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仕事を通じての成長

初note。というか、ブログ的なものでの公への公開は初めてかも。
今年から発信していこう!などという気負ったわけではありません。
物理的に距離のあるSNS上の皆さんに対して、
少しでも繋がりを深めたいという気持ちが芽生えてきたので
まずは自分の想いを文章にして残して共有していこうと思っています。
次の4月で社会人9年目突入。入社してからの変遷をまとめました。
根は変わるわけもなく、とても楽しい人生を送っております 笑

1.生きる意味がよくわからない(2005年大学入学~2011年入社まで)

大学時代、ボランティアを約5年間行っていた。
遺児に対する募金活動や心のケアなど、活動の参加率は高いながらも
ずっとどこかで手を抜いていた。(当時はそこまで考えていない)
「適当に生きていても将来どうにかなるだろ(日本じゃ死にはしない)」
これが僕の根底に深く根差していたものだった。
現に、学業を疎かにし、奨学金を借りて大学に行っていたにも関わらず
2年も留年した。かといって退学をする勇気はなかった。
生きる意味など考えたことが無かった。ただ生きていた。

2.自分ってもしかすると良い奴かも?? (2011年)

そんな自分が変わるきっかけを与えてくれたのが今勤めている会社である
gCストーリー株式会社(当時サイベイト株式会社)だった。
相互理解をベースとした、全従業員の幸福を第一優先としたこの組織は
自分にとって衝撃だった。
最大の特徴は「自分の幸せを自分以上に願う人たちの集まり」だということ。
入社前の自分に対して、心の奥深くに切り込んで来て、自分でも気づいていない
自分の綺麗な部分に目を向けさせてくれた。
(それを受けて友人に、「自分って汚いやつだよね?」と確認したのは、今では良い思い出)

3.入社してからずっと本気になれない (2011年~2016年)

当時、会社は7期(今15期)
全国の看板施工会社ネットワークを活かして、
メーカーの新商材告知や大手チェーン本部の合併/CI変更の際に発生する
看板デザイン変更の一斉施工プロジェクトが主な収益源。
入社後すぐに大規模プロジェクトのメンバーにアサインされた。
会社も若く、今では考えられない非効率さで 笑、ベンチャーで人手不足だったこともあり
猛烈に働く日々が始まった。
結果、PCの作業スピードを上げることと気合いで乗り切ることだけは身に付いた。
ご想像の通り、自分は何のために生きているのかなど考える暇は無かった。
逃げてただけかもだけど。

そのプロジェクトが終わると、営業職へコンバートされた。
上記のとおり、大規模プロジェクトで忙殺されていた会社が
新規顧客を獲得しないとまずい状況になり、営業が強化されたのであった。
そこから丸2年営業をして、初めてチームを持たせてもらえた。
しかし結果を出せずに1年半でチームは解散。他のチームに吸収された。
結果を出さないといけないプレッシャー、けど目標未達で他責にする気持ち、
メンバーとの心の距離は離れるばかりで本当に申し訳なかった。
解散時にはメンバーの時間・命を無駄にしてしまったという気持ちが拭えなかった。
そこからさらに営業として1年半が経過。
※だいぶさらっと書いているが、数多くの先輩やメンバーのおかげで
 本当にたくさんのことを学ばせていただいた。
 おかげ様で営業力のベースはここで多少なりともできあがった。
この間自分の不誠実さと仕事の出来なさにより、多くの迷惑をかけた。
自己否定を繰り返した。
会社にいない方がいいのではというよりは、生きてる価値が無いんじゃないかと思った。

4. こんなことをするために生まれてきたんじゃない (2016年~2017年)

志プレゼンという朝活と出会う。2016年6月~2017年11月までこの活動に参加する。
「自分の志はなんなのか」というテーマにひたすらに向き合い続けた結果、
自分が生きる意味を感じていないのには、過去の経験が起因していることに気づく。
中学で親父を無くした自分は、あらゆる面で自分を承認することができていなかった。心の奥底では、親父が自分を見捨てて先に死んだと思っていることによる悲しみや母のせいで親父が死んだんだという憎しみといった感情があったにも関わらずそれを口に出すことはできなかった。
(学生時代を知っている人からすれば、あんなに話す機会あったじゃん!
 って思うかもしれないが、自分でもその気持ちに気づいてないんだから
 しょうがない 笑)
だからずっとそのことが潔斎できておらず、心の奥底にある綺麗な部分を
見ることができていなかった。
自分と向き合いつつ、社長とも面談を何度もさせていただき、
だいぶやられてる自分を受け止めてもらいながら1つの大きな答えにたどり着く。
「こんなことをするために生まれてきたんじゃない」
生きている意味を見つけたのではない。
不誠実で自分のことしか考えず迷惑をかける、そんな生き方をするために
生まれてきたわけではないというこの逆説的な答えにたどり着いた。

5.大きな決断(2017年~)

2017年2月、2回目の営業チームのリーダーを任せていただく。
今度は市場を変えて、今後の成長可能性を探るというミッションだった。
一気に市場を当たり切った結果、3ヵ月くらいで可能性は無いと結論が出た。しかし半期の売上目標があったこともあり、このあとどうすべきかと悩んだ。そこでチームメンバーと一緒に、営業からプロジェクトマネージャー職(施工管理)への部署移動を申し出ることに決めた。
その方が全社として自分が役に立つことができるし、今必要な人材だと考えたから。よって、またしても営業チームは解散。
5年半の営業を終え、自ら志願して、プロジェクトマネジメントの道へと進んだ。
初心に帰り、すべてのことに愚直に取り組んだ。
「こんなことをするために生まれてきたんじゃない」という気づきと
この部署移動が重なり、今までの苦しかった想いを払拭するかのように
本当の意味で仕事にのめり込み始めた(プライベートで子供が生まれたのもこの辺)

6.成長は人それぞれのペースでOK(2018年~今)

そして今、プロジェクトマネージャーになってから1年半が経つ。
営業の時に比べて、圧倒的に思考の流れがスムーズになっている。
考えられる範囲も格段に違うし、今まで会社として着手しきれていなかった
プロジェクトマネージャーの育成プログラムにも取り組むことができている。最近では、全社のスキルアッププログラム、評価作成まで仕事の範囲が広がった。いつかこのあたりを事業化したいと思う。

自分の強みは前提として人の成長を本気で願える、信じられること。
そこにプロジェクトマネジメント、ファシリテーション、
研修作りのスキルが合わさって今の仕事を進められるようにまでなった。
(加えて面白く教えることも強み、人気の塾講師のイメージ 笑)

それは営業だけをずっとやっていても身に付かなかったことだと思う。

何がきっかけで人の才能が開花するかは本当にわからない。
苦しいかもしれない。けど絶対にいつかその時はやってくる。
だから、その時が来るまで、自分のペースでいいので、
仕事を通して自分に向き合い続けていればいいんだと思う。
一旦休むのもOKだと思う。
自分はそんな人が安心してその場にいられるような場づくりをしていきたい。

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