「13年アメリカに住んでいました。」
そう言うと、だいたいの人は「わー、すごいですね。」と褒めてくださる。
こんなこと言ったらバチが当たるかもだけど、正直そう言われても全然嬉しくない。
これまで「すごいですね」と言われた時はだいたい、「ありがとうございます」で、わざとにっこり返したり、「そんなことないですよ」ってとりあえずの社交辞令をすることにしていたけど、私の腹のなかは「全然すごくないし、むしろ死に物狂いだったし、でも説明するのめんどくさいからいいや」ってなっていた。
さらに、「何で17歳の時からアメリカに行ってたんですか?ご両親のお仕事?」とか聞かれると、「いや、全然違います。一人で行きました!怒」ってムキになってしまう。きっとこれまでに何人もの相手を嫌な気持ちにさせてきたんだろうな。
「すごい」って言われると身体がムズムズする。そこにはおそらく相手が想像しているであろう「留学とか、海外生活のキラキラしたイメージ」と、「必死だったアメリカでの日々や、自分の現状」とのギャップに対する自らのジャッジメントが入るからだろう。
でも「すごい」に対してはどうしても反応してしまう。
それは私の留学の理由が「家出」だから。
後で書く気になったら詳しく背景を書こうかなと思うけど、高校生の時、とにかく一刻も早く家を出たかった。いつも、長期休みに家にいなくて済む口実を探していた。15歳の誕生日、法律的に働けるようになった第1日目からコンビニでバイトを始め、冬はスキー場で住み込みのバイトをして、友達の恋バナを「ふーん」って聞きながら、自分はお金を貯める事に夢中だった。貯めたお金で高校2年生の夏休みは2週間の短期留学をした。それでも満足せず、17歳、高校3年の夏から休学して、1年間の交換留学プログラムでアメリカに行った。
英語が喋れるようになりたいとか、アメリカに行ってこれがしたいなんて無かった。とにかく家を出られれば、それでよかった。家が嫌だった。学校も嫌だった。日本が嫌だった。ここではないどこかに行きたかった。そう強く願って行動したら、高校1年、大学4年、その後社会人で8年、アメリカで生活する成り行きになった。
話を現在に戻します。
今日ある友達と話していたら、私の「生きてきた道程が尊い」 って言ってもらえた。その時すごく嬉しくて、「ありのままを理解されていること」に対する深い感謝の気持ちが湧き上がってきた。同時に自分が「すごい」と言われることへの違和感の根っこの存在に気づくことができた。そしたら、なんか社交辞令とか、逆に面倒くさいなって思うようになったので。
はい、「13年間、家出をしにアメリカに行っていました」。
これが私のありのままです。 これで少しは誤解が減るかな。
いただいたサポートは海外研修の参加費や経費に充てさせていただき、学んだことを日本の10代の子ども達のサポートシステム構築へと発展させていきたいと思っております。ご支援よろしくお願いいたします。