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2021年7月16日(金)

AM、午後のインタビューの準備。書き原稿ではなく動画で公開されるという、自分でも初体験でそわそわしながら時間が近づき初台へ自転車で向かう。インタビュイーには2回目。昨年にも取材していて、今回のオフィシャルインタビュー動画は、誰に聴き手をやってもらうか考えたところ、過去一番話しやすかったのが私だったそうだ。ありがたし。

幾分書き原稿と勝手が違うこともあって、冒頭NGを出してしまう一幕もあったが完遂。そこから引き出される発言そのものがアウトプットなってしまう動画インタビュー。もちろんこれだって編集した上で公開されるのですが、原稿における編集は「素材をどう調理」するかだけど、動画は「素材のどこを食べるか」な気がしている。しかし完成品が上がってきたらそんなのも吹っ飛ぶのでしょう。楽しみにしている。スタッフさん、撮影・音声、何よりインタビュイーに頭が下がる想い。4時間があっという間だった。

へろへろで高円寺帰還。SWAMPで夜ご飯食べる。昨日散髪したての髪型を褒めていただく。ヒロナリさんから今仕掛けている新しいアウトプットにまつわる相談を受ける。情報提供するとともに、自分も手を動かすことになりそう。そりゃ東京の父上ですもの出来ることはやりますよ。

母親からLINE。「昨日「かまいたちの知らんけど」みた?
上新庄イズミヤ行ってる、もうすぐ閉店するから~
母さんもアミーゴ書店にCD売ってたんとか忘れてた」

大阪東淀川区出身の身としてイズミヤには思い入れがある。2階のα CLUBで服を買い、おもちゃ売り場で誕生日プレゼントを買ってもらい、1階の自転車屋でチャリを買い、そして地下1階のフードコートでお好み焼きを食べてた。フードコートの端は肉のダイリキだった。自分が高校くらいから行かなくなったし徐々にさびれていってた感覚はあるけど、まさか潰れるなんて思ってなかった。東淀川には淡路商店街の端にもイズミヤはあるけど、やっぱり自分にとってイズミヤは上新庄なのだ。

隣の学校出身だった濱家さんもその思い入れはひとしおのようだ。以前YouTubeチャンネルでも豊新・豊里・上新庄あたりをGoogleストリートビューで探って感慨にふけってはったが。俺も同じように悶絶してた。

そしてこの「知らんけど」、見ながら自分も濱家さんと同じくちょっと泣けてきた。確かにイズミヤの香りが充満しているのに、もうあの頃の母と一緒に買い物に行ってたイズミヤとはまるで違う姿。α CLUBもなければ、おもちゃ売り場もなければ、フードコートも閉鎖されていた。

イズミヤから想いを馳せて、東淀川の他の心配なスポットの行方も気になってしまった。自分の上京前にはすでにホームセンターのナフコが潰れて以降、廃墟になり果てていたショッピングタウン エバーレを調べた。今年1月に唯一のスーパーであるニッコーが閉店していた。


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