憂うつな時に寒いところに行くな(パート1)

初めての街にいた。普段住む場所から在来線と新幹線を乗り継いで約5時間。ひとり青森旅の2日目、八戸に来た。
寂しく人がいないけど大都市の青森駅の雰囲気とは違い、フレンドリーで暖かく人が過ごしている「街」の空気が久々に感じられた。

目的地は八戸ブックセンターだった。
市税で設立・運営されている図書館×書店×カフェの融合施設のようなところで、
構想時点から出版、まちづくり業界では話題になっていたように思う。

八戸ブックセンターは選書に力を入れており、中でもデザインやアート、広告などの本が揃っていた。そのため、そのような雑誌書籍を取り扱う出版社で働いていた私の部門には、たくさんの注文が来た。
ちゃんと業界の最新情報や出版情報を調べ、それを街に届ける人がいるんだな。といつも注文に対応しながら思っていた。
いつか現地に行ってみよう。

そして私が実際に八戸ブックセンターに赴いたのは、それから長い時間が経った後、2023年12月だった。

窓の大きいビルの一階に、所狭しと本が並べられていた。
画一的な本棚ではなく、座るところや、ランプや、展示スペースなど、来た人が色んなことを吸収できるような空間が広がっていた。
どこで何を見ることから始めよう。
わくわくしながらカフェでサイダーを買い、どんなことができるかなど質問した。建物真ん中に読書スペースがあり、買わなくてもそこで飲み物を飲みながら本を読んでいいということ。
商業的というよりかは、市民が本に出会い、本と付き合う時間を大切にできるようなつくり。こんなことが市税で行われていることに痛く感動した。

青森に行った理由は、行きたいところが3箇所以上たまったからだ。
どんな場所でも三箇所以上溜まったら、出来るだけいくようにしている。
今回は、青森県立美術館、八戸ブックセンター、十和田湖、十和田現代美術館にいく事を目的にしていた。

また、人生で一度くらい一人旅をしてみたいというのもあった。
※ていうかこのあたりから、時系列で1日目から書けっばよかったと後悔。
後出しじゃんけんだけど他の日記で1日目から書こう。

いつも人と一緒にいる。仕事もチームでやってるし、家には夫がいるし、外食もあまり1人ではしない。
自分が選んだことではありつつ、そんなことに疲れてしまうことがあるのだ。

一度一人旅に行ってしまえば、これからきっと出来るようになるだろう。
そんな願望を持ちつつスタートしたのに、知らない土地、そして東北は寒く冷たく、なんとなく神奈川県にはやく帰りたかった。

八戸ブックセンターのカフェの向かいには、きっと新刊やフェアの本を並べる棚があり、そこに本が何冊も重ねられていた。
カフェの方が、「遠くから来てくださったのにすみません、そここれから並べるもんで」と言っていたが、本なんて寝そべって重ねとけばいいと私は思う。
こんなにたくさんの本を新しく入荷したのかと思うと、心が躍る。

疲れた気持ちで読みたいものが特に見つからないなと店内を見ていたとき、
文藝会の12月号が目に入った。
あ、そういえば。
大好きなランジャタイ国崎が、文藝界に寄稿しました!とSTAFFさんが呟いていたな、と思い出した。国崎が文藝界?

まずはそちらでも読むかと思い、持って読書スペースに戻る。
エセー(文藝界ではエッセーではなくこういうらしい)のタイトルは
「いか納豆」。
その内容がいかにも国崎って感じで、絶対にこの人は文藝界を読んだことないよな、なんなら縦書きで掲載されることさえ知らないだろうな、という文字づかいを読む。

なぜかなんとなく泣けてきた。
結局、遠いところに来てもランジャタイの配信を見て、文章を読んでいる。
内容はとてもとてもくだらない。文章になってもちゃんとランジャタイをやっている。
昨日の夕飯は青森で取れたお刺身にビール。
夜はTverで水曜日のダウンタウン。
遠くに来たって、全然何も変わらない。

こんなもんか、こんなもんだなと思う。
青森に来たからって、急に新しいものが好きになるわけでもないし、目を見開くような素敵なことは起こらない。
それでも、私の好きなものは今日も光輝いていた(その時は漫才ではなく、文章で)。

同じ文藝界12月号には、Aマッソ加納愛子が単発小説を掲載していた。
2人の地下芸人が、同じ号に載っていた。一緒にカレー屋の2階でライブをしていた2人が。
きっとこういうことが人生に彩りを与えるんだろうなと思って、こっちも嬉しくなってしまった。

30分くらいじんわりして、本とグッズを買ってブックセンターを出た。
なんでこんなに嬉しいんだろう、足取りが軽かった。

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