城を建てる

何に興味があるかと聞かれると、どれから言おうかなというくらいたくさんのものが浮かぶのに対して、何に興味がないのかといわれるととても少ない気がする。ぱっと思い浮かぶのは、お金だ。

私はかねがね、世の中をもし変えるならお金のない世界にすればいいんじゃないかと思っている。それでも世の中をまわさなきゃいけないので、いまよりもっと周りの人と協力して、自分ができる無理のない仕事を利益を顧みずに行い、それに返すように自分も自分ができることや価値を提供していく社会。いまだってほとんどそういうものなのだけど、お金を介在すると「うまく利益を出す」ということに頭がいき、話が変わってくる。

そんなことを考えているのにも関わらず、私は金の化身のような、日本で一番金をもっているような、国民から巻き上げられた税金を使ってまで事業を行う会社に転職してしまった。

会社が行う事業が多岐に渡ることで、社会人としてのスキルは上がったと思うし、世の中の仕組みと成り立ち、お金の動きについても徐々に理解してきたつもりだ。

それでも何かがもやもやする。社会人としてこれからも定年まで働いていくのに、サラリーマンでずっといるはずなのに、とてももやもやする。

なにかにもやもやしたとき。私は頭の中で自分自身に「第一ステップクリアですね」とそっと告げる。もやもやを感じたということは、なにかがそこにある。まずは違和感を感じることが、何かを変える第一歩だと信じている。

第一ステップをクリアしたら、次のステップは「そのもやもやをすぐに突き止めようとせず、そのままにしておく」。いつでも人は「真実はいつもひとつ!」(コナン談)と思い込んでしまうのだけど、28歳にもなってくると「真実はひとつでもベストとベターは違う」、「正解と違うほうを選ぶこともある」、「白と黒の間に無限の色がひろがっている(ミスチル談)」ということを知っているので、ゆっくりとそのもやもやと付き合いながら、その奥にあるものを探していく。

部長に仕事を褒められる。うれしい。頑張った仕事がクライアントに評価された。うれしい。次の仕事が舞い込んでくる。がんばる。その仕事いくらとれそうだ?相手はお金あるのか?あ、えーと。

やっぱしここだ。

会社からみたら、私はお金のために働いているのだ。至極当たり前のこと。会社からもお金をもらっているので、会社からリクエストされることをこなし、結果を出さないといけない。つまるところ、会社からのリクエストは、お前の月給以上に金を稼いで来い。だ。

と、このことを改めて書いてみると、ここには違和感はなかった。この仕組みには同意している。じゃあなんだ。違和感があったところを秒刻みに切り取って1コマずつながめる。

あ、ここだ。1コマが浮き上がってくる。私は仕事を通して、相対している人の財布の中身を透かし見て、その中に入っている金額から予算を算出し、何をすればいくらもらえるかを考えている。そんなことしてませんよという顔をしながら。笑顔で。仕事で相対している人は人であって人ではない。会社の財布を一部使える人、なのだ。

なんか。私って詐欺師みたい。


こんなこともあった。

最近仲良くなった人で、音楽から演劇、トークライブまで幅広いコンテンツを配信放送している会社で働いている人。その人は色んなことに知識があって、世の中をお金だけではなく、文化的な価値とか、人々が幸せに生活するには、とか、将来の夢を酔っていつも話していた。私はその話を聞くのが好きだったし、共感する面がたくさんあった。色んなことを話しているうちにお互いのことを知っていった。

その人が私に言うようになった。「後藤はこのままでいいの?サラリーマンなんかじゃなくて、もっと夢のあることをしなよ」。「例えばなに?」「音楽が好きならイベンターや音楽ライター、ライブハウスの経営。料理が好きならお店を立ち上げたり。たくさんあるだろう」。頻繁に会っていたのだが、最終的にはいつもその話になるようになった。ある時は朝まで飲んで、ぐだぐだくだを巻いた。その時に、それまでなかった強烈な違和感を感じた。なんだ?この違和感はなんだ?

会うことを控えて何日か考えて分かった。そうだ。あの人の目には私がコンテンツに見えていたんだ。音楽が好きな人(というコンテンツ)、料理ができる人(というコンテンツ)。

そして思ったのだ。私はコンテンツではない。Web上にアップされ、Youtubeで配信され、ビューを稼いで、あ いい感じですね!とか人様に評価されるようなコンテンツではないのだ。

人が何者かである必要はない。人というのは、水と細胞で出来た、ひとつの生命体だ。なににも消費されることもなく、評価される必要もなく、衣食住を行い、生きていき色んなことを知って考えて問うて、また新たなものを生み出していく尊い生命体だ。そして人だけではなく犬猫などすべての生命体は尊く、美しい。それを理解していない人間が、多すぎる。

そんなことをいいつつも、何かを変えられることもないまま、私は生きている。しかし、それを悲観することは必要ないってことも、最近分かってきた。

部屋に入る風や、友だちからの他愛もない連絡。隣の家のお風呂の音。網戸に張り付いた虫。無印で買ったしょっぱいぬか床。海外から個人輸入したラグ。日焼けしたテディベア。

心から愛しているものを自分のまわりに集めて、私は城を立てていくんだろう。自分を守るために。生かすために。これからもずっと。

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