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「良い人でいる」ということ


職場の方に「良い人だよね」と言われた。

素直に嬉しいとは思えなかった。複雑な気持ちになった。


できれば人には嫌われたくないし、良い関係性を築きたいから、人の前では出来るだけ良い顔をしてる。

でも連絡を途絶えて人に心配をかけたり、言わなきゃいけないことを言わなかったり、私はそんなに良い人ではないと思う。


「良い人でいる」ということが、嫌われたくないからという思いもあるのだとしたら、それは本当に「良い人」なのかな。

「良い人だよね」と言われてから、"良い人って何だろう"と色々考えている。



「良い人だから好き、悪い人だから嫌い、というわけでもない」と、言ってくれた人は話していた。

ひとりの人間にはいろんな面があって、その全てを好き嫌いで区別もできない。悪い人にも人間味があって、嫌いにはなれないということもある。

「それでも良い人でありたいよね」と、その人は最後に話した。



私は意識をして「良い人」でいるわけではないけれど、私の振る舞いを「良い人」と捉えてくれる人がいた。

できれば人に嫌われたくない、良い関係性を築いていたい、せっかくなら笑っていたい、そんな自分の欲から「良い人」で居るのは、「"本当の意味での"良い人」ではないのかもしれない。


それでも私は、「良い人だなあ」と思える今まで出会った沢山の人たちに助けられてきた。

「良い人でいる」ことについて、もやもやと考えることはあるけれど、「良い人たち」から今まで私が助けられてきたように、私が誰かを助けられるのであれば、それは本当に嬉しいことだと思う。



長い人生の中で一瞬の時間に出会えた人たちと、せっかく時間を過ごすのなら良い思いで過ごしたい。

そんな思いで、多分私はこうして生きているのだけど、度々疲れることがある。その時は「良い人」ではないとも思う。

そんな時は、周りにいる私が思う「良い人たち」からちゃんと力をもらいたい。きっとそうやってお互い様のなかでみんな生かされているんだ。


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