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シャッフル機能からの大脱線

Spotifyのシャッフル機能は全く機能しない(と感じる)

1000曲くらいあるプレイリストで30曲くらいを何回もループしてる気がする

あんだけ曲があれば同じ曲を聴く機会なんて殆ど無いはずなのに、大体「またこの曲か〜」ってなる

たまーにリストの下らへんに行ってみると「うわ、そういえばこの曲あるやん!一回も流してくれんの何なん」ってなる


でもふと考えると、シャッフルの正解ってなんだろう?

何をしてたら「シャッフル」として僕は満足するのだろう?

そんな想定をしてしまう時点で、シャッフルとしての意外性の提供という機能は無くなる

「シャッフルとはこうだ」という期待があって、それを裏切られてるという意味では今のあれが大正解なのでは?

やっぱり納得がいかない。
でもしかたない。


というかそもそも「正解」を想定すること自体が間違っている気がする

違和感を感じるけど、よくよく考えてみればそれが一応最適なことってよくあるのかな、

人との関わり合いとおんなじで。


振り返ると「良かった時」が確かにあって、今もそれじゃないと納得できないガキっぽさ

人は変わって当然のものなのに

コップの色が気に食わないから牛乳を飲まなかった幼稚園の時と何ら変わらんね


意図の探り合いと合意点のすり合わせを会話の中で潜ませ合う、あの政治的行為が楽しい時もあった。

でも今はそんなの要らない

前とおんなじで良いのに

そんな幼稚で哀れな願いは届かない、届くべきでもない


変化が苦手な自分との折り合いの付け方が未だに分からないから

とりあえず拗ねる
とりあえず現状のせいにする
とりあえず今の「忙しさ」に逃げる

桃鉄のバキュームカードが使われたら真っ先に吸われるのは僕だろう


「良かった時」から何も変わらないことを幼稚に望む一方で、wish you were hereのいだき合いの中での自分自身の「変わらなさ」の証明の難しさもついでに知る


多分これは僕の今後の「生」に深くかかわる問題で、最近の天気の悪さのせいで表出した一時的なモノじゃない


とりあえず変化に慣れる訓練と
ついでにそれから逃げない訓練が必要みたいですな(他人事)


2024/2/23

【追記】
やっぱり、人と話すことで僕は救われる部分がある

具体的な話の内容に関わらず、色んな人とそれぞれの次元で自己開示し合うその行為が、沈黙にうつむく心を持ち上げてくれる

そうして誰かに持ち上げてもらった心と一緒に、後は一人で上手に生きてゆく

ある程度勢いをつけてもらってからは自力で走れるボロいバイクみたいに

それに依存し過ぎるのも不健康なことは去年の秋学んだから大丈夫なはず

どれも、全てをそのままで受け止めてくれて脆く居れる、月の向こうの存在のおかげ

ありがとう

2024/2/23の夜中




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