に誰もが見える形で提出してしまったのだ


母親は(自分の分を含む)10万円を払うのか?


女の子はどう応えるのか?


女の子の父親は男の子による「認識の告白」に対してどう反応するのか?


思考が凄まじい速度で張り巡らされる真っ白な部屋の中心で、ゾウは相変わらずむしゃむしゃご飯を食べていた

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