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優しい人が優しい理由。
僕は周りの人に優しい人だと言われることがあります。おそらく他にも優しいと呼ばれてしまうような人は数多くいるでしょう。
僕なりに優しい人がどうして優しいのか考えてみました。
一般的に考えて三つに分けました。
ひとつは「人が好きだから。」
特定の人にしても不特定にしても、その人を喜ばせてあげたい、快的感情を付与してあげたいと考えれば手っ取り早いのが優しくすることなのかと思います。ぼくもそうやさしくされたい。
ふたつは「他人への奉仕精神度が高い。」
困っている人がいればどうしても助けたくなってしまう。気遣いやら親切やらがこれに当てはまるかと、サービス精神もりもり星人ですね。
みっつは「人の失敗を受け止められる寛大な心。」
人は十人十色、相性が合う合わないだったり、想像できないミスが起きることや、自分の常識に合致しない人間だっている。それらに優しくなれる人間は多くの経験を成し、想像力を養ってしたからこそ相手の立場になって考えられる。受け止めることもできる。一番理想的で一番大人なのかもしれません。「不機嫌さで相手をコントロールしようとするのは子どもで、いつも機嫌よくいられることが大人の条件である。」とどこかで耳にしました。えらいぞ〜。
僕が優しい云々の話を飲みの席で一緒に話したことを思い出してあえて改めて考えたのですが、僕がどうして優しいと思われるのか、それは人に優しくすることが一番楽だからだと。
自分がより関わりたい、交流したいと思えば深く懐に入っていかなければいけない、時には感情を交わし、また絆を深めていく必要があるのでしょう。なので僕が優しいと思われた瞬間、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
誰かを本当に好きであることは優しくすることと同義ではありません。本当に誰かを思うなら時には思いっきり泣き、叱り、笑う、心を通わせることは、こういうことなんだろうとぼんやり考えています。それを僕がしないということはそういうことでしょう。他人に期待することは間違いですから。
だから俺は優しいって言われるとうれしくない、素敵な男だと言われたい!と、自分を奮い立たせて生きる為に生きるのです。本物の優しい人間になるには僕はまだまだ遠いのです。
ゴリラのキッス💋
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