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「書く」習慣で脳は本気になる

目の前のことにただひたすらに向き合う。

ここ数か月仕事をしていく中で、毎日の充実感はあるものの、その時の思考が積み上がる感覚よりも時間と共に薄れていくことがある。もっとこの感覚を記録しておきたいのにも関わらず。

もしかしたら突っ走り過ぎているかもしれない。そんな感覚を持ったこのタイミングでこの違和感を受け止めつつ、少しずつ自分の視界を立ち止まって外に向けてみるべく、何となく直感で「書く」ことに決めた。

とはいえ、いきなり書き始める勇気もない。だから何か書くためのきっかけ自分に課そうと思い手に取ったのが茂木さんの「書く」習慣で脳は本気になるという本。

人生とは遇有性をどう生きるか

偶有性とは、確実性なことと不確実性なことが混ざり合っている状態。

狩猟や採取をしていたころは、天候や季節など自然の条件に左右されながら生きていたため、それこそ次の瞬間に何が起こるか見えない状況に置かれていました。 いまよりずっと偶有性に満ちた社会だったはずです。そのような状況にも適応できるように進化してきたのが人間の脳なのです。

この「偶有性」という言葉が良く出てくるが、昔は人間の脳は偶有性に満ちた社会に囲まれていたと聞いて、なるほどと思った。ただ高度経済成長期から確実性の高い選択肢が増えて、不確実性に対する耐性が薄れてきてしまっているのだなと。

今の自分はというと逆に不確実性の荒波に揉まれる中で、自分の中から生まれる「確実性のなさ」が、日常の中で感じる積み上がりがあるのか分からない違和感に繋がっていると思った。

何が起こるかわからない状態を楽しむ気持ちは、進化の過程で脳が身につけた生きる知恵といえます。そのことがわかれば、次に何が起こるのかわからない局面に立たされたときも、「なんだかわからないけど、もしかしたら面白いことが起こるかもしれない」と、偶有性を楽しむことができます。人生の見え方も変わってくるはずです。

偶有性をより楽しむには、何が起こるかわからない状態を楽しみつつも、自分なりにその時に対面した不確実性を確実性にする。このバランスが上手く保てているとより人生を楽しむことができ、見え方が都度変わると思う。

話は逸れるが、スポーツの価値はこの「優遇性」にあると思う。どうなるか分からない、ハラハラする展開。可変要因が大きくどこが勝つか分からない状態が作られるほど、人間の脳の進化過程に近い状態が起こる。その瞬間に人間は感動や興奮を覚えるのだろう。

無意識に支配されないために

不確実性と確実性のバランスを保ち、偶有性を楽しむためにはどうしたら良いのかが次なる疑問。そこで出てきたのが書くことの「記録」という役割。

仕事であれ勉強であれスポーツであれ、「記録」することは「メタ認知」を働かせることになることをお話ししました。記録とは書くことにほかなりません。
無意識を意識化する有効な方法があります。すでにお気づきの人もいるかもしれませんが、それは「無意識を言語化する」こと。 つまり文字にして書くことです。無意識を脳の外に固定することでメタ認知が働き、自分の中ではっきりと意識されることになります。
脳の中に確実なものを積み増すためには、脳の外に固定点をつくる=文字を書くといい。そして文字にして書いたものは、脳にとってのキャピタル(資本)になる。 一度外部に出力することによって、脳は自分が何を考えているのか初めて把握することができる。

無意識の垂れ流しを防ぎ、書くことで無意識にアクセスする。不確実性の高い目の前の仕事を文字にし出力することで、自らの状況をメタ認知して確実性を見出していく。

これから何を目的に書くか

自分の中に「これだけは譲れない」「これがあれば大丈夫だ」という確実性を持っていれば、不況になろうが会社をクビになろうが定年退職しようが、自分自身が揺らぐことはありません。 
「プリンシプル」とは、生きるうえでの原理・原則・信条のことをいいます。脳科学的な視点からいえば、総合的な人格力といえます。経験や記憶、感情といったものが合わさってつくられる人格の豊かさこそが、その人の生きる「プリンシプル」です。

社会人になり仕事をし始めると、目の前のことに精一杯になり、自らの確実性が何か分からなくなる。改めて自己認知を高める機会も自分で作らなければなかなかない。

だからこそ刻々と変化する不確実性の高い世の中では、自らのプリンシプルを持ち不確実性と向き合うことが人生を豊かにする。自らの無意識を書くことで意識化する習慣を作り、偶有性を楽しむ毎日を送りためにも書くことを続けていく。(2週に1回くらいで笑)








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